徴用工 ・・あゝ紅の血は燃ゆる!

昭和18年高木清寿に誘はれて、レンネル島沖海戰で被弾後敵艦へ突撃戦死した檜貝嚢治少佐の遺影を頂戴するため佐倉へ同行した。高木清寿の妻が檜貝少佐の妹であり、同行した青年は画學校へ通いながら従軍画家でもあった、その日は檜貝宅で御馳走になった。
昭和18年12月15日、その東京に住む台湾人青年に警視總監から徴用出頭命令が届いた。・・三日後の日記・・(志願兵になることは父から止められて)

12月18日(土)曇天

髙木先生から速達がついた。徴用の身体検査がすんだら次に命令書がくる。その場合は今日来て明日起発という具合になるから君は君の荷物の整理を今からしなけれ