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よくあるご質問

連載:自粛生活

「自粛生活②『山手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。」

冒頭の一文がすーっと、いや、ぱーっと心に広がる。ぞくぞくする。

偶々見ていたテレビで城崎温泉が出た。キノサキ温泉。

小説の名前は知っていて、気になるのに読まない本の代表『城の崎にて』。

「頭は未だ明瞭(はっきり)しない。物忘れが烈しくなった。然し気分は近年になく静まって、落ち着いたいい気持がしていた。」

「一人きりで誰も話し相手はない、読むか書くか、ぼんやりと部屋の前の椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた。」

「冷々とした夕方、淋しい秋の山峡を小さい清い流れについて行く時考える事は矢張り沈んだ事が多かった。淋しい考えだった。然しそれには静かないい気持がある。」

「自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ている所だったなど思う。

「祖父や母の死骸が傍にある。~それは淋しいが、それ程に自分を恐怖させない考だった。何時かはそうなる。それが何時か?―今迄はそんな事を思って、その『何時か』を知らず知らず遠い先の事にしていた。然し今は、それが本統に何時か知れないような気がして来た。」

「自分の心には、何かしら死に対する親しみが起っていた。」

これがもし自分の本なら、赤線だらけになっていた。まだ二頁にも満たない。

蜂の死骸、魚串が刺さった瀕死の鼠を見る。

「死ぬに極った運命を担いながら、全力を尽くして逃げ回っている様子が妙に頭についた。自分は淋しい嫌な気持ちになった。あれが本統なのだと思った。自分が希っている静かさの前に、ああいう苦しみのある事は恐ろしい事だ。」  

鼠の姿に自身が事故に遭った時の回想を重ねていく。ある時散歩していてイモリを見付ける。驚かしてやろうと投げた石が偶々当たり、死んでしまう。イモリにとっては不意の死。

「可哀想に想うと同時に、生き物の淋しさを一緒に感じた。自分は偶然に死ななかった。イモリは偶然に死んだ。自分は淋しい気持になって、漸く足元の見える路を温泉宿の方に帰って来た。」

冒頭いきなり本題に入り、繰り返し繰り返し「淋しい」を使い、生きる孤独を描く。

「小説の神様」志賀直哉が書いた短編。私が読まなかったのは死を描いていると聞きかじったからだが、もっと早く読めばよかった。全くその通り。

至極当たり前の事を書いているのに、死の間近にある自身の感覚は天下一品、誰にも真似できない。

文章がこれ程印象的に感じられるのは、私のアンテナが敏感になったからか、文章が持つ力なのだろうか。

その前にある中村光夫の「『老』の微笑」』を読んだ。全く響かない。

「一つ間違えば死んでいた」経験は滅多に遭遇しないが、60年も生きていればそれに近い事は多くの人が経験する。

コロナ第一波の時は、本が読めなかったが、今は落ち着いて静かに読める。淋しくもない。逆だ。本の世界が豊かに広がって行く。

※ギボウシの花。

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