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日残りて昏るるに未だ遠し

藤沢周平・作『三屋清左衛門残日録』を読んだ。
これは、藤沢周平円熟期の代表作とも言われ、「中高年のバイブル」とも言われる作品だと、作品解説に依り初めて知った。
またこれは、城山三郎の『毎日が日曜日』に着想を得た作品であることも同時に知った。

確かに、定年前後の世代が関心を持つテーマであるには違いない。
調べてみると、藤沢周平58歳から4年間にわたって『別冊文藝春秋』に連載された作品のようだった。

今月に入り、【時代劇専門チャンネル】にて同名のテレビドラマ全4作品が再放送された。
しみじみと心に染み入る場面が多く、ぜひ原作を読んでみたくなったという訳だ。
読了後、この作品が中高年に支持されている理由が、よく解るような気がした。

残日とは、「日残りて昏るるに未だ遠し」という意味らしい。
それは、昨年現役を退いて気ままな日々を送る私自身の心境とも重なり、自然と思い入れが深くなる言葉でもある。

三屋清左衛門は、東北の小藩で藩主の用人をつとめ上げた後、家督を息子に譲り、趣味の川釣りなどをしながら、自宅の離れで悠々自適の日々を送っていた。
妻を亡くした一人身ではあるが、その身辺を息子の嫁が温かく気遣ってくれる。

そうした気ままな日々を享受しながらも、世間から隔絶された日々には一抹の寂寥感も否めない。
老いた身に訪れる悔恨に、茶を啜りながらぼんやりと回想の時を過ごすことも....。

それは、清左衛門であれ私自身であれ、大きな違いは無いような気もする。恐らくは、そんな想いが多くの読者の共感を得て、「中高年のバイブル」と言われるようになったに違いない。

隠居の三屋清左衛門には、ときどき訪ねて来ては茶飲み話に時を過ごす親友がいた。町奉行の佐伯熊太である。
そんな隠居の日々もつかの間、清左衛門のもとに様々な事件が舞い込むようになるのだ。

藩の派閥争いや、過去の冤罪事件の洗い直し、出世に絡む怨嗟等々.....。
そうして、隠居の身は必ずしも太平楽とは行かないと実感する。
それらの事件解決に尽力しながらも、一日の終わりには必ず『残日録』をしたためるのが日課ともなっていた。

ドラマでは、この場面がとても佳い。
清左衛門の手元がズームアップとなり、蝋燭の灯りの中でサラサラと流麗な墨文字を書く場面。
美しい言葉で簡潔にまとめられた日録。そして流麗な墨文字。
私の美意識にまっすぐ響いてくる、本当に美しい場面だ。

人間が引き起こすさまざまな事件を通して、清左衛門の思慮深い感慨が日録に綴られるとき、そこには絶えず、“老い”を生きる哀感が伴っている....。そこに、見る者の共感が寄り添うのだ。
そういう意味でも、とても深い味わいのあるドラマであり原作だった。

過日、藤沢周平さんの一人娘でエッセイストでもある遠藤展子さんのトークを視聴する機会があった。
その中で、とても印象的なお言葉が耳に残っている。

【「普通が一番」
父は、いつもそう申しておりました。】

「普通が一番」
それは、藤沢周平作品の中に流れる“通奏底音”のようでもあると感じたことがあった。
もはや、若い頃の滾るような感情は無いけれど、私にも、蕭条として穏やかな日々がある。

「いろいろあったなぁ.....」
庭を眺めながら、最後に呟く清左衛門の言葉は、そのまま私自身の呟きのようにも思えた。

これらの再放送は、現在制作中の「第5作」へ向けた“番宣”の意味合いもあるようだ。
第5作の放映は、今夏になるとのこと。今からとても楽しみにしているところだ。

カテゴリ:アート・文化

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