嶋津義忠 の 起返(おきかえり)の記 宝永富士山大噴火

★3.5 新田次郎の「怒る富士」と同じ宝永富士山大噴火がテーマで、政権の無策ぶりとそれに立ち向かう住民の奮闘を描く。こちらは宝永4年(1707年)11月から噴火後の18年間、将軍も5代綱吉から8代吉宗までと長期に渡って描いている。


関東郡代・伊奈忠順は被災地の農民救済に尽力し、幕府の駿府の蔵から五千俵の米を独断で放出した責任で切腹したとの伝承があるが、こちらは4年後に病没した説をとっている。

物語は4ケ所の視点で描かれる。須走(すばしり)村の住民、御師・久右衛門の視点。大御神(おおみか)村の百姓の倅・19際の長太の視点。斑目(まだらめ)村の百姓・