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よくあるご質問

母、その存在の美しさと哀しみ

  五月の第二日曜日は「母の日」である。
日頃の母の労をねぎらい母への感謝を表す日。
私にとっては母の存在を喜びながらも、奇しくも
母を偲ぶメモリアルデーの月にもなった。

 私が母を見送ったのは一年で一番美しい季節
百花繚乱の彩りに滴り落ちる若葉が脇役を添える
五月だった。

 あれから十七年、夥しい時間が流れた。
忘れるともなく忘れていた自分の迂闊さが心許ない。

 でも、ひとたび記憶の輪が廻り始めるとそれは間断
なく途切れることがなく私の脳裏を駆け巡る。

 当時、母は実家で姉家族と同居していて特別重い病気
ではなかったけど日々老いていくのが哀しい程に誰の目
にも判っていた。

 でも、あの頃の私は自分が生きるのに必死で、そんな
母を心から思いやることが出来ず、仕事の合間の休日
になると「私だってたまにはゆっくり休養したいのよ。」
と勝手な理由をつけて、母の許を訪ねることに不義理を
していた日々が続いていた。

 17年前の5月24日は、抜けるように碧い空に
ひと筋の雲が綺麗な白線を引いていた。
見事な飛行機雲である。
これは後々まで、私の脳裏に焼き付いている。

 実家の大きな門の傍に、樹齢何十年かの大きなイチイ
の木が立っていて、緑の細い葉っぱの中に紅い小さな実
がぽつぽつとルビーのように生っていた。
この実はとても甘くて、子どもの頃よくとって食べた
記憶が蘇る。

 その木の下の大きな切り株に座って母は今か
今かと、私が来るのを待っていた。

 五月の風にあおられながらタンポポの綿毛が浮遊
していて間断なく降りしきる粉雪のようでもあった。

 実の母娘でも、毎日一緒に暮らしている姉とは時折
喧嘩もするし小さなイザコザもある。
時々しか顔を見せない私を、母はいつも外で待っている。

 姉に申し訳ないと思うのだけれど、母にしてみたら
偶に会う娘には新鮮な懐かしさを感じるし私も偶に会う
母には比較的優しい言葉をかけて上げることも出来る。

 その日の母の異変には誰も気がつかなかった。
いや、異変だと思ったのはすべて事が起こってから
気がつくものである。
母はその日昼食のご飯をボロボロこぼしてやっと口に
運んでいた。
でも、静かに会話も出来た。

 いつも仕事と生活に追われていた私はその日も早々に
「少し忙しいから、帰るよ!じゃ又ね!」と引き上げた。
その時の母の顔…哀しみとも諦念ともつかない、でも
なぜか慈しみも混じった表情をしていたような気がする。
それが、私が生きている母を見た最後になった。

日付が変わった5月25日未明、けたたましく鳴る電話の
音で母の訃報を聞いた。

姉家族と同居をしていたにも拘わらず、母は誰にも告げず
誰にも看取られることなく、帰らざる旅路に向かった。

 人の命はこんなにもあっけないものなのか…
さっきまで生きて会話も出来て哀しみと慈しみの表情
すら見せていた母が、ひと言も別れを告げず逝った。

 なぜなぜ…この日が母との永遠の別れになるのなら
私はもっと長く母の傍に居てあげたのに。
悔やんでもあとの祭り、鋭い呵責の念に苛まれた。

 自分の生活と多忙さにかまけ母のことを忘れそれを
意識の外に放置してうつつを抜かしていた時、死神は
音もなく忍び寄ってきて「時間ですよ!」と不愛想に
ポンと肩をたたいたのだろう。

 再びタクシーで駆けつけ、母の遺骸と対面しても咄嗟に
悲しみも辛さも襲ってこなかった。

 田舎の事ゆえ夜が明けると否応なしに近隣の人々が
弔問に訪れ通夜や葬式などのセレモニーが待っている。

 私たち兄弟姉妹は手分けして家中の掃除や
死後の手続き、葬儀の準備におわれた。

 もしかしたら、人が逝ったあとの儀式は遺族の悲しみを
ひととき忘れさせ、多忙の中に埋没させることによって
平静を保つようにさせる時間なのかも知れない。

 ふと、時間を巻き戻してみた。
あの日、母の最期の姿を見てから帰宅した私は
真夜中まで読書に耽っていて文庫を一冊読み終えた
時、ベランダの外で葉擦れの音を聴いた。
庭に植えてあるクスノキの葉が揺れる音だった。

★しゃらしゃらと葉擦れを聴かせ我がもとへ別れを
 告げて母は逝きたり(夢路)

写真はすべてネットから借りました。
左の木は、イチイです。
私たちは「おんこ」と云っていました。
この赤い実は、甘くて美味しいです。
その場でとって食べました。種があります。

カテゴリ:日常・住まい

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