有難う、移動図書館

少年倶楽部や山中峯太郎を借りて読んで居たのは小学校へ入っていた頃だったのかどうか霞んで思い出せない昔です。

図書館と言うものがあることを知らないで育ちました。
東京から博多へ引っ越す時に、広島の祖父母の家に居た頃、前に貸本屋が有ってここで思う存分子供用の本を読んだのは楽しい思い出です

博多では、うちにある本を探して押入れの中を引っ掻き回し、ご近所のお兄さんや、同級生のお父さんに借りたりしていました。
あの大部の江戸川乱歩集の面白かったこと、これ以来推理物がお気にいりです。

高校生になり授業はそっちのけで、図書室の虫になったものです。

大阪に就職し、そこで移動図書館に出会ったのが昭和30年頃、これが私と移動図書館との付き合いの始まりです。

結婚して夫の勤め先の寮に住み、
そこへも自動車文庫が来てくれることになり、
本あさりもしなくて済むようになって子守と読書の楽しい日々が九年も続いたのでした。

何時までも200円の家賃の寮に居るわけもいかず、
一念発起、安い公営分譲宅地にアタックして、
泉州に定住です。これが昭和43年、
給料は5万円、貯金が19万円、
75坪の土地が105万円、家は「セキスイ」で300万円でした。

この後、給与も物価も、凄く上がったのですが、借金は
退職するまで残りました。

子供も一人増えて、町内会長の御役も済ませた頃、
七人ほどで読書会を始めましたが、本は刺身のツマ、
お喋りに花が咲いたものです。

そして昭和51年、私達の町まで自動車文庫が来てくれる事になったのです。

バスに乗って市役所の近くの図書館まで行かなくても
本が借りられるなんて夢のようでした。

夫が定年で家に居るようになって気づき、それだけ本を読めば自分でも書けるのに、と言ったほどです。

数えてみれば1955年から2022年まで、途切れ途切れではあるけれど67年も移動図書館にお世話になっています、

戦争のない平和な暮らしで、分館も増え、身近に本を借りられる様になりました、

この3月で来なくなった移動図書館に
胸の中で有難うと言いたくなった今年の読書週間でした。

カテゴリ:アート・文化

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