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歌舞伎とは?現在までの歴史や起源を分かりやすく解説

だれもがその存在を知っている伝統芸能の「歌舞伎」ですが、その歴史や現在の姿を詳しく知っている人はそれほど多くはありません。

今回はこの「歌舞伎」を取り上げ、その概要や歴史、現在の姿などについて解説していきます。

歌舞伎とは

歌舞伎は伝統芸能の一種であり、長く人に愛されてきたものでもあります。

「歌舞伎」の語源は、「傾く(かぶく)」にあるとされています。今では「伝統的なもの」となった歌舞伎は、かつては、既存の常識にとらわれない「流行りもの」として位置づけられていました。

外国で発達したオペラと同じように演劇と音楽を融合させて作られた舞台で、新しいものをどんどん取り込んでいくという特色を持っています。

歌舞伎の文化は、しばしば「町民の文化だ」といわれます。歌舞伎を育て上げ、愛し、親しんできたのは、権力者ではなく町民であったからというのがその理由です。

演目の特徴

歌舞伎の演目は、大きく、

・時代物

・所作事

・世話物

の3つに分けられます。

すでに述べた通り、歌舞伎は町民文化の象徴でもありました。その町民文化を主題としたものを「世話物」と呼びます。そして、その町民からはやや遠い存在であった武家社会や、歌舞伎文化が花開いた江戸時代より以前の時代をテーマにした演目を「時代物」とします。

ちなみに「所作事」とは、舞踊をテーマにした演目です。舞踊だけで構成されたものや、特定の劇から舞踊要素だけを取り出して演じるものを指す言葉です。

歌舞伎の歴史

ここからは、歌舞伎の歴史について見ていきます。

起源は女性のかぶき踊り

長く続いた戦国時代が終わりかけたころ、人々は「楽しみ」のために踊りに目を向けました。

江戸時代の初頭に、「出雲阿国」という女性が歴史の舞台に登場します。彼女は出雲の巫女であったのですが、「傾き者」の要素を取り入れた踊りを京都で踊りました。これが大きな評判となり、彼女と同じように演じる女性の演者が数多く誕生しました。

演者は女性から男性へ

彼女たちの演技は当時の人々に熱狂を持って迎え入れられましたが、その結果として、「ファン」が過激な行動や争いを起こすようになってしまい、これを時の幕府が憂慮の種となりました。

結果的に女性による歌舞伎は、「風紀の乱れを呼ぶ」として禁じられてしまいます。

その代わりに出てきたのが、年若い少年たちによる「若衆歌舞伎」です。彼らは、女性の歌舞伎とは異なる「軽業」などを演目に取り入れ、大きな話題を呼びました。

しかしこれも、男色を招く要因となったとされ、禁止されることになります。

元禄文化により最盛期を迎える

女性から始まり、少年に受け継がれ、そしてその両方を禁止されていった過程の結果として、「成人男性による歌舞伎」が出てきたのは歴史の必定だといえるでしょう。

成人男性による「野郎歌舞伎」が始まり、これが円熟していった元禄時代は、「歌舞伎の最盛期」といわれています。

幕府によって禁じられた少年による歌舞伎の文化は、この野郎歌舞伎にも受け継がれました。少年たちが演じていた女性の役を、成人男性が演じるようになり、現代の歌舞伎の原型が作られていったのです。

明治期以降の文化的地位向上

時代が変われば人の見方も変わります。

幕府による厳しい締め付けなどがあった時代を乗り越えた明治時代、作家・坪内逍遥によって「新しい歌舞伎」が取り上げられるようになります。

これも賛否両論はあったものの、明治20年には時の天皇陛下が歌舞伎を観覧、これによって歌舞伎の地位は飛躍的に向上しました。

明治の時代は、歌舞伎にとっての大きな変換期であり、激動の時代でもありました。上でも述べたように、少なくない数の人間が、「新しい歌舞伎」を求めて試行錯誤した時代でもあります。歌舞伎の性質を考えれば、「新しいもの」を追及するのはごく当たり前のことではありました。

しかし彼らの試みのすべてが成功したわけではなく、そのうちのいくつかは否定されてしまいました。ただ、海外から日本に戻った市川左団次と、彼と提携した真山青果によって作られた「元禄忠臣蔵」は今なお受け継がれる名作となりました。

昭和40年に重要無形文化財に指定される

それからさらに時が経った昭和40年、歌舞伎は重要無形文化財としての指定を受けます。

昭和51年には歌舞伎の音楽もまた「重要無形文化財を構成するものである」とされるなど、歌舞伎が「受け継がれるべきもの」として認識されるようになりました。

歌舞伎は、幕府や政府による縛り付け、また時にそれを観る人間・作る人間による否定的な見方をされたこともある文化です。

しかしそれでも歌舞伎の持つ魅力は人々を魅了してきました。そして歌舞伎自体の持ちうる町民文化に支えられた「たくましさ」は、歌舞伎自身を生かし続ける支えとなったといえます。

現代の歌舞伎文化

このような歴史を持つ歌舞伎の、現在の姿を見ていきます。

歌舞伎座や国立劇場での上演

現在、歌舞伎は「歌舞伎座」「国立劇場」などで上演されています。

ただ、歌舞伎を観覧することができるのは、東京だけに限りません。名古屋の御園座や大阪の大阪松竹座など、全国に「歌舞伎を観られる場所」があります。

町民文化に育まれた歌舞伎は、現在も多くの「町民」の眼を楽しませているといえます。

無形文化遺産に登録

歌舞伎が昭和40年に重要無形文化財に登録されたことはすでに述べた通りですが、2008年には無形文化財としての登録も受けました。

ちなみに同年には、同じく伝統芸能に分類される人形浄瑠璃や能楽なども無形文化遺産に登録されています。

​​超歌舞伎などの新作へ

「新しいものを取り入れていくこと」を一つの特徴とした歌舞伎は、明治期においてその一部を否定されたことがありました。しかし現代でも「変革を求める性質」は生き続けています。

その象徴ともいえるのが「超歌舞伎」でしょう。

初音ミクというバーチャルシンガーとのコラボレーションで作り上げたこの歌舞伎は、古典芸能であった歌舞伎に、まったく新しい風を吹き込んだものです。

また、漫画などを主題にとった演目も演じられるようになりました。

もちろん、これらの演目には賛否の両論があります。しかし、町民文化として生まれて育った歌舞伎の元々のあり方を考えれば、このような変化はむしろ「本来的なものである」とさえいえるのかもしれません。

趣味人倶楽部で歌舞伎ファンと交流しよう

歌舞伎は、多くの人が愛し、またこれからも多くの人に愛されていく文化です。

そのため愛好家が非常に多い分野でもあります。

趣味人倶楽部でも、歌舞伎を好む人たちのコミュニティが作られています。

「何も分からないけれど、歌舞伎の観劇をしてみたい」「観た歌舞伎についてほかの人と語り合いたい」という人は、このようなコミュニティに所属してみてはいかがでしょうか。

まとめ:歌舞伎は時代とともに変化する

「伝統文化」「古典芸能」として取り上げられることの多い歌舞伎ですが、その姿は時代とともに変化していっています。

「移り変わりゆく文化」という観点から、現代の歌舞伎を楽しんでみるのもよいかもしれません。

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