梅花8態(大宮公園)

梅見の宴

わが園に梅の花散るひさかたの
 天より雪の流れ来るかも (主人 大伴旅人)

「天平2年正月13日に、帥の老の宅に集まりて、宴会を申く」
万葉集巻5に載る当時の太宰府長官大伴旅人が催した梅見の宴で詠われた32首のうち主人である旅人の歌。
天平2年というと西暦730年、およそ1300年前、正月13日は2月8日にあたるそうだ。「時あたかも初春の良き月であって 大気は爽やかで、風も和やかである」と序には書いてあるが、寒かったろうな、と思う。まさか福岡名物の水炊きを囲んだわけでもないだろう。
この当時の梅は白梅。女性の白い肌の美しさに例え艶めかしさを感じたようだ。男性の好色は時代に関係ない。旅人もまたその例に漏れることはなかった。
「冬十二月、太宰帥大伴卿の京に上りし時に、娘子の作れる歌二首」
そのうちの1首「倭道は雲隠りたり然れどもわが振る袖を無礼しと思ふな」
娘子は児島という名の遊女。65歳を過ぎていただろう旅人、しかも奥さん(大伴郎女)帯同の転勤だったのだ。
旅人と河島英五の「酒と泪と男と女」が重なるのだが。

※日記「大宮散歩」も投稿しました。
  https://smcb.jp/diaries/8475564

 

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