亀戸散歩 ー 秋の花めぐり ー

零れ萩(龍眼寺)

ゆつくり歩かう萩がこぼれる(種田山頭火)

兼好法師が言っている。
「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ」
先人は盛りを過ぎ、命が終わった花に限りない哀惜を言葉にしている。
桜、梅或いはモミジなどは散るを、椿は落ちる、朝顔は萎む、牡丹は崩れる、そして萩は零れると・・・
「零れる」— 広辞苑によれば「①水、涙などがあふれ出る。また、粒状・粉状のものが外にもれて出る。②花や葉などが落ちる、散る。③物があり余って外に出る」とある。
似たような言葉に「溢れる」があるが、これは「余ってこぼれる。脱落してはみ出す。あばれる。余されて不用になる」と説明、あまりいい意味には使われていない。「急いで歩かう萩があふれる」では放浪の旅も疲れてしまう。
「咲いて見せ零れて見せる萩の庭」(木村宏一)が法師の意に叶うのでは。

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