十三夜追想

昨日は十三夜でした。
樋口一葉の「十三夜」が浮かびます。
「今宵は旧暦の十三夜、旧弊なれどお月見の真似事に団子をこしらへてお月様にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたれど、亥之助も何か極りを悪るがつてその様な物はお止なされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても悪るし・・・」
若い頃、お互い憎からず思いながら添えずに別れた二人が十三夜の下で思わぬ出会いを。それぞれが来し方を思いながら別れていく。
上野広小路での最後の別れ
「お別れ申すが惜しいと言つてもこれが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も帰ります、更けては路が淋しう御座りますぞとて空車引いてうしろ向く、其人は東へ、此人は南へ、大路の柳月のかげに靡いて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奥も憂きはお互ひの世におもふ事多し。」
いいですね。樋口一葉23歳の時の作品。この若さで余情溢れる別れを描けるとは。多分、師半井桃水への恋情が下敷きになっているのかな、なんて思ったりしまして。
耳元に三味の音が聞こえてまいりました。そして唄が・・・。
「河岸の柳の行きずりにふと見合わせる顔と顔
 立ち止まり 懐かしいやら嬉しやら
 青い月夜の十三夜」
昭和16年にレコーディングされたそうです。16年といえば12月真珠湾攻撃で日米開戦の年、軍歌が圧倒的に人気のあった時節の中で、よくまあこのような歌が発売されたもの、と思っているのですが・・・。終戦後からはNHK素人のど自慢などでよく歌われ小さい時から耳にしていたものですから、今でも覚えています。
余計なことですが私の知っている歌は何とも古いんですよ。しかも生まれる前の歌も知っているんです。この歌だって80年前ですからね。「古い奴ほど新しいものをほしがるものでございます」と鶴田浩二が言っていましたが、じゃあ新しい歌はと申しますと、黒メガネに口髭をはやした鈴木雅之が唄うバラード「十三夜」
十三夜の月が 東の空に昇る 黄昏ゆく海に見える・・・」
9年前に発売されています。新しいでしょう?全く歌えませんが好きなんです。

散歩帰りの橋の上、まだ空に明るさが僅かに残っているのか群青色の夜空に十三夜が軒端の月ならぬ屋根に乗って光芒を放っています。
「けんけんちゃん何見てるの?」
私より8歳ほど年長の近所のご婦人。私のことを「ちゃん付け」で呼ぶんです。注意しても直らないので諦めていますが。
「月、見てるんですよ。十三夜!」
「あら、そう!。十三夜といえばね。若い頃唄ったの、カシノヤナギノ、ってね。懐かしいわ」
「お出かけ?」
「そう、おとおさんがね、タバコが切れたから買って来いって。自分でいけばいいのにね」
「気を付けて」
「ケンちゃんさんも、私のこと思って川に落ちないようにね」
杖を突きながら、「其人は東へ、此人は南へ、」
柳はなく、無味な柵だけが。
冷え込んできました。夏物を片付けなければ、と夢から覚めて。
十三夜の光芒が見えるのは遠乱視のお陰のようです。スマホもまた遠乱視なのかもしれません。

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