車はじきに無くなるって踏んでました。1969年当時、高校生の私、有名カーデザイナー
を色々参考にしたり研究したりして、学力が圧倒的に足りないと判って、一気に夢が覚
めました。ホントは悔しさ120%だったけど、自分の所為だと悟っても居ましたし、
情け無いのは『札幌から出たくない…』という何と甘えん坊なケチ臭い思いの私でした。
だから、《 諦め切れず 》に美術系のある大学を目指そうと『バカの一念』を『そこ?』
で発揮したんです。担任からは笑われました。でも受験志望表を受理して呉れて、
イザ入試に臨んだら・・・・・不合格。
🖼彡彡彡
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