高野山ひとりたび

行脚の僧 空海


  
  高野山奥の院をあるくとこの像にであう
  参道より少し入り込んだところに佇む
  ときには 見落としてしまうこともある


  高野山の人々や真言宗の僧侶の多くにとっては、
  高野山奥之院の霊廟において現在も空海が禅定を続けているとされている
  禅定(ぜんじょう)
    仏教で心が動揺することがなくなった一定の状態を指す

   最近は地下霊廟をおとずれることもない


   この日は奥の院から壇上伽藍までのんびり歩いた


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