三内丸山遺跡

出雲大社の古代社殿の発見された柱みたい。
でもこれって金属の無い時代にこの太い木を倒して運んで穴に立てた って思うとスゲェなぁ。

三内丸山遺跡から発見された黒曜石は信州の諏訪湖から運ばれたって展示されてたけど、昨日のブラタモリでも同じことやってた。
しかし道の駅も無い時代に大変だったろうなぁ、その当時の人はどこを通って行ったろ?
俺的には日本海に沿って行けば最短距離だと思うげど、地図もない時代にさてはて?

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