Yasukoo処亭・Cure

生きるコトへの模索

              ◆:◇玉子丼_20221130

🥚:もはや、ソレは『生き続ける‥‥』だという宣告を背に負って、ゲリラ掃討トレー

 ニング然とした障害物競走。アッチの旨そうな食材は?カリウムドッサリだって❣

 右前方のアレは・・・・・?塩分でしょ❣ そうして海苔も、海藻もヨードが多い。ヨードは

 家内が嘗て30年前に罹った甲状腺機能亢進症。一種のバセドウ病。

――まさかだったが‥‥‥‥

 一週間のうちに食欲不振から急激に痩せ出して、フラフラする。彼方此方の内科に

 診て貰うも拒食症だとか、一時的な体質亢進症でないかとか今思えばクソドクターの

 数々の異質な所見の束。一縷の望みを携えて、伺った『最後の病院』で好適診断さ

 れ、それから徹底した闘病生活に入った。当時勤めていた会社は無期出勤中止し、

 在宅療養。その間にもどんどん痩せて行く、甲状腺ホルモンを0にするまで投薬続け

 る。体重は半月で健康時は43㎏だったのが30㎏まで落ちる。毎日看病してくれるのは

 当時は私の母だった。私はそれでも出勤して働かないと治療費だの生活費だのの諸々

 稼がないとならず、教壇に立ってるコトが罪にさえ感じつつな日々だったから、退勤

 早めにし、交代で付きっきりの看病だった。

 あの時の姿、夕食では無理にも起きて膳に着き、一緒に食べると。お代わりしたいと

 茶碗を突き出す腕、手の全く骨さえ見えるような細さでフラフラしつつ顔はにこやか

 に微笑んで無理してるのが有り有りと。投薬期間を終えて再び検診。その際にと長ら

 く休んでいた申し訳なさにと会社に出向いて、同僚や部長たちに謝罪して回っていた

 女性の多い会社だったから、共感されて皆集まり励まして呉れてはいたが涙のひとと

 きだった。家内も謝りつつ顔を涙で雨降り後のようになって私は抱えながら礼を何度

 も告げてその場を立ち、病院へ。言っちゃならないが、まるでひどい姿だったが結果

 は数値が最下部で安定したので次は最終処置にと。

 国立がんセンターに行って『コバルト60』を服飲させられると・・・・・。コバルト…❣

 放射能物質だ。大きなドアにはあの放射能マークが描かれ、出て来た数人の医療従事

 者方は、当時はまるでSF映画のシーンかと思うような防護服を着て防塵眼鏡をした

 姿で、ボーッと眺めてる家内はどう感じたのだろうか。私は若しかしたら放射能で

 異常な怪物に成るのではなどと馬鹿げた恐怖感で居たのだけど、連れられてあの分厚

 いドアに飲み込まれて閉じられてから長い時が経って出て来た家内。

 どうだったと訊いたら『大きめのカプセルを口に入れられたよ』と。『長いピンセッ

 トで摘まんで開けた口にゆっくり落として行ってそのアトに水の様なの飲まされた』

 ――味は?判らない‥‥。コバルトって放射能だよね。大丈夫なのかな?

 黙っている。 ややあって、防護服の人が来て、終わりましたので帰宅されて下さい

 と。喉から出そうなほど『放射能飲んで大丈夫なのか?』と訊きたかったが

 言われるままにそこを出て帰宅した。

――――今夜、日本対スペイン戦観るから早く寝るね❣って、メールで午後八時に今夜

 のメール通信は終えた。件の家内はその後2000年12月に義父がパーキンソン病で倒

 れてから、義母の転倒事故で脊椎骨折入院、義父の転院・義母の腎石発覚から治療

 入院と2019年義父、2021年義母が亡くなるまで付きっきりで一人実家に泊まり介助

 看病と生活の拠点。私は札幌のこの家を死守するコトで家内に安心感を持って貰って

 22年の月日が流れている。その家内が今は、元気で空き家に成らないよう実家の整理

 をしつつその実家の処分を将来に備えて励みつつ暮らす日々。このコロナ禍で満足に

 逢うコトも成らず、メール通信は既に日課になっている。
 

  私が倒れては家内には余りにも申し訳が立たない。

 高カリウム血症に成らないよう、同様に高ナトリウム炎症、リン過多症等々には成ら

 んぞと(ほぼ成ってる状態ながらも)食の改善を断行する気合は変わらないと意思を

 今一番、強くしている。

 家内はもう起きたのかな?無理しないで欲しいとメールの末尾にしたためたが‥‥‥


🥚彡彡彡

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