義衍老師語録提唱

義衍老師語録提唱

意根を坐断
人は自分というものをしっかり持っています。
疑う余地もないほど。
でも その自分とは何処に在るのでしょう?
この体を医学的にどれだけ刻んでみても、これが自分だという芯らしいものは出て来ません。
知らないうちに思い込んで その思い込んだ自分を育ててきた。
可愛がることをしてきた。
そして可愛がるのと同時に苦しみも生まれ、可愛がれば可愛がるほど苦しみも増していく。
今度は、その苦しみから逃れたいと言って、また自分を可愛がることをして苦しむ。 
迷いの根を知らないから、どこまでも苦しみの連鎖は続いてきます。
 
その苦しみの連鎖、迷いの根源を徹見せられたのがお釈迦様です。
自分を可愛がるという人の考え方から離れ ご自身の様子を静かにごらんになった時、自分という思い込みの自分であることを見極められて 既に救われている自身に出会われた。
お茶を飲んだら、お茶の味がする。そんな当たり前のことと言うかも知れませんが、ここに自身が救われている真相がある。

✤20代の頃……
東京でやっていた設計の仕事(4年半)を辞め、名古屋に戻り コレからどうやって生きていこうかなぁ~ の頃
着の身着のまま…
(インターネット?電話帳? どうやって見付けたんだろう…)
何となく 3泊の予定が一週間ぐらい 座禅しに言った寺(瀧泉寺(曹洞宗 浜松市)の老師の言葉)
当時「悟りと迷い」は私の愛読書だった。(^_^;)

今度、浜松に行くから…
30年振りに訪ねてみようかな……。

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