水彩画その411:熊本・人吉城の紅葉

熊本の主な城は三つで、北は加藤清正の熊本城そして中部は小西行長の宇土城です。清正と行長は朝鮮出兵で先陣を争いました。日蓮宗の清正に対して、行長はキリシタンなので最期まで反りが合いませんでした。関ケ原で行長は破れて処刑されました。
そして南部には相良藩の人吉城が鎌倉時代からあり、豊臣秀吉と島津の間でうまく立ち回り、700年間の明治まで生き残りました。小藩(2万石)で、相手にされなかったのかも知れませんが。
人吉城は天守はなく、島津藩と同様に周辺に沢山の砦を持つ構えが特徴です。
堀の代わりに日本三大急流の球磨川を使っています。
今は、櫓などもなく大手門と二の丸それに和洋折衷の武者返しと言われる石垣が残っています。

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