①本当に面白い美術書だ。発想が面白い。縄文式土器(火焔式土器)が表現している「豪華・絢爛、過剰、動」に対し、弥生式土器にみられる「簡素・質素、単色、素朴、シンプル」を対置し、両者の特色が以後の日本美術に与えた影響を作品を提示しながら解説する。
②意外だったのは、弥生式土器が実用性を重視せず、簡素・質素・単色・シンプルという美術的要素が強く表現されていることだ。弥生式土器の注ぎ口は狭く、弥生時代に造花や生け花などの趣味はないことから、穀物等の食べ物を入れる実用性は考慮されずに製作され、美術品としての性格が濃厚である。実用性を重視したから装飾を簡素にしたのではなく、簡素・シンプルな美術品を志向したのである。
③縄文的性格を強く表現している作品として、室町時代の作者不明の「日月山水図屏風」は海水がうねりを上げて描かれ、逆巻く波を荒々しくも大胆に表現している。そして江戸時代の若冲作の「群鶏図」である。鶏が多数、赤・白・黒の三色で大胆・過剰に動物を描いている。その絵画の力強さに驚嘆する。
④弥生の「簡素・質素・単色・シンプル」的性格は山水画が典型的である。水墨画の技法を確立した雪舟の水墨画、長谷川等伯の「松林図屏風」が代表的である。水墨画は背景は白色、松林は黒色という二色のみが用いられ、実にシンプルで枯淡の境地を見事に表現している。簡潔・質素・シンプルながら、実に丁寧にきめ細かく、繊細に表現している。
⑤しかし、ここで日本美術の弥生的性格を強調する前に注意すべきことがある。水墨画は中国から伝来した技法であり、枯淡の境地は大陸から伝来した禅宗(仏教)の影響が濃厚に認められることである。例えば、龍安寺石庭の枯山水は、わび・さびの境地は弥生的性格よりも禅宗の影響が濃厚である。
⑥弥生的性格は、大陸から伝来した水墨画や禅宗の影響の下で開花したことを忘れてはいけない。和辻哲郎が提起したように日本文化の伝統は古代文化を基層として、その上に伝来した大陸文化が積み重なって形成された〈重層的性格〉を有していたのである。この和辻の指摘を踏まえて、日本美術における縄文的性格と弥生的性格の影響を論じるべきではないか。
とにかくこれだけ面白い日本美術の本を読んだのは初めてだ。美術館で作品を鑑賞する眼差しも研ぎ澄まされるであろう。
お勧めの一冊だ。
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日本美術の底力: 「縄文×弥生」で解き明かす (NHK出版新書 619) 新書 – 2020/4/10
山下 裕二
(著)
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縄文・弥生から現代まで――これが「ジャパン・オリジナル」の想像力だ!
過剰で派手な「縄文」と簡潔で優雅な「弥生」。2つの軸で古代から現代までの日本美術を軽やかに一気読み! なぜ独創的な絵師が美術史から締め出されたのか? 雪舟、等伯、若冲らは何がすごいのか? 日本的想像力の源流とは? 国宝、重文を含む傑作61点をオールカラーで掲載した、著者初の新書!
序 章 日本美術の逆襲
第一章 なぜ独創的な絵師が締め出されたか
第二章 「ジャパン・オリジナル」の源流を探る
第三章 「縄文」から日本美術を見る
第四章 「弥生」から日本美術を見る
第五章 いかに日本美術は進化してきたか
終 章 日本美術の底力とは何か
過剰で派手な「縄文」と簡潔で優雅な「弥生」。2つの軸で古代から現代までの日本美術を軽やかに一気読み! なぜ独創的な絵師が美術史から締め出されたのか? 雪舟、等伯、若冲らは何がすごいのか? 日本的想像力の源流とは? 国宝、重文を含む傑作61点をオールカラーで掲載した、著者初の新書!
序 章 日本美術の逆襲
第一章 なぜ独創的な絵師が締め出されたか
第二章 「ジャパン・オリジナル」の源流を探る
第三章 「縄文」から日本美術を見る
第四章 「弥生」から日本美術を見る
第五章 いかに日本美術は進化してきたか
終 章 日本美術の底力とは何か
- 本の長さ217ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2020/4/10
- ISBN-104140886196
- ISBN-13978-4140886199
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著者について
1958年、広島県生まれ。美術史家。明治学院大学文学部芸術学科教授。東京大学大学院修了。室町時代の水墨画の研究を起点に、縄文から現代まで幅広く日本美術を論じるほか、講演、展覧会プロデュースなど幅広く活躍。著書に『未来の国宝・MY国宝』(小学館)、『日本美術の20世紀』(晶文社)、『岡本太郎宣言』(平凡社)、赤瀬川原平との共著に『日本美術応援団』(ちくま文庫)ほか多数。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2020/4/10)
- 発売日 : 2020/4/10
- 言語 : 日本語
- 新書 : 217ページ
- ISBN-10 : 4140886196
- ISBN-13 : 978-4140886199
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- - 70位NHK出版新書
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2020年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「縄文」と「弥生」をキーワードに日本美術を読み解いた著作。
一概に“日本の美意識”と言っても簡単には説明出来ないと思っていたが、意外にもこのシンプルなキーワードを以て理解を深める事が出来るのを知ったのは大きな驚きであった。
本書は先ず、縄文/弥生時代の作品の紹介と特色を解説する所に始まり、続いて「縄文的」な日本美術と「弥生的」な日本美術を個別に取り上げながら考察していく。
日本美術は一般的に“余白の美”や“侘び・寂び”等「弥生的」な部分がクローズ・アップされがちであるが、実はその価値観が良しとされたのは明治時代の事…実は日本美術界には永らく「縄文的」なものも根付いていたのであり、両者は常に融合しながら発展して来たのだ。
因みに、明治以降“ゲテモノ”として抹殺された若冲や曽我蕭白が昨今になって一大ブームを巻き起こした事、或いは「弥生的」美術を推奨した明治時代に実は工芸分野に於いては“超絶技巧”の名のもとに「縄文的」美術が評価された事を指摘しており、日本美術史に於いては常に「縄文」と「弥生」が交互に顔を出したり引っ込んだりしていたのである。
但し、著者は決して日本美術を「縄文的」と「弥生的」に分類しようとしている訳ではない…即ち「一人の絵師が縄文的な作品も描く一方で弥生的な作品も残している」…或いは「一時は忘却された縄文的な作品が再評価された」という現象を鋭く捉え、日本の美意識はあくまでも縄文と弥生の“ハイブリッド”の形として存在している事を主張しているのである。
いや、それだけではなく、古くは中国、近代に至っては西洋…と外来文化を受容し、それ等を独自の美へと昇華したのもまた日本美術の特色であり、正しくここに「日本美術の底力」がある事を教えてくれたのには非常に勇気付けられたように思う。
良質なカラー図版も多数掲載。
また、扱う絵師・作家については限定的ではあるが(若干「縄文的」美術の比重が大きいか)、一応、昨今話題の岩佐又兵衛、若冲、蕭白、芦雪、白隠、仙厓等を集めた上で王道の狩野派や等伯、若しくは雪舟にも言及しているし、更には、知名度は決して高くは無いが、この主題には是非とも必要…という絵金や久隅守景をもしっかりと取り上げてくれている。
尚、近現代に至っては明治画壇の巨匠達を初め、岡本太郎や山口晃、そして村上隆に至る迄を扱っているので、入門書としては充分だと思う。
ほんの一昔前まで、日本人はとにかく西洋美術展に殺到し、自国の美術作品には余り興味を示さない時代があったが、最近では若い人を中心に日本美術を見直す動きが出て来ている。
そんな日本美術の魅力を再発見し、理解する為の手助けをしてくれる一冊として、本書は重要な役割を担ってくれるだろう。
一概に“日本の美意識”と言っても簡単には説明出来ないと思っていたが、意外にもこのシンプルなキーワードを以て理解を深める事が出来るのを知ったのは大きな驚きであった。
本書は先ず、縄文/弥生時代の作品の紹介と特色を解説する所に始まり、続いて「縄文的」な日本美術と「弥生的」な日本美術を個別に取り上げながら考察していく。
日本美術は一般的に“余白の美”や“侘び・寂び”等「弥生的」な部分がクローズ・アップされがちであるが、実はその価値観が良しとされたのは明治時代の事…実は日本美術界には永らく「縄文的」なものも根付いていたのであり、両者は常に融合しながら発展して来たのだ。
因みに、明治以降“ゲテモノ”として抹殺された若冲や曽我蕭白が昨今になって一大ブームを巻き起こした事、或いは「弥生的」美術を推奨した明治時代に実は工芸分野に於いては“超絶技巧”の名のもとに「縄文的」美術が評価された事を指摘しており、日本美術史に於いては常に「縄文」と「弥生」が交互に顔を出したり引っ込んだりしていたのである。
但し、著者は決して日本美術を「縄文的」と「弥生的」に分類しようとしている訳ではない…即ち「一人の絵師が縄文的な作品も描く一方で弥生的な作品も残している」…或いは「一時は忘却された縄文的な作品が再評価された」という現象を鋭く捉え、日本の美意識はあくまでも縄文と弥生の“ハイブリッド”の形として存在している事を主張しているのである。
いや、それだけではなく、古くは中国、近代に至っては西洋…と外来文化を受容し、それ等を独自の美へと昇華したのもまた日本美術の特色であり、正しくここに「日本美術の底力」がある事を教えてくれたのには非常に勇気付けられたように思う。
良質なカラー図版も多数掲載。
また、扱う絵師・作家については限定的ではあるが(若干「縄文的」美術の比重が大きいか)、一応、昨今話題の岩佐又兵衛、若冲、蕭白、芦雪、白隠、仙厓等を集めた上で王道の狩野派や等伯、若しくは雪舟にも言及しているし、更には、知名度は決して高くは無いが、この主題には是非とも必要…という絵金や久隅守景をもしっかりと取り上げてくれている。
尚、近現代に至っては明治画壇の巨匠達を初め、岡本太郎や山口晃、そして村上隆に至る迄を扱っているので、入門書としては充分だと思う。
ほんの一昔前まで、日本人はとにかく西洋美術展に殺到し、自国の美術作品には余り興味を示さない時代があったが、最近では若い人を中心に日本美術を見直す動きが出て来ている。
そんな日本美術の魅力を再発見し、理解する為の手助けをしてくれる一冊として、本書は重要な役割を担ってくれるだろう。
2020年4月13日に日本でレビュー済み
わび・さびに留まらない日本文化の奥深さを分かりやすく解説しています。写真も豊富に掲載されていること、そして、解説が平易で分かりやすいので、惹き込まれます。読後は、改めて奇想の系譜展や、縄文展、名作誕生展のカタログを見て、日本美術の世界にどっぷり浸かれました。
2022年12月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「ジャパン」が生まれるよりはるか前の、我々現代人とは一割程度の遺伝子しか関係しない先住民たちの文化を「ジャパン・オリジナル」と称して良いものなのか。
岡本太郎の時代は、まだ縄文の研究がほとんど進んでいなかった。
今は、縄文時代は争いのほとんどない、平和で自然の恵みに満ちた海と山と交易の時代であり、彼が平坦で豊かと切り捨てた農耕の弥生時代こそ、戦争と身分階級、飢饉などに悩まされた生死が隣り合わせの時代だと分かってきている。
縄文特有の表現性は、岡本太郎が夢見たような爆発や渇望、熱さなどからくるものではなく、恵みや豊かさ、暖かさの発露かもしれない。
少なくとも、「荒々しくエネルギッシュなものを縄文的」、「穏やかで質素精緻なものを弥生(日本)的」と無理やり現代の印象感覚の枠にはめて二元論に落としこむのは、かえって日本美術に対する視野を狭めてしまう気がしてならない。
岡本太郎の時代は、まだ縄文の研究がほとんど進んでいなかった。
今は、縄文時代は争いのほとんどない、平和で自然の恵みに満ちた海と山と交易の時代であり、彼が平坦で豊かと切り捨てた農耕の弥生時代こそ、戦争と身分階級、飢饉などに悩まされた生死が隣り合わせの時代だと分かってきている。
縄文特有の表現性は、岡本太郎が夢見たような爆発や渇望、熱さなどからくるものではなく、恵みや豊かさ、暖かさの発露かもしれない。
少なくとも、「荒々しくエネルギッシュなものを縄文的」、「穏やかで質素精緻なものを弥生(日本)的」と無理やり現代の印象感覚の枠にはめて二元論に落としこむのは、かえって日本美術に対する視野を狭めてしまう気がしてならない。
2020年5月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本美術全体をを縄文系(ギラギラ系?)か弥生系(しっとり系?)かで捉えた面白い論考。
たしかに日本美術についてそう言う見方ができそう。
本の基調としては「弥生系=日本美術」としがちな一般的傾向を批判しており、日本美術の凝り固まったイメージをほぐすことができる。
ある程度は美術の知識がないとつまらないかもしれないが、総じて読みやすく、教養の深まりそうな良い本と思います。
たしかに日本美術についてそう言う見方ができそう。
本の基調としては「弥生系=日本美術」としがちな一般的傾向を批判しており、日本美術の凝り固まったイメージをほぐすことができる。
ある程度は美術の知識がないとつまらないかもしれないが、総じて読みやすく、教養の深まりそうな良い本と思います。
2020年6月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
通勤の満員電車の中で、片手で吊革につかまりながら読むのに最適の本。本書の著者が本来日本中世水墨画の専門家であるせいか、中世以降の絵画を著者の独断と偏見で「縄文X弥生」に図式的に当て嵌めたもので、楽しんで読むことができるエンターテインメント性の高い書物ではある。この著者に顕著なことであるが、彫刻、とくに平安期・鎌倉期の彫刻作品への言及がいつも脆弱である。慶派の彫刻や密教の曼荼羅なども「縄文✕弥生」で説明して欲しいものだ。したがって、本書は『日本絵画の底力』とした方が適格だったのではあるまいか。
本書のような単純化された言説が持て囃される昨今の風潮に、一種のファシズム的心性の台頭を感じてうすら寒い思いをしているのは小生だけであろうか。文化事象をダイヴァシティとして理解しようとする昨今の世界的傾向に反して、本書では文化の諸相を二項対立として単純化して説明しており、時代錯誤的な印象が強い。日本文化の古層とされる縄文文化を称揚し、渡来系文化との融合の所産とされる弥生文化を貶めようとする言説に賛同が寄せられている昨今の日本の文化状況は、新たなファシズムの台頭を予感させる。岡本太郎はファシストでもなければ国粋主義者でもない!ファシズムはいつでも単純化された耳障りのより言説によって私たちに忍び寄ってくる。本書の著者は、いつのまにかファシズムのお先棒を担ぐことになってしまっているのではあるまいか。芸術は諸文化事象の華であるからだ。
そもそも、「縄文✕弥生」のような二項対立による美術の説明は、ヴェルフリンの「ルネサンス✕バロック」に由来するし、ヴェルフリン自身はニーチェの「アポロン的✕デュオニソス的」(『悲劇の誕生』)を明らかに参照している。ニーチェは『悲劇の誕生』を刊行したことにより古典文献学会を除名され狂気への道を突き進み、その単純化され誇張された言説はアドルフ・ヒトラーのファシズムを到来させホロコーストの惨劇を引き起こした。さらに遡れば、旧約聖書の「エロヒム✕ヤーウェ」にも見出せる。ヴェルフリンは『美術史の基礎概念』において、「ルネサンス✕バロック」の対比は、あらゆる時代・あらゆる地域の美術にも、そして芸術家個人の作風の変遷にさえ当て嵌められると主張したが、クローチェ等に手厳しく批判され修正したし、ルネサンスとバロックとの間に「マニエリスム」の概念が鼎立されると、この二項対立の説明は、脆くも敗れ去った。ソシュールの言語学に基づく記号論者は、現象の諸相を二項対立として理解することの方が高度な知性であると主張するが、それは記号学の価値観にすぎないのであって、実証性に裏付けられていることを重視する美術史学としては、「二項対立」に対し、ヴェルフリンが受けた批判を繰り返さなければならない。デリダ、フーコー、ロラン・バルト、山口昌男らの言説が、学問としてよりも言語ゲーム・知的遊戯として理解されるようになった昨今、一旦、オーソドックスな知にもどろうとしているのがこの10年ほどであると感じている。その後に現出することであろう新たな知の展開が楽しみではある。
コロナ禍の中、オフ・ピーク通勤が推奨されたために通勤時の満員電車が減少し、吊革につかまることさえも忌避されることとなったため、本書を読むにふさわしい場所がいよいよ無くなってきたことは誠に遺憾なことではある。
本書のような単純化された言説が持て囃される昨今の風潮に、一種のファシズム的心性の台頭を感じてうすら寒い思いをしているのは小生だけであろうか。文化事象をダイヴァシティとして理解しようとする昨今の世界的傾向に反して、本書では文化の諸相を二項対立として単純化して説明しており、時代錯誤的な印象が強い。日本文化の古層とされる縄文文化を称揚し、渡来系文化との融合の所産とされる弥生文化を貶めようとする言説に賛同が寄せられている昨今の日本の文化状況は、新たなファシズムの台頭を予感させる。岡本太郎はファシストでもなければ国粋主義者でもない!ファシズムはいつでも単純化された耳障りのより言説によって私たちに忍び寄ってくる。本書の著者は、いつのまにかファシズムのお先棒を担ぐことになってしまっているのではあるまいか。芸術は諸文化事象の華であるからだ。
そもそも、「縄文✕弥生」のような二項対立による美術の説明は、ヴェルフリンの「ルネサンス✕バロック」に由来するし、ヴェルフリン自身はニーチェの「アポロン的✕デュオニソス的」(『悲劇の誕生』)を明らかに参照している。ニーチェは『悲劇の誕生』を刊行したことにより古典文献学会を除名され狂気への道を突き進み、その単純化され誇張された言説はアドルフ・ヒトラーのファシズムを到来させホロコーストの惨劇を引き起こした。さらに遡れば、旧約聖書の「エロヒム✕ヤーウェ」にも見出せる。ヴェルフリンは『美術史の基礎概念』において、「ルネサンス✕バロック」の対比は、あらゆる時代・あらゆる地域の美術にも、そして芸術家個人の作風の変遷にさえ当て嵌められると主張したが、クローチェ等に手厳しく批判され修正したし、ルネサンスとバロックとの間に「マニエリスム」の概念が鼎立されると、この二項対立の説明は、脆くも敗れ去った。ソシュールの言語学に基づく記号論者は、現象の諸相を二項対立として理解することの方が高度な知性であると主張するが、それは記号学の価値観にすぎないのであって、実証性に裏付けられていることを重視する美術史学としては、「二項対立」に対し、ヴェルフリンが受けた批判を繰り返さなければならない。デリダ、フーコー、ロラン・バルト、山口昌男らの言説が、学問としてよりも言語ゲーム・知的遊戯として理解されるようになった昨今、一旦、オーソドックスな知にもどろうとしているのがこの10年ほどであると感じている。その後に現出することであろう新たな知の展開が楽しみではある。
コロナ禍の中、オフ・ピーク通勤が推奨されたために通勤時の満員電車が減少し、吊革につかまることさえも忌避されることとなったため、本書を読むにふさわしい場所がいよいよ無くなってきたことは誠に遺憾なことではある。
2022年6月24日に日本でレビュー済み
まずは、2019年、都美術館で開催された『奇想の系譜展』の紹介文を引いてみよう。
「本展は1970年に刊行された美術史家・辻惟雄による『奇想の系譜』に基づく、江戸時代の「奇想の絵画」の決定版です。岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳に、白隠慧鶴、鈴木其一を加えた8人の代表作を一堂に会し、重要文化財を多数含む展示となっています。豊かな想像力、奇想天外な発想にみちた江戸絵画の魅力を紹介。現代の目を通した新しい「奇想の系譜」を発信します」
同展をプロデュースした著者が、長らく日本美術を代表するとされてきた「弥生的」なものに対して、「グロ」とか「職人仕事に過ぎない」として低評価に甘んじた「縄文的」な特徴を色濃く反映する数多くの有名・無名のアーティストたちを紹介、その価値を再評価・クローズアップする。
そして、最終的には、両者をクロスオーバーする真にオリジナルな作品を、ゆくゆくは国宝にしたいと語る意欲作である。
一貫して流れているのは、岡本太郎の言葉「肝心なのは我々のがわなのであって、見られる遺物のほうではない」という価値観。
新書版の本作中にも多くの図版が掲載されるが、取り上げられる画家について言及されるその他の代表作をWEBで検索しながら読み進めると、なかなかに充実したひと時を過ごせることとなる。
巻末の「勉強するな、とは言いません。でも、せめて美術展では、絵を観る前に、その傍に添えられた小さな解説ボードを読むのはやめていただきたい」は、今一度、肝に銘じねばならない。
「本展は1970年に刊行された美術史家・辻惟雄による『奇想の系譜』に基づく、江戸時代の「奇想の絵画」の決定版です。岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳に、白隠慧鶴、鈴木其一を加えた8人の代表作を一堂に会し、重要文化財を多数含む展示となっています。豊かな想像力、奇想天外な発想にみちた江戸絵画の魅力を紹介。現代の目を通した新しい「奇想の系譜」を発信します」
同展をプロデュースした著者が、長らく日本美術を代表するとされてきた「弥生的」なものに対して、「グロ」とか「職人仕事に過ぎない」として低評価に甘んじた「縄文的」な特徴を色濃く反映する数多くの有名・無名のアーティストたちを紹介、その価値を再評価・クローズアップする。
そして、最終的には、両者をクロスオーバーする真にオリジナルな作品を、ゆくゆくは国宝にしたいと語る意欲作である。
一貫して流れているのは、岡本太郎の言葉「肝心なのは我々のがわなのであって、見られる遺物のほうではない」という価値観。
新書版の本作中にも多くの図版が掲載されるが、取り上げられる画家について言及されるその他の代表作をWEBで検索しながら読み進めると、なかなかに充実したひと時を過ごせることとなる。
巻末の「勉強するな、とは言いません。でも、せめて美術展では、絵を観る前に、その傍に添えられた小さな解説ボードを読むのはやめていただきたい」は、今一度、肝に銘じねばならない。
2020年5月24日に日本でレビュー済み
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今迄こんなに心ときめく日本美術の解説書に接したことはありません。著者が熱く語る
日本美術の深淵なる系譜に、あなたも必ずや驚嘆され、啓発されること請け合いです。
必読の名著と断言できます。
日本美術の深淵なる系譜に、あなたも必ずや驚嘆され、啓発されること請け合いです。
必読の名著と断言できます。