さて、ここで一変する。小酒井不木と江戸川乱歩の関係に。 江戸川乱歩(本名・平井太郎)は、大学在学中から、また大学卒業後、職業を実に転々としている。在学中には、活版小僧、写学生、政治雑誌編集部員、図書館貸出係、英語の家庭教師など。また卒業後は、大阪貿易商の許約1年、造船所事務員、団子坂での古本屋、「東京パック」編集者、中華ソバ屋、市役所吏員、時事新聞記者、大阪毎日新聞広告部員と言った有様だった…
三高では、1年先輩の、親友となる小酒井不木(光次)との出会いがあった。どういう契機だったのかまでは定かではないのだが。恐らく、三高の寮で相知るようになったのであったろう。不木は医科志望の三部だった。不木は稀にみる秀才だった。しかも、互いに肝胆相照らす仲となった。不木はいち早く父の素質を見抜いたのでもあったろう。父は不木にすっかり心酔してしまった。そして、それは不木の死後もなお揺らぐことがなかっ…
父は、前にも触れたように、社交家ではなかった。と言っても、気難しい孤独な学者ではさらさらなかった。円満な温厚な人柄だった。もちろん研究者としての厳しい側面もあったけれども。 父は法医学者だったから、その交友には、医学者・医師が多いのは当然だろう。父は大正5年に東京帝大医科大学を卒業している。後年は「大五医師会」の幹事役を勤めてもいた。父にとっては、法医学・血清学の恩師三田定則先生のことは生…