、西郷隆盛、静岡から川崎の先までどうやって・・・・・
東海道を歩いて見て気が付きましたが、
ネットで調べた資料に拠ると
「西郷隆盛が山岡鉄舟と府中(静岡)で逢ったのが1868年3月9日
西郷隆盛が江戸城開城に為に上京し、池上本門寺の入ったのが
1868年3月11日」とあります。
直線でも180kmある静岡から東京の池上まで2日or3日で
どうやって移動したのか、不思議で堪りません。
(東海道新幹線も東名高速も無い時代です。
東海道本線も勿論ありませんヨ)
「資料の日付が違っているよ」と言われればそれまでですが、
他に日付が入った資料が見当たりません。
爺さんも東海道を一部歩いて見ましたが、
川崎から小田原まで1日かかり、小田原から箱根の山を
越えて三島までまた1日。爺さんは此処で挫折しましたが
三島から府中まで62km(約15里)あります。
西郷どんが幾ら健脚でも、3月9日の午後、
山岡鉄舟との会談後に、府中を出たとしても、
3月11日には池上本門寺に辿りつけないと
思います。
どなたか、この辺の経緯をご存知でしたら、ご教授下さい。
府中から箱根まで早馬、箱根の山越えも馬子に引かれて
小田原へ、小田原から早馬で川崎を越えて池上へ
なら、何とかなるかも知れませんが、西郷どんの
体重では早馬は無理?
府中から横浜辺りまで官軍の軍艦?
昔、「地下鉄はどうやって地下に入れたんだろう?」って
漫才がありましたが、こっちはどうやって来たのか
悩んでいます。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
物凄く健脚で凄い体力ですね。
爺さんにはとても考えられない体力。
そのうち、本門寺にお邪魔して、3月11日の記録があるか否か
お聞きしてみましょう。
回答有難うございました。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
いずれにしても命がけで日本を改革しようとした人たちが奔走しています。
今の政治化につめの垢でものませてやりたいものです。