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よくあるご質問

回答受付は終了しました
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

人間の死についての考え方

[その他]

3ヶ月前に父を胃がんで亡くしました。
それ以来、人の死には理由があるのか考えています。

私の祖母は88歳でとても元気です。
性格は自分勝手で、周りを巻き込まなくては気がすまず、自分の都合の良いように嘘を混ぜて自分が常に正しいと主張します。

父も母も祖母に振り回され続けてきました。
養子だった父には、近所に住む妹と一緒に悪口ばかり言い、つらい日々を過ごしてきたと聞きました。

つらい思いをしてきた父には、晩年だけでも心穏やかに幸せに生きてほしかった。
しかし、胃がんになってしまいました。
長年のストレスが原因だったのではと思っています。

なぜ、祖母のような人間が悠々と生き延び、父が先に逝かねばならなかったのか。

人の死とは平等であるといいますが、私はどうしてもそうは思えなくて。
世の中の事件では「なんでこんな人が死ななくてはならなかったのか」ということも沢山あります。

皆さんはこういう事に対して、どのようなご意見・認識を持ってらっしゃいますか?
色んな考え方をうかがいたく、質問させていただきました。

(10月4日 20:16 追記:)
質問を掲載して半日経たずに、皆様の真摯なお考えや経験をコメントしてくださり、大変ありがたく思っています。
1度読んだ後、しばらくしてまたもう一度読み返させていただいておりますが、一度読んだ時より二度目の方がさらに心に響いてきます。
掲載日数は13日あるようなので、何度も読ませていただきます。
掲載日最後にまた御礼を申し上げたいと思います。

(10月12日 11:54 追記:)
皆様このような質問にご返答くださり、ありがとうございました。

本来なら、1件1件のお返事に対して私からコメントを書かせていただくのが筋なのかもしれませんが、皆様のご経験やご意見へ私が軽々しくコメントを書くことは逆にためらわれました。

「どうして、こんなに深いお返事が書けるのだろう」
と、本当に驚きました。
そして、皆様が皆様ごとに、こんなに辛い思いをご経験されているのだと思いました。
だからこそ、こんなに優しさを持ち合わせた、芯のある人になれるのかと。

皆様のおかげで、前を向くことが出来たように思います。
強く、優しい人間になりたいです。

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回答 32件

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お悔やみ申し上げます。
人は生まれたら必ずいつか肉体の死を迎えます。それが何時なのかはほとんどの人はわかりません。信じるかどうかはあなた次第ですが私の師はこういうふうに申しております。
人は男女の性別は決まっていませんが永遠の輪廻転生を繰り返します。その目的は只一つ、「魂を磨く為」である事。
そして今世の生涯は生まれる前にすべての事を自分で設定してきているという事。繰り返しの転生の中で自分の過去世の過ちや失敗をふまえ、反対の立場に立つこともあるし、今後の転生の為に今世にやっておかなければならない事等もあるわけです。例えば、幼くして亡くなったり障害を持って生まれてきたりして周りの人間の魂の向上を助ける者もいます。お父上も何かそのような使命を持っていたのではと思います。又、おばあさまは先に息子を亡くし今後の不安もあるでしょうし、人生の中でつらい思いを更に経験なさったわけです。善悪の基準で先に死ぬ順番が決まっているのではなく、自分の決めた予定の終了が死なのです。できれば生ある内にあなたも生まれてきた目的を見つける事ができたら良いですね。出来るならそう考えて自分以外の人間すべてから学び後悔しない今世を全うして生きていって下さい。お父上はきっと今はすべてがわかっています。自分の舞台から降りて初めて全てを思い出しています。今世に出来た事も出来なかった事も来世の為に経験値としては向上されています。
あなたが生と死について考えた事も何かの導きかもしれません。「気づき」がないと前に進んでいけないからです。お父上があなたにその機会を最後にくれたのでしょう。
最後に人生計画の想定外もあります。
あまりに時代的に早く進みすぎた交通機関による不慮の事故と人生について考えなさ過ぎる為に悟りが全くない事が原因の例えば、自暴自棄やそれが元で起きるウツ病などによる自殺です。
真っ直ぐ前を向いて正しく生きていく事を考えていれば、生と死についての疑問は解消されていきます。 頑張って下さい。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

生あるもの死ある。これほど 真摯な言葉はないでしょう。人間はすべて器量で生きています。 もうこの世にはいない人にとっては 器量で生きていました。 いろいろな 因果関係があって それぞれの命です。 死を云々するよりも 今こそ命あること実感です。 生について考えることが 去っていった人への供養になるのではないでしょうか? 如何に生きるべきか・・そういった時 貝原 益軒の養生訓を今一度紐解いてみるのもいいかもと・・・
 http://home.att.ne.jp/theta/mo/you/zenbun.html

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は十数年前あるとんでもない出来事に遭遇しました。最終的には死をも考えました。でも納得がいかないので死を簡単に受け入れる前に最後のあがき?をしていました。そんなときある作家の著書を目にしました。それからというのは事実は小説よりも奇なり!以上のとんでもない偶然の連続で読書体験と実生活で鳥肌が立ちっぱなしという状態でした。著書が何かもし興味があれば直接お知らせします。私なりに解釈していることは、人生には全て意味があること、原因があって結果が起こること、少し飛躍するかもしれませんが、馬鹿は風邪をひかないとといいますね、馬鹿はこういうことをしたら風邪をひくという概念そのものが極端に少ない、言い換えれば常識がないのです。一般の人は常識でそういうことをすれば風邪をひくだろうと・・・思いは実現して風邪をひきます。書き込みをすればきりがありません。なにかひらめくものがあれば、メール下さい。著書を読めば疑問が氷解するかも?・・・私は自分が抱いていた疑問がその作家の本でほとんど解けました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

輪廻転生を信じる当方には、周りに迷惑を残さず、苦痛無く死ねたら、何時、何処であれ、大往生だと、信じますね、また、転生で、遣り直していると、信じるから、ですね

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

小生、昨年(2007年)6月南米のインディオ、カヤポ族酋長ラオーニ氏とのご縁があり、広島でのカヤポ族の生活様式の展示会がありました。
質問者及び、回答者に対するコメントとして、読んでいただくのではなく。
インディオの死生観の一部を、ご紹介いたします。
 まず、人間は死を迎えても、肉体は滅んでも魂は永遠に生き続けている
認識です。  彼らの基本のなかに、先祖に対し、七世代前の先祖と対話をし、自分より七世代先の子孫のことを考えながら、物事を決めていくこれが、仲間にたいする基本理念です。
彼らの生活の活動には、精神面において、日本の仏教界で修行する僧侶よりも、これを遥かにこえる、厳しい生活活動をしています。
何故か?熱帯森林での生活は、気をゆるせば即、死がまっています。
彼らの生活には、死はみじかに存在しているものなのです。
    よって、成人した女子は、大きな集合住宅の一部をしきり、光をとざした部屋に、1年間生活します、よって、1年後は、色白の肌のいろをして
暗闇の世界からの修行の完成をよろこびます、何故か、集落から一歩はみだすと、自分の世界で問題を解決しなければなりません。そのとき、自分みずからの脱出をこころみなければならないのです。
男子のばあい、呪術師の指導のもと、かなり強烈な毒の薬草を食べ、この苦しみからの脱出をはかります。時には命をおとす時もあるそうです。
    彼らの「ことば」には、幸せとか、不幸という、言葉がないそうです。
    日々、全力をつくし、せいいっぱい生きて行くとのことです。
    かれらには、じぶんが、自分がなく、みんなで、皆でとの掛け声のも
    と、仲良く生きて行くが、基本理念です。
      詳しくはインターネットで(熱帯森林保護団体)を検索してください
      ここで、質問者に一言、仏教でも説いていますが、肉体での親子
関係と、精神面での親子関係が、この世で実在しております。
あなたの場合、お父上とは、肉体での親子であり、精神面での親子でこれは非常に、まれなことです。 お父上さまの魂は、いつでもどこでも、貴女様とご一緒でございます。  つねにねこころとこころの対話なさってください。  決して、祖母さまを、どうのこうのと、執着心をもってこころに止めないでください。 この方は、この方です、精神面での祖母ではないとご理解されればと、おもいます。  要するに他人さまと同居していると解された方がよろしいかと、  他人たいしては、決して中傷しては、いけない、いい所を賞賛(褒めてあげて)してあげてください。
どなたも何かひとつ、いい面をもっておられると、おもいます。
     インディオの人間としての理念は、ここに帰依いたします。
     よろしく、お願いいたします。       合掌
                             Golgo13

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

「生き物」は、必ず「生き物」でなくなるときが来ます。
それは、生き物となった宿命なのです。
簡単に言ってしまえば「生まれたら死ぬ」ことは当然のことです。
「四苦八苦」とよく耳にしますが、人生はすべてこれに当てはまります。
「生きてることは、苦しいことだ」
この中に、少しでも「幸」を見つけることができたのなら、それで良しとし
なければいけないと思います。
「欲」があるから、「あの人は何歳まで生きた」とか長生きをした人を基準
に考えてしまいますが、この世に生を受け、わずかな寿命で他界していく
者たちもたくさんいます。
私は仏教徒ではありませんが、ある寺の住職と子供の頃、問答をしたこ
とがあります。
「仏教って、仏(亡くなった者)では、何も教えることができないではないか?」
とのとんちんかんな問いに
「亡くなった方の生前を見聞きし、生きる糧とするのが仏教である」と子供相
手に答えてくれた住職の言葉を今もはっきりと覚えています。

自己中心とは違いますが
「己が生きている」ことを主と考え、その他はすべて「己の糧」だと思い
「生かされること」から脱してください。
新しい扉が開かれます。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死を論じることよりも 今こそ生きている命を大切にしつづけたいものです。
それが 死別した親しい人への最高の誠意だと思うからです。時の流れは無常だけど 有情それが 永遠の魂。 生きてし命 一生青春の志。

青春
サムエル・ウルマン 宇野収、作山宗久訳 三笠書房
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青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

人は死ぬために生まれてくるのではなく
子孫を残す為に生まれてくるのです^^
役目を果たしたら・・死んでいくのは当たり前

悲しむんじゃなく・・・笑って天国に送ろうではないですか^^
動物は可哀想ですよ
人間に食べられるために・・・死んでいく
悲しいじゃありませんか::::

人間なんて幸せでしょ@@

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お父様のご冥福を心からお祈りいたします。
私の父は、難病で69歳でなくなりました。
父は1歳で、肺結核で父親に死なれ、母子家庭で貧しく、
その後、戦争の暗い少年時代すごし、学歴もなく、でも一生懸命に働き、難病で苦しみ、なんて不幸なんだろうかと思います。
夫の父母は私からすると、すごく意地悪です。
癌になっても、ずっと健康で生きてます。
なんて不平等なの。でもこれが現実です。
神も仏もないと思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は「死」には理由はないと思います。
「生きる」事に理由があるんだと思います。

私は今まで「死」をすごく恐れていました。
自分の死も、大切な人たちの死も・・・。
でも、大切な人たちの旅立ちなのだと思うようになったときから、「お疲れ様でした。ありがとうございました」と、
言葉を掛けるようになりました。
そして自分の死も恐れなくなっていました。
それはある16歳でなくなったジョン君の言葉
「人生で大切なのは長さじゃあない。どう生きるかだ」
その言葉に感動しました。
それから私は「後悔しない人生」を心がけています。

私の父はストレス知らずでしたが、胃がんで全摘手術をしました。
考えすぎです。
悪口をいい合える妹さんがいたじゃあないですか。
あなたのような優しい娘も・・・。

皆さんのおっしゃるように、早くあなたが笑顔で人生を送る事が、お父様の願いです。
あなたもなくなって、今のままのあなたでお父様とあったら、
お父様がっかりするんじゃあないですか?
「よくやったね」って言われるように、
胸をはれる人生にしていきましょう。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

生も死も選択できない!

 そう考えます。

父は40歳で亡くなりました。
娘は誕生前に天使になりました。

心優しくたくさんの使命を果たした人は天上人になれる、
もっともとっと鍛錬が必要な凡人は今生で生きる辛さを知るべき・・・

今はそう考えています。

大宇宙の中の小宇宙の私たち小さな人間は、
道端の草花や浜辺の砂や大河を流れる一滴と
何も変わらない存在です。


ゆっくりゆっくり深呼吸〜〜〜

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

回答にはなりませんが自分への回答として、書いています、

人生は本質的には不公平です、私の叔父が現在癌にかかっています、その叔父はものすごく優しい人で人に凄く尽くす人です、皆が認識しています、だけどこの前、云っていました、人に尽くしても必ずしも自分が尽くして貰えるとは、限らないなーと、

仏教では、罪人も救われると言います、過去、現在、未来三世生きると云う言葉もあります、私は比較的この言葉が好きです、現世では不幸でも三世平均すると、人は皆 幸、不幸の値は同じです、三世でなくても現世でも平均すると幸、不幸の平均は同じと思います、
やはりいい行いをすれば、いい報いが返ってくる事を信じています、それにいい事をすれば気持ちが良く幸せな気持ちになれます、人に悪く当たって幸せになる人はいないでしょう、それでも悪くするのは、その人がそれ以上の不幸を抱えているのではないでしょうか、
自分の事で言えば何で自分だけがこんな苦労をするのか悩み、悶える時がありますが、その時間はとてつもない不幸の時間です、ある程度の諦めと、来世への希望で心を安らぐ方が幸せです、
人の幸、不幸は相対的な比較でもあります、例えば病気が治った瞬間は凄く幸せな気分になります、しかし暫くするとさらなる、欲望が沸いて来て、それが達成されないと不幸な気持ちになります、
私はマザーテレサさまを凄く尊敬しています、身を挺して可哀想な人に尽くした人です自分の全人生総てをです、そんな人は滅多には、いませんが仏、神だったのでしょうか、だけどそこまでの人はいなくても優しい、人は沢山います
祖母を許してあげて下さい、そして貴方の心が安らぐ事が必要です、そんな意地悪い祖母はきっとつらい過去をお持ちです、
お父様思いのやさしいあなた、良くお父様の供養をしてあげて下さい、あなたがその経験をもとに人に優しく、悪口も言わない、そうゆう生き様が供養になると、思います、あまり思い悩んで苦しんでいる貴方をお父様がみておられて悲しんでおられるでしょう、
未来世でお父様は幸せに暮らしておられると思います、

私の父も養子でした、祖母、祖父には私が小さかった事もありましたが、優しくしてあげなかった事を後悔しています、

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

人間の死について

当たり前のことですが、我々は有限の存在です
あなたも、わたしも、この世の人
全て 必ず死んでいきます

始まりは分かるけれども
いつ、どのようにして、終えるのかは
自分自身でさえ、判明しません

大切なのは、長さではないと思います
どれだけ長く生きたか、ではなく
どのように生きたか、が重要ではないでしょうか

あなた様は お父様がつらい人生だったと思っていらっしゃるようですが、こんなにもお父様想いの娘がいらして
つらさを差し引いても、余るくらいの果報者だったと
天国で満足なさっておられるのではないでしょうか

人はそれぞれの定命(じょうみょう)があるとも申します
健在のおばあ様の定命
先立たれた、お父様の定命
それぞれの持ち時間をまっとうするだけのこと
長さだけでは 人の幸せは計れないと思います

これだけは言えます
お父さまは あなた様を娘に持てて幸せだったに
違いありません

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

あなたのご質問・懐疑は「温厚篤実な父が先に逝き、身勝手で狡猾な祖母が長寿を謳歌し、こんな理不尽・不平等があっていいのか!」さらに「亡父の晩年及び死期が、いわば祖母のせいで不幸の極みにあった」等々の、いわば怨念のように聞えます。
 確かに生命の量と質(人格)の不均衡・不平等は誰しも一瞬、不条理と思うものですが、死は「生の一部」であり、人間が生命体である以上、寿命は人事の及ばぬ、いわば宿命です。
 あなたの無念さも共感できますが、亡父と祖母の関係という狭い次元での思い込み?に過ぎないと思います。
 でも晩年及び臨終期のご尊父の「生」の回想の中に祖母への「聖なる赦し」のみならず、それ以上の「己の輝かしい生の極み」を想起しながら逝かれたことと推察します。少なくともあなたには、そのように信じて欲しいと願います。
 臨死状態の受容とは、そのようなものと私は確信しています。また死の理由という問題設定は、「何かの為に」死ぬか「何かから逃れる為に」死ぬかの択一か双方と思いますが、それは自死か自決の次元で、病魔等による自然死には理由はあり得ません。
 今後は、あなたのご尊父への慈愛と惜別の情を低意としながら、あなたご自身のクオリティ・オブ・ライフをさらに充実されることを祈念いたします。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お父様のご冥福をお祈りいたします。

「憎まれっ子 世に はばかる」です。

長生きすること自体に、
何の意味も有りません。

どれだけの人に、
素敵な思い出を残せてあげられたかの方が
長生きする事より、大事だと
私は思います。

投稿文を読んだ、通りすがりの者が
こんな言い方をするのは、
大変に失礼かと思いますが、
言わせてください。

おばあ様は、元気で長生きしておられるのに
お孫さんからは、「父より先に亡くなれば・・。」
と、納得いかないご様子です。

この状態は、おばあ様にとって、
十二分に不幸で惨めであると私は思います。

長生きは出来なかったけれども、
こんなにも自分のことを
思ってくれている娘さんを持ったお父様は、
ものすごく幸せだと思います。

今は元気であっても、
おばあ様は介護をされる日が来るかもしれません。
その時に、投稿者様は、親身になって
真心を込めた介護をしてあげる気持ちなど
持てないのではないでしょうか?
だとしたら、やはり、おばあ様は、
不幸せだと思います。

また、きつい言い方になってしまうかも知れませんが、
お父様とお母様の両方ともを
介護をしていかなければならない状況になった時に、
お父様を既に看取って置いて
良かったと思う日があると思います。

介護は、赤ちゃんの面倒を見るような事を行います。
しかし、気分は全く違います。
病気等のない赤ちゃんであれば
すくすくと成長し、やがて
親の手を離れ、立派に成長して行きます。
簡単に言うと、明るい未来に皆で進んで行きます。

(お年寄りに対する)介護は、違います。
治って、以前のように元気になるであろう人の
期間限定の介護はまだ張り合いがあります。

延々と続く介護に耐えられますか?
まじめな人ほど、自分の介護の姿勢を気にして、
今度は自分が病んで行きます。
それほど、介護は大変です。
自分の生活で、手一杯でも、
介護をされる立場の人は、
介護をしてくれる人がいなければ
何も出来ないのです。

介護をする人も、介護をされる人も、
いずれにも苦しみが伴うのです。

何か、支離滅裂になってしまいましたが、
どうぞ、お父様と過ごした
楽しかった日々を思い出して、
出来ることなら、なるべく深く悩まないで下さい。

人は生命が宿った瞬間から
誰もが死に向かっているのです。

この世で、ただ1つ
絶対という言葉が使えるのは
人は必ず死ぬということだけです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お父様の逝去に心よりご冥福をお祈り申し上げます。

jessyさんも言って居られますが、お祖母様は本当は幸福かどうかは外見では分かりませんし本人の性格・性質で誰にも言えなくて寂しくて哀しくて心細いから周りの人をついつい巻き込みたく思ってるのかも知れません。
長生きだから幸福か?短命だったから不幸か?ナンテ誰にも分かりません。
気が進まないとは思いますが、お祖母様とゆっくりと話し合ってみれば相手の見えない面も見えるかと思いますので、どうか努力してみてください。
自分の両親も父親が私が大学3年のお盆に亡くなり、母親は私がやっと働き始めた26才の7月に亡くなりました。
そう言う私自身も約7年前に大病を患って今も通院・治療を継続してますが、元気に仕事も趣味も大いに楽しくやってます。
いつも思うことですが、一般に言う処の「あの世」とか「天上界」が仮にもしあるなら私の両親もそこで元気にやってるのかナア〜と良く想いを馳せたりしてます。
私も年齢が年齢だけに、あの7年前に重大な事になってたら「あの日が命日」になってかも知れませんので、今は全てに感謝と恩を忘れないで居たいと本当に願ってます。
今でも思うことですが、もっともっと両親といろんなことを話しておけば良かったのにと今更のように思います。
ではまた宜しく!

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

大きな部分から、命を見詰めたら良い様に思います。
数十億年という過去に、原始の生命が地球に誕生し、
寿命という代わりに、進化を手中に収めました。
その途中、一度も、途絶える事無く、今の私たちへ、
命が、届けられました。
遺伝子を、逆にたどれば、必ず、原始の生命へと、
たどり着くものと思います。
自分の先祖の遺伝子の一部を、受け継ぎ、そして、子孫へと、
自分の遺伝子を送り届けます。
一人、一人の儚い人生を積み重ね、命を遺伝子の鎖でつなぎ、
自分自身の一部が、未来へ届けられる訳です。
お婆さんがいて、お母さんがいて、お父さんがいて、
そして、自分自身が、いるわけです。
膨大な時の流れに、一瞬に、終わってしまう人生です。
我慢さえも、一瞬の出来事なのかもしれません。
でも、命は、自分自身で途絶えてしまわなければ、
未来永劫、遺伝子の鎖につながれ、
永遠の時を生き続けるものと思っています。
以上 by ヒロ

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

DNA・・・気楽に生きる人・・・
問題意識のない人は長生きしますね。
人生の扉を開く「万能の鍵」・・サンマーク出版・・に
「私達に起こることは、、意識的にせよ、無意識にせよ、
私達が招き寄せている」と有りますね。
やはり考えすぎないことです。
それと、死は再生の始まりですよ。
改めて新しい生を・・・求めたのでしょう。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は父を7歳で無くしています。戦中だったので苦労はしました。姉も23歳へ花の様に散りました。母は認知症が出て殺してくれといいながら83歳まで生きました。戦争中には、目前で沢山の死を見ました。
私は今、信長の言う生まれたら死ぬ。 そして又生まれると考えています。輪廻転生の研究も沢山有ります。日本は遅れていますが。唯貴方の言われる順番が違う時は本当に無常を感じます。私の兄になるはずの人は3ヶ月で死にました。
そんな事で88箇所参ったり、般若心経を毎朝唱えて心の支えにしています。自分の死については、生かせて貰ってる間に早死にした、家族の分まで元気で楽しく生きるのが供養だと思っています。最近は墓参りもしない方が増えました。悲しい事です。ちなみに私は僧侶では有りません。オールド技術者です(72歳不良)

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は養子で養父は今年の3月に亡くなりました、又最愛の妻も6月に亡くしました。生前養父にはいろんなことで不足ばかり思っていました、でも今はよき日のことばかり思い出します。妻は56才の若さで他界しました。私と養父のあいだに、挟まってつらい思いばかりさせてきたような気がします。短い時間だったけれど二人のよき娘が授かり幸せの生活があり良い人生だったと思います。あなたのお父さんも辛いことばかりじゃなくきっと楽しいこともたくさんあったと思います。この事はお父さん自身が一番わかっていることだと思います。人間最後のときはあらゆること、あらゆる人に感謝すると思います。まとまりのない回答になってごめんなさい。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

小生意気かも知れませんが、お許し下さい。

交通事故であろうと、孤独死であろうと、家族に見守られての死であろうと、大差ないように思えます。
生き方、人格に関わらず、「死」は平等だという事ではないでしょうか。

人は人に対して、あんな生き方をしたのだから、こんな死に方をすればいい、とでもいうような「裁き」を「したい」ような無意識な部分があるように思えます。
あの人は立派な人だったから、こんな死に方をして欲しい。
この人はそうではないから、こちらの胸のすくような死に方をすればいいという想いが、人の深層心理にあるとすれば、も
しかしたらそれは恐ろしい事かも知れません。

「人の死」にどんな形でも関わってはいけないと思います。
「無関心」も人を殺すといいます。
あんな人が何故長生きをするのかと、疑問に思う事自体、避けなければならない事ではないでしょうか。

今、この瞬間にも、生を受けて、1分後には母親の涙に濡れて旅立つ生命が、地球の上にはどれほどあるでしょうか?
戦争の絶えない国では、生れ落ちた時から、逃げ惑う人生でしょうね。
生まれた事、それ自体が奇跡、素晴らしい事。
そんな存在がこの瞬間だけで64億、ですか。

人がこの世界に誕生してから、一体どれほどの数の人達がいたのでしょう。アダムとイブの時から、今に至っても悩み、疑問は繰り返されるでしょうね。インターネットも解決はしてくれない。

理不尽な事は避けられません。人がいる限り。
多分、人を「愛する」というのは、感情ではなく、「意志」ではないかと、最近は思います。「良い人だから」愛するというのは、愛していないような気がします。それは「好き嫌い」のレベルだと。

そう考えると、周りの誰かがあんな人、こんな人という事とは関係なく、自分はどうなのか、他者を引き合いに出さず、「意志」を持って人を愛する、許せる自分であるかどうか。身近な出来事に左右されず、生きていく時、何に基盤を置いているか、何を信頼して生きるか。
そんな感じがします。

お気を悪くされないで下さいね。
失礼しました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私の父も、60歳、還暦を迎えてすぐに亡くなってしまいました。
すぐれた医療人で、たくさんの患者さんを救ってきた人なのに、なんでこんなに早く死ななきゃいけないんだろう、とすごく悲しかったです。
一方、ろくに仕事もせずに、生活費を全部私たち長男夫婦に出させている義両親は風邪ひとつひかずに元気な毎日です。
誰が早く死ねばいいとかは思いませんけど、神さまは不公平だなあ、って本当に思います。
でも、これがいわゆる「運命」なのかなあ、って思います。
人間は、何をしても、どう思われても、最初に与えられた寿命しか生きられないんだなあ、って思います。
いいことをすれば、ポイントがたまって長生きできる、なんてシステムではないんですね。
そして、死んだら皆同じです、「生前は素晴らしかった」なんて言ってもらっても、当人には聞こえないし、何の意味もないんだと思います。

「どうせ死んじゃうんだ」

後ろ向きな解釈ではなく、前向きに解釈して
だったら自分がいつか死ぬまで、せめて自分は「いい人生だったかも」って思えるように、めいっぱい生きてやりたいと思いました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

人の死には理由があるのか?
そう、すべてのことには理由があるものと認識しております。
ただ、すぐにはその理由がわからないだけではないでしょうか。
良い人、悪い?人は、自分にとっての良い悪いではいけないのではないでしょうか。
悪い人?と思っていても、すべてが悪いわけではないでしょう。
逆に良い人と思っていても、誰からも良い人とは限らないと思います。
そんな時、一度自我から離れる必要があるのではないでしょうか。
そして、現実を受け止めて、良いと思う世界を作り出しましょう。
そして、理由は、死んでから神様に聞きましょう。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は人の死は平等だと思っています。
生まれることのできなかった赤ちゃんも、1歳で死を迎えなければならなかった幼子も、辛い人生を生き抜いて100歳で死を迎えた老人も、
それが不慮の事故であろうと、寿命であろうと、自死であろうと。

死に至るまでに幸せだったか、不幸せだったかということは、永遠の安息という死を迎えた人間にとってはどうでもいいことで、
残された人間にとって重要なことなのだと切実に感じます。

私は二年前に子どもの一人を事故で失いかけたのですが、奇跡的に一命を取りとめ、今も生きています。
私のこどもは、「たまたま」生きていたけれど、
同じ状況で助からなかった子どももいたと、主治医に聞かされました。
私の子どもが助かって、その子が助からなかったのには、何の違いもないと思います。
私の曾祖母は、子どものほとんどを戦争で失っても95歳まで生きなければならなかったし、
祖母も、「生きていたってナンもいいことない」と言いながら92歳まで生きていました。

「長生きをすること=幸せ」ではないなら、
いくつで死ぬかで、その人の幸せ、不幸せは決められないのではないでしょうか。

私は、7歳でこの世を去るかもしれない状況にあるわが子を前ににして、この子は生まれてきて良かったのかと何度も思いました。
私としても、子どもをこんな辛い目に遭わせるために産んだつもりはなく、
予想もしていなかった事態に対して、どう対応していいのか分かりませんでした。

でも、思ったんです。
もし、ここでこの子の命が尽きたとしても、
この子が生きていた時間は絶対に無駄ではないと思うことにしようって。
幸せな毎日だけを過ごしたんじゃないかもしれないけれど、
少なくとも、私にとって、幸せをもたらしてくれる存在でしたから。

お父様は、亡くなるまで決して不幸で辛いだけの人生を歩まれたのではないと感じます。

生と死は常に紙一重で、どちらも特別なことではないと思いながら、私は生きています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

人間は死ぬために生まれて来る。死に際してあの世に持って行けるのは思い出だけ・・・だからクヨクヨせずに楽しい人生を精一杯生きて『あ〜楽しかった。皆さんありがとう・・』と云って死んで行きたい。そう思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お悔やみ申し上げます。肉親の死は つらいですよね。 私の経験上 ストレスの少ない人は 長生きするようですね。そのためには、ストレスを貯めない性格とか、生活を造るのがいいですけど、欲とか見栄とかが、邪魔します。それらも寿命の一部ですよね。 お父様はあなたの細胞にいるのですから、あなたが、お父様の心を引き継げばいいのですよ。くよくよしないで、あなたが喜んで生きるのをお父様は望んで、いますよ。親というものは、そんなものですよ。^0^

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お父様のことお悔やみ申し上げます。

私も昨年父を亡くし、同じような思いをしたのですが、皆さんとちょっと違った角度から、コメントさせてください。
父(83歳)が、亡くなり会う人会う人10人中10人に言われました。「本当によく看病してくれてありがとうお父さんも喜んでいるね」と病院の師長さんにも「思い残すことないね」と言われました。私は長いこと看病していたので、みなさんに、そう言っていただきましたが、身近で見ていたものは、ああだったら、こうだったらと何かしらの後悔があると思います。身近だからこそ後悔があるのだとと思います。妹などは離れて暮らし、看病することもなったのにすっかり満足しています。あの方が元気なのになぜ私の父だけがという思いは、誰にでも、多かれ少なかれあるものかと思いました。

また祖母様のことですが、あまり決めつけすに、いろんな人の話を聞いてみることをお勧めします。物事にはいろんな見方がありますし、見る人が違えばまた違った意見もあると思います。あなたのおばあちゃんですから、大事にしてあげてください。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

最愛のお父様を亡くされ、心からお悔やみを申し上げますと共にお父様のご冥福をお祈りいたします。

あなたの質問に対して、多数の方がやさしい言葉をかけて下さいましたね・・・
皆様の回答を拝見して、私も感動しております。

処で、私の場合は、特定の宗教ではなく、神仏の存在と霊魂の不滅を信じていますので、多くの方の回答とは違う点があるかも知れません。

さて、[死は平等だ」というのは、どのような人間にも、何時か必ず死が訪れるという意味で、死に方が平等という
意味ではないと思います。

どう言う訳か、すべての人間は最初から、あらゆる面で
不平等な生まれ方をします。不平不満を言っても、どうにもならないのです。これを宿命というのではないでしょうか?

「因果応報」と言う言葉があります。ご祖母様にも良いことばかりでなく、それなりの苦しみがあるはずです。

どなたか、丹波哲郎さんの作品[霊界」のことに言及しておられましたが、死んでみないと、あれが正しいかどうか分かりません。死後は無だと考えるとむなしい気持ちになります。死後の世界が存在すると考えた方が楽しいではありませんか。

いつまでも、お父様のことを嘆いておられず、お父様の
霊が、あの世で安らかに過ごされるように、供養してあげれば、きっとお父様もあなたに感謝し、満足なさると思います。

応援して下さる方が、こんなに沢山いるのですから元気を出して下さい。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

あなたのお父様は不幸だったと、誰が決めたんでしょう。
あなたが勝手に、つらい思いをしたと考えているんではないですか?
人は死ぬために生きている、と言うのが私の持論です。
ですから、死の理由なんてありません。
どういう生き方をしたかが、その人の人としての最大の存在理由でしょう。
これは人によって違います、かかあ天下が合う人もいます。
また、亭主関白を押し通す人も・・・・。
あなたのお父様は恨みつらみを残されたまま、ご他界されたのですか。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お父様のご逝去心からお悔やみ申し上げます。

僕も7年前父を、そして今年5月母を亡くしました。息子にとって母の死はかなりきつい物があり、悲しいのは勿論ですが不安で怖くて知らない街にひとりで置き去りにされたような心細さを感じました。本当に悲しいと涙も出ない物ですね。

死の問題は難しいですね・・・
僕の父と母も幸薄い人生だったと思います。確かに勝手気ままに生きてきた人がのうのうと健康で長生きして、徳の高い優しい人が損ばかりし、辛い目にばかり会うということはありますね。

確かに一見不平等に見えますし僕もそう感じることがあります。でも、僕はやはり死は誰にも平等に訪れる神の意思みたいなものかなと思うことがあります。どんな形であれ人は死にます。ひとりで死にます。これは誰もが同じ。

そして「時間」も平等だと思います。どんな人間でも1日は24時間で1年は365日だし・・・・

身も蓋もない意見ですが誰も生きることに目標なんか持ってないと思います。唯一あるとすれば「死ぬ」という目標があるだけです。1日1日はどんなに無意味に思えてつまらなくても、その日々が積み重なってできた年月には絶対に尊い意味があると思います。第3者にはどんなに退屈に見える人生にも意味があると思うし、軽く扱える人生などないと思います。

最近、若者の自殺が増えています。彼らは一様に「生きてるのが辛い。嫌なことばかりだ」と言います。あるお坊さんがそんな若者にこう言ったそうです。
「そうだよ君のいうとおりだ。生きていると自分の思い通りにならないことばかり、嫌なことばかり、辛いことばかりだ。それでも僕は君に生きていてほしい。理由はない。僕の思想だ。

嫌なことばかりの人生だけど、それが生きていくということなんだよと・・・・僕もそう思います。答えになってないかも・・・ごめんなさい。

「幸せ」というのは物ではなく、能力だと思います。目の前に起きていることから幸せを感じる能力がその人にあるかないかということだと思います。「幸せ」という具体的な物があるわけではないとも思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

誰かの詩に
あなたがつまらないと思って過ごしている今日一日
退屈だと思っているこの時間

昨日、死んでいった人が、生きたくて生きれなかった
1日なのですよ

というのがあります。

詩の詳細は忘れましたが、とても心に響きました。
生きていることを大事にしなければと思いました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

質問の回答にはなっては居ないと思いますが、どうぞおばあさまを大事になさってください。どうあろうと・・・・。
なくなられたお父様には、おばあさまをあなたが大事にされることをのぞんていらっしゃるのではないでしょうか?
私も同じような境遇にはありますが、嫌な思いをしたときには、「これも修行、修行、これが自分の功徳に!」と念じることにしています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

おっしゃりたいことは心情的にとてもよくわかります。なぜなら私もかつてそのように思った一人だからです。

私の父も大変な苦労人で、周りの人から生前の父親のエピソードをいやというほど聞かされていました。
家庭内でも、ああ、苦労したんだなあということが言葉や態度の節々に表れていました。
そのような愛すべき父でしたが、私が大学4年の秋に、仕事から家に帰ってくる途中、家までほんの少しの家の前で車にはねられてなくなりました。即死でした。私はそのときは京都にいましたので、父親の死に目に会うことはできませんでした。それがいまでも私の心の中でずっと負い目になっています。

私はそのときに理解というか納得しました。

死ぬ時期や死ぬきっかけは、残念ながらその人が生前にどうであったかと全く関係がないことを。

先刻承知のことと思いますが、みんなに慕われた人が必ずしも長生きするわけでもないし、嫌われ者が早死にするわけでもありません。

人の死はいつ訪れるかだれにもわかりません。そういうものなのです。

良い生き方をした人は天国に、悪い生き方をした人は地獄に行くといわれていますが、そんなことがあるわけありません。これは、残された(生きている)みんながそうであればいいなと思っているだけで、死んだらそれでおしまいです。土に戻るだけです。

輪廻転生という言葉があります。

私の解釈では、それは死んだら土に返り、そこからまた新たな命というか生命体というか何かが再生することを表現しているに過ぎません。こんなことは偉そうな表現をするまでもなく当たりまえのことです。
人が死んで土に埋まり肥料になり花や草が育ち、それを動物が食べ、最終的には人が食べ成長します。
つまり、死んだ人がまたある人の体の一部になるということです。

Man is mortal.ということわざがあるように人は必ず死にます。遅いか早いかだけの違いです。それだけの違いです。

だからこそ、いい人、愛すべき人に対してはその人が生きているうちに喜んでもらえるようにその人に精一杯愛情を注ぐことが必要なのです。後で、そのうちと思っていると、その人がなくなったときに泣くことになります。お葬式などで、人が亡くなったときに泣く人は、その人が生きているうちにたいしたことをしてあげなかった罪深い人です。

どのような人がいつ死ぬか、そして死に様はどうかなど、人間が予知することはできません。
そのようなことを考えても意味はありません。

それよりも、お互いが生きている間に精一杯、愛すべき人には愛情を注ぐことです。

P.S.
ここで、たくさんの人がコメントを寄せてくれていますが、どのコメントも私の父が亡くなった当時の私の気持ちを癒してくれるものは見当たりません。プロのお坊さんの読経も何の役にも立たなかったくらいですから。私が仏教を信じられなくなったのはそれからです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お父様の事本当に辛かったですね。

私も去年に実母を亡くし、
周りにいる理不尽な人たちを見ては憤りや
貴方と同じように、何故私の母が?どうして?
と母の死を悲しみました。

今は「ありがとう」と心の中でいつも感謝しています。
そして、私たちにとって母との別れは辛く悲しくとも
母は、若いころからずっと弱く、それでも何があっても
気丈に接して一生懸命生きてくれたことを考えると、
「やっと楽になれたね。。」と思わずにはいられませんでした。

貴方のお父様も、祖母様の面倒を大変な思いで
看てこられたとの事。
本当に御立派だったと思います。

何より貴方がお父様を愛していらっしゃったという事がわかります。お父様もきっと、そんな貴方がいたことに感謝されていると思います。

今はまだ悲しみのあまり、色々と考えてしまうでしょうが
お父様に、「立派だったよね。安らかに。。」というお気持ちで手を合わせられる時がいつか必ず来ると思います。。

 それまで。。頑張ってくださいね。。応援しています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

人の運命。
 私は神は信じてはいないのですが何かの本に次のような一節が載っていました。例えば、ある人が車でA地点まで行くとします。右に行くと近道だけど細い道、左へ行くと遠回りだけれど広い道、いつもは近道を行くのだけれど今日は何となく広い道を行きました。後で知る事になるのだが丁度その時間狭い道で大きな事故が有り死者が多数出たとの事。これを人は運が良かったと捉えるが、これは誰と誰が事故に遭うと神が決めて始めから分かっていた事と捉えれば何か納得がいくと思いませんか?人の一生(長さ)は始めから決まっている。その事に納得がいくような気がします。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

永平寺に行った時、内部見学として、階段の多い
寺の中を見学した。
周囲の壁面には、いろいろな、格言なのか
教えなのかはわからないが以下のように
書いてあった。

”人は若くして亡くなる人、年老いて亡くなる人が
 いる。
 人生の価値とは、短く生きたか、長く生きたか
 ではなく、いかに輝いて生きたかで その
 価値がきまる。”

と、書いてあった、短命か長寿かでなくいかに
輝くとは、日々充実した生活をおくりなさい
との事と解釈した。

永平寺:福井県にある曹洞宗の総本山

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

まさにその通りだと思います。

自分が何のために生きているかハッキリと答えれる人は、
いつ亡くなっても悔いはないと思いますよ。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

はじめまして

お父さんのご冥福、心よりお祈り申し上げます

私は仕事柄、いろんな方に出会います。そして、いろんな方の晩年を見聞きします。

私自身は・・・
人の死は、決して平等には訪れないものだと思います
でも、同時に寿命の長さだけが人の幸せを決めるものだとも思いません

有り余るお金を持って、24時間ヘルパーを付き添わせて身の回りのことをすべて人にやってもらう晩年を過ごしていた方の心の中が、平穏で幸せなものではなく、孤独と不安に覆われていると知ったとき

生活保護を受けて、着るものも食べるものも必要最低限のものしかない中でも、ご夫婦が互いの顔見ながら穏やかに笑っている姿を見たとき

人の幸せは・・・周りの環境でも、お金でも、地位でもなく、心の平和と穏やかさが決めるのだと感じます

あなたのお父さんは、病気によって早くこの世を去ることになったかもしれません。そのことだけをとりあげたら、お父さんは辛い最後を迎えたとやりきれなくなるかもしれません。

でも、間違いなくいえることはそのお父さんには「晩年は、心穏やかに幸せに生きてほしかったと願う娘がいた」ということではないですか?あなたの想いは、お父さんの心に安らぎと平和な時間をもたらしていたと思います。それは、きっとお父さんの幸せに繋がっていたと思いますよ

お父さんが、この世に存在する時間が短かったとしても、この世に残していったものはたくさんあったはず。その想いをあなたがしっかりと受け止めて、これからの人生を歩いていくことが大切だと思います

がんばってください

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

「晩年は、心穏やかに幸せに生きてほしかったと願う娘がいた」ということではないですか?
ほんとうに、いいお言葉ですね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

みいさんは素晴らしい方だと思いました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

みいさん、参りました。
人間、自分自信の気の持ち方で、
幸せにも不幸せにもなるという事を
思い起こし直しました。

ほんと、自分は日々流されているなぁと
反省しました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私もみいさんの「晩年は、心穏やかに幸せに生きてほしかったと願う娘がいたということではないですか?」この言葉に胸をうたれました。本当にそうだと思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

みいさんの年齢を見て驚きました。あなたの年齢の時私は何を見て、何を考えていたのだろうと。。
自分の未熟さに居心地の悪い恥ずかしさでいっぱいです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

みぃさんのおしゃるように
「人の死は、決して平等には訪れないものだと思います」いう言葉に同感です。
 「遅かれ早かれいずれ死が来る」とよく言われるように寿命や状況はそれぞれ違いますので「人の死は平等」とはいえません。
 物理的には「0(ゼロ)」になることかもしれませんが、その人が生きてきた思い出や出来事は本人以外の他の方の心の中で生きています。死には他にいろいろなメッセージがあると思います。けっして無になることだとは思いません。普段死についてあまり考えていませんでしたが「死の意味を考え、生きていく」ことも人生を生きていくために必要なのかもれないと改めて考え直しました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私も還暦まで生きてきて、人間の死について未だ明確な解答を得てません。
父親は、生きていますが、母も亡くなり、兄もなくなり、身近な人の死に接する機会が多くなりました。
 身近な人の死に接しますと、悲しさと同時に寂しくなります。生きとし生けるものの宿命といえばそれまでですが・・・・永遠の課題とも思っています。
 その為に、偉大な宗教家が沢山現れて来ると思っています。
 人間がこの世に現れたときから、肉親や身近な人々の死に接し、沢山の人々が嘆き悲しんで、現在に至っているのは間違いありません。
 そして、それは、今、現在もこれからも永遠に・・・・・・
 このことを思えば、人間も、もうそろそろ、我欲を捨て、人々のためだけを思って生活することが大事だと思っています。
 でも、どんな社会になっても、人間には死が訪れます。・・・・・これを思えばこの世は平等と言えます。どんなに栄達し栄華を誇っても、この世のことは、夢幻であり、露と消えます。
 このことをしっかり、根底に据えて、人として正しい道を外さず、自分がなすべきこと、やりたいことを淡々と実行して生活するのみです。
 些かも、生きる上で不安や猜疑心や悲観的心を持ってはいけません。
 死について、考える機会を頂き、有り難う御座いました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

この度はご愁傷様でした。

私も今年8月に実兄を亡くし、昨日七七日法要、納骨を終えたばかりですが、幼い頃より母から人間はこの世に修行に出されているのだと常々聞かされて育ちました、兄は73歳で他界しましたが、中学時代に右手骨肉腫を
発症し、切断は免れましたが、肢体不自由で
進学も儘ならず、苦労し家庭を持ち子供に恵まれ、ひと時平安な生活が有りましたが、離縁し、男で一つで一男一女を育て上げ、子供が社会に出た後、一念発起し、高校に進学し
その後、整体師の資格を取得し亡くなる少し前まで治療院をしていました、5月に体調に異変を感じ大学病院で検査をした所、末期癌
との事で、直に見舞いに行き今後の兄の希望を聞きましたら、俺の修行が終わって神様が戻って来るようにとの達しなので、延命治療などしない様に、ホスピスで生涯を終えたい、葬儀は身内だけで送る様に、最後まで自分流を貫くので、回りに迷惑をかける事があるかもしれないが頼む、との事で直にポスピスに入院させ、医者からは余命1ヶ月と宣告されていましたが3ヶ月半、亡くなる前日まで
トイレなど自分でしていました、お寺さんからも 一誉貫道 と戒名を頂き兄らしい戒名と
兄らしい最期であったと感じ、自分もそう有りたいと思っています。
人夫々の生き方が有り、傍から見れば不平等、不満に感じるかも知れませんが、何処かで帳尻が合う様になっているのですよ。
私は宗教などには無関心ですが、輪廻転生を信じています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お父様の死去・・・心よりお悔やみ申し上げます。

あなたの言われるとおり、世の中、長生きしている人は結構自己中心的な考え方が多いように思います。これは、あくまでも私の周りの人を拝見していてのことですが・・・。

私の父は、59歳で脳溢血で倒れて、その後左半身付随になり、それから8年目に胃ガンになり手術をしました。そして、他界したのが、それから9年後です。
それも、死因はガンではなく、病院の長いすに座っていて人が間に入ってきたから横にズレたところ、床に落ちてしまったのです。
そのことにより、外科手術をし成功したのですが、術後大部屋に居たせいか?肺炎になり、突然、病院から呼ばれて、行った時には、息はしてますが意識はありませんでした。

それから私は毎日会社帰りに電車に乗って1時間掛けて通い詰めました。
私が通い詰めて疲れきった2週間目に父は他界しました。

父は、生前やりたい事をやってきた人です。40過ぎから酒を覚え、家庭を振り返ることなく家族を泣かしてきました。
そんな父が倒れ、またまた我儘になりで、このままずっと長生きするのかな?と思っておりましたが、最後は呆気なく逝ってしまいました。

人間には、やはり寿命というものがあると思います。そして、私たちは、この世にいる限り、何かをする為に生かされているのだと思います。
父は、死に損なったことが過去に2回あると言ってました。その時亡くならなかったのは、この世でまだやらなくてはならない使命があったのでは・・・?と思います。

私も18歳の時に、交通事故に遭い、あと15分で出血多量で死んでいたとこだったと言われました。

人間、やったことは必ず己に還ってくる!と私は信じております。ですから、あなたの祖母の方は、敢えて生かされているのだと思います。この先、何があるかわかりませんからね。

逆に、お父様は、天国に逝かれて穏やかに過ごされているのではないでしょうか?今は、やっとゆっくり、ゆったりされていると思いますよ!

人の死は、とても悲しいものですが、私は生きている以上、まだこの世でやらなくてはならないことがあると思って、日々頑張って生きてます。

色々なことを述べてしまいましたが、一番は、あなたが一日も早く元気で前を向いて生きていくことだど思います。お年寄りの性格は、変わることなどありません。益々、ひどくなるかもしれません。でも、それも私たちの定めなのかもしれませんね。私も年老いた母の愚痴や自分の都合のいいように解釈しているのを毎日目の当たりにして、私は、絶対にこうならないと思って我慢して頑張ってます。

元気に明るく生きてください!

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お父様の逝去心よりお悔やみ申し上げます。私事ですが、物心ついたときには父も母も居りませんでした。母は1歳のとき、父は4歳のときだったそうです。私が1歳のときにひどい肺炎にかかり、医者も見離したそうですが、母が必死に看病してくれたそうです。そのとき妊娠していたようで無理がたたって命を縮めてしまったのかなと思っています。思春期の頃は子供を育てることなく死んでしまった両親を恨みましたが、結婚して自分が親になり子供を育てているうちに、1歳の子供を残して死ななければならなかった母親の気持ちを思うと、母を恨んだ自分が恥ずかしく情けない人間に思えました。今は2人の娘と2人の孫に恵まれ幸せな日々です。貴方様のお父様はお気の毒に思います。人を恨むのは簡単ですが、大きな心で許してあげてはいかがでしょうか。他人の私には分からないことかもしれませんが、貴方様には人を恨むことなくこれからの長い人生を歩んでいってほしいと思うしだいです。
ドンマイ、ドンマイ。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

若輩者が何を言うかとお叱り受けるかもしれませんが。
ずいぶん前に、丹波哲郎氏の大霊界にはまったことがあります。その中の根本となる考えは、霊界から徳を積むために人間界(現世)に修行に来ているとの事だったと思います。
結論から言うと今私たちが生きているこの世界は修行の場という事になります。あの世で良い位置につけるように修行しているという事です。ですが私は半信半疑です。
どんな風に解釈するかは本人次第ですが・・・。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

追伸、たぶんお父様もこの世で修行して、良い徳を積んで、あの世で幸せに暮らしていると思いますよ。たぶん。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

同感!!
美人薄命とか きらわれっこ世にはばかるとか・・

やっぱり自由奔放だったり自己中な人=神経質ではない だから長生きできるんじゃないのかなぁ。
損得で生きていくのは嫌だけど たとえば人に優しく出来れば 自分も優しく接して貰えるし 心地よく生きていたいです。

長生きのおばあさん 自分勝手で生きてきているようですが 今一番辛い思いされてるのでは?

長生きはすばらしいけど その分悲しみもいっぱい経験しなければならないし 自分の子供が先に逝ってしまうのはとっても悲しいことだと思いますよ。

別にどこかの信者でもないけど 人それぞれ生まれて死んでいくには それなりの意味があるんでしょうね。
短いからだめとか長いからいいじゃなく 深い意味が・・
そう考えたら日々楽しく生きて生きたいと思えるかな?

でも私は 死が平等だとは聞いたことはないし思わないけど。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

この世には神仏なんて存在しません。
もしもいるなら なぜこんな事になるのでしょうか・・
昔思ったものです。
 神仏は自分の外にあって助けてくれるものではない。
自分の中にあって その心しだいでは神にも仏にもなる。
 どんな時にも心だけは見失わないように 強く気高くありたいと願っています。

もしもお時間があれば 私の日記をみていただけませんか?
何かのお役に立つかもしれません。
 http://smcb.jp/_pr00?oid=69366

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