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ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

寺の和尚様を尊敬していますか?

[マネー・投資]

お釈迦様は、〜〜〜と言いました。 って、話してくれますよね。

 でも、お釈迦様は、何も書き残していないし、釈迦十大弟子も、何も書き残していません。 釈迦の死後、100年以上も経ってから、

 釈迦が、〜〜〜と言ったという内容の書物が、書き続けられています。


 寺の和尚様は、見た目は、いかにも頭が良さそうにみえます。でも、簡単な質問をしたら、知らなかった。

 私が聞いたのは、「三蔵法師が、天竺(インド)に着いて、お釈迦様から経典をもらった。 そのお経は、何に書いてあったのですか? その当時、インドには紙がなかった」 

 お和尚さんが知らなかったので・・・(わからないという返答に 3日もかかりました)

 自分で調べたら、棕櫚の繊維で作った、細いへらのようなものに、縦書きでした。

 もともと、お釈迦様は、ネパールの釈迦族の王子で、インドのマガダ王国(インドで一番大きな国)で、王に会って、竹林精舎(宿坊)を建ててもらって教祖になり、マガダ国の国教として、手厚く保護&宣伝されました。

 これは・・・現代でいえば、

 もしも、鳩山さんの息子が、アメリカに行ってオバマさんに会い、「新興宗教の教祖になりたい」と言ったら、オバマさんが、大歓迎して協力するだろう。

 お釈迦様は、王子だったから、インドでNO1の教祖になれた。ご本人は、文字のある時代に、字が書けない&弟子たちも字が書けない。 苦行もしていない。

 お墓の予算&檀家として払わされる多額のお金  なんか〜〜自分の祖父母&両親の霊を、人質?にとられて、寺にだまされているように思えるのですが。

 霊魂は科学では解明できない。 先祖の霊は大切にしなきゃならないと思うし、先祖の霊を供養することは、癒しにもなる。 

 でも・・・簡単な教養も無いような、和尚様に頭を下げて、お金をたくさん払うのって、どう思いますか?

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回答 21件

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

1、一番尊敬する和尚さんは誰か?z
ご自分の宗派の大本山の和尚さんでしょう。
一度おためしになられることをお勧め致します。
2、お釈迦んさんの教えはどれが本当かは、ご意見、ご解釈にあるように、現在で論議の対象にはならないでしょう。
ただし、インドの経典が正確に伝わっているチベット仏教が今見直せれています。
理由は、インドのサンスクリット語の経典からの直訳ですから。
日本の経典は中国でさらに翻訳されていますのでせいかくでありません。良いように解釈されています。
3、では何を調べれば、わかるのかですが
わかりやすい有名な 宗教哲学者の中村元さんの著書でしょうね。(仏教論の最高の権威者)
ベストセラーになった「ぶっだ」などわかりやすく適確な回答をあたえて頂けます。

 図書館でどうぞごらんになられることをおすすめ致します。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
1 分家なので、まだ、宗派はないです。
2 翻訳時に、解釈が変わってしまう=よくあることのようです。

3 中村元さんの、ブッダをテーマにした本は、読みやすいですか? 私は理数系なので、抽象的な言葉が並んでいる本は、苦手です。

 本は、いつも買って読んでいます。一度に2〜30冊買って読むのが習慣です。

 中村さんは、全集もあります。 maeさんは、なんという題名の本を読んだのですか?

 まだ、中村さんの本を読んだ事がないので、

 中村氏は、釈迦誕生伝説を信じている方なのですか? なんか・・・ミュータントみたいで〜〜

 釈迦の時代の、社会的背景や、釈迦の立場、釈迦の教団に対して巨額のお金が流れていますので、そのあたりなど、史実を丁寧に調べて書いてあるある本ならば、買って読んでみたいと思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私もご同様、理系でかつ分家なのです。したがって、お経とは、仏教とはに興味を持ち、探求することになったというわけです。
これらに明快に答えて頂いたのは、ベストセラーとなり広く読まれた「バウッダ」 ・仏教:中村元・三枝充悳著小学館発行です。
日本で最有名な仏教の研究学者ですから偏見がありません。かつ平易な解説です。
ぜひ、図書館でもごらんください。おすすめ致します。
そのなかの163ページ大乗経典の163ページを要約してご紹介いたしましょう。
1、 大乗仏教はこの名のごとく大乗が付いているので仏教の?部である。
2、 仏教経典の変遷は多くの解釈から変容し大乗仏教自身仏説である誤解を生みゆがめられた常識は動かされがたい現状である。
3、 では釈迦の教えの経典でもっとも正確であろうと思われるのは初期の経典がありその原型を伝承し、つたわっているのは、「阿含」である。
一方釈迦の弟子がまとめた教典は上座部と大衆部に分かれ各々がさらに解釈を加えながら数多くの教典となっている。(上述45ページ阿含経典)

この中で初期仏教とは原始仏教と呼ぶ。アショカ王の時代(紀元268年から232年)にスリランカに伝えられているこの大乗仏教は弟子が作ったものでないので、釈迦の教えに近いものである。
弟子が集約した教典は亜流のように見受けられます。(上述44ページ阿含教典)


中村さんは伝説については関与がありません、あくまでも事実の探求です。
探偵でしょう。

時代背景ですが、大河文明の変遷が分かる必要があると思っています。
つまり、ナイル川、ティグリス・ユーフラテス川、インダス川文明の変遷です。
理由は、相互の文化に関わるアーリヤ人の介入がありますから。
歴史的な背景を知っている必要があるでしょう。

渡辺照宏、三枝充悳でしょう。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
maeさんへ

 私は、要点を箇条書きにするとか、文章の中に具体的な数字が入っているのが好きです。


 宗教は、学問ではないと思います。 みんなの物だから、宗教の言葉は、短くてぱっとわかるのが良いと思っています。

 宗教哲学が好きな人たちが、仏教徒に少数います。


 宗教の本質は、長い言葉ではなくて、<実践>だと思っています。

 書店に行ったら、ご紹介の本を買ってみようと思います。 田舎にいるので、街に出かけるのは、週1回。  図書館は、遠過ぎて行けません。 買って読んだ方が、ずっと安上がりなのです。

 釈迦がどんな立場で、あの時代を生きていたのか。 興味があります。大昔のことで、場所が外国なので、本の中身にちょっとわくわくです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

「バウッダ」中村元著はお説に合っていると思います。デアル調で極めて簡潔で事象の分析です。

 比較思想学、宗教専攻は仏教哲学科・インド哲学科なので、科学技術の論文のようにはまいらないかも、しかし論理的分析ではそれに該当するでしょう。
 とにかく書店でご覧になってください。
「原始仏教」その思想と生活:NHKブック中村元著など中村さんの著書は簡潔で判りやすいので有名です。岩波新書版もそうですし、三枝充悳氏も同様です。カテゴリーは情報収集・分析、集約、評価(データマインド)でしょうか。
 仏教成立至る背景とその成因(遠因)からが面白いでしょう。
下流からの探求からですと迷路に入ると思いますので。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

確かに和尚さんとお金とはなんとも割り切れないものですね。
でも和尚さんの現実の姿を通じてお釈迦さまや仏教を論じるのはいかがなものでしょうか。
私も若い時は仏教のことが良く分からずにいました。私の母が立正佼成会の活動をしていて、その息子である私を対立していた創価学会の人が折伏しようと強行されたこともあります。
技術屋であった私が仏教に開眼することになったきっかけは工学博士の森政弘さんが書かれた「ロボット博士の仏教入門」でした。そこに説かれている三法印「諸行無常」「諸法無我」(「涅槃寂静」)により仏教の基本的な思想についてなんとなく理解することができました。
そうしてさらに仏教への理解を深めたのは、経済人でもある稲盛和夫さんの説かれる人生哲学です。その集大成は「生き方」という本にまとめられています。
また、禅宗の高僧である松原泰道さんが、道元禅師の「仏道を習うは自己を習うことなり」を解説して、仏教とは自分自身の修行であり、様々な宗派はそのための修行の方法の違いであると説かれているのを見てやっと自分なりに分かった様な気がしました。
稲盛さんは、生まれてきた時の魂を生きている間の修行でより高いものに高めて来世に旅立ちたいと、それを自分自身の人生の目標とされています。
私にとっては、仏教の本来の思想がどうだったかはどうでも良いことで、私自身がどう生きていくか、私の今の生き方はこれで良いのかを見直すために、仏壇の前に座ることにしています。
私にとってはお経やお題目はどうでも良いことです。だから私の実家の南無妙法蓮華経と妻の実家の南無阿弥陀仏と娘の亡夫の実家の南無大師遍照金剛の三つを唱えます。宗派がどうであろうと目的が同じだからです。
(それに私の家の過去帳には北朝鮮から引き揚げる途中に亡くなった無数の男女、少年少女の戒名が書いてあります。何百人に一人の確率で無事日本に帰りついた母が帰る途中に亡くなった多くの人々の魂を供養するためのものだったのでしょう、その人たちの宗派はそれこそ一つではありませんからね。)
そうして目の前にいるお坊さんもその後ろにある仏教そのものを考えて、仏教思想を今はもちろん後世に伝えて行くための伝道者とみることにしています。
中には本来の仏教の考え方を理解していない人がいるかもしれませんが、それはそれ、きちんと理解しているお坊さんを探せば良いことです。
以上の様に考えれば、お坊さんに対しての気持ちも整理できるのではないでしょうか。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
ラトンさんの家の過去帖に、お母さんが、亡くなった人たちの冥福を祈って名前を書かれていた=優しくて素敵なお母さんですね、感動しました。

 仏教の場合は、釈迦の思想と生涯について、正確な記録がありませんので、自分なりに空想して、真剣に生き方を考える=素晴らしいと思います。

 宗教は、奥が深いという人が多いですね。

 別な角度で考えると、人気の高い宗教には経済効果があり、多額のお金が動きます。そういう意味で、宗教は底が深いと感じています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お寺の和尚を尊敬していますか?
のご質問・・・貴女はどうですか?
「着眼大局・着手小局」人生色々・・和尚も色々・・
しゅみーとも色々・幅の狭い質問はしないでください。
予想屋・評論家・暇人・人生色々ですよ。。
おー忘れていた馬鹿人ではなく趣味人を !
そう言えば俺もその一人だった。(笑い)かかし

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

大和さん
嬉しいコメント有難う。
このサイトにへばり付きましたが、もう・適度に止めました。
最近・・私の隠れ家「二二ギの里」にしゅみーとさんが遊びに来てくれるようになりました。
「梵天一如」を愛する私の憩いの広場・・今日も「天地一体」筑波の風になって生きています。
他人(坊さん)のことより・・・己・・自身の姿を見つめて生きて行きたいと思っています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私の住む京都。

多くの本山を抱え末寺からの膨大な金の集まる所。

祇園界隈で石を投げれば坊主に当たると言われるほどにお盛んな様子で、
本山首脳僧は、 魑魅魍魎の渦巻く世界。

丸儲け観光寺社の坊主に、京では目が指すと大阪で豪遊する坊主も入るほどに。

しかし、それ等とは関わり無く、修行される坊主の存在も事実。

市内の末寺は、日本全国?同様 檀家の減少で火の車?

全国から集まる若い修行僧の遊ぶこと、あそぶこと。
之もまた、修行に励む僧も存在する。

人も色いろ、人生もイロ色ですって^^;

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お釈迦様は、放蕩三昧の末に悟られたとか、

それなら私も悟れ涅槃僧に成れそう^^;

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

皆、住職が、遊びまくることに慣れてしまっているように感じます。

職業柄、度を越えなければいいのですが、度を越えれいるように感じます。

住職のイメージ、かなり悪いと思います。
これまでの政治家のイメージが悪かったのに通じるものがあるかと。
政治家の方は、名誉挽回しつつあるように見えますが、住職に対しての信頼感は、いまだ低下中だと思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

先祖代々当家の家風に合った立派なお寺住職選びましょう、お寺檀家は移動お墓も移す事が出来ます、宗教の自由という観念から云えば、不審に思われる住職寺檀家等
仕方なくこだわる必要はありません、人々導ける立場の住職お寺えらびましょう。お寺選びも我々の修行です。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
うちは分家なので、檀家選びは、考慮中です。

 田舎に住んでいるので、近所のお寺の檀家になると、割り算で、多額の寄進をする事になりそうです。

 立派でも無名の和尚様がいると思うのですが、誰が良いのか? また、世襲なので代替わりして、変な住職になっても、困るし・・・

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

女神さんへ、分家でしたら神官がいいのではお墓だけ用意すれば後は何もありません、出来事があったときは、最寄の神社の神主にお願いすれば少額で済むはずです、葬儀方式は、神葬蔡です、一番格安です。でも本家が仏ですと少し勇気がいるかもね、しかしお金のかからない方がいいですよ。自分の家は自分で守る、ですね。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
たけちゃんさんへ

 実用的なアドバイスをありがとうございます。さっそく息子に話してみます。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

ゴータマ・ブッダの死後、直弟子達が記憶を寄せ合い、
まず、マガダ語で書き記し………。

ブッダに関する書物、数千ページは読んでいるので
このコメント欄で説明しようたって………。

とりあえず、お墓を寺があずかる、今の檀家制度は、
江戸時代のキリシタン禁教の対処として始まった………です。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
釈迦の死後、100年以上経ってから、書いていたので、直弟子たちは、書いていないようです。

 釈迦と左甚吾郎は、名前が有名なのに、正確な資料が無く、歴史の謎に包まれたままです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

キリストがなにか、書き残しましたっけ?

キリストの直弟子の誰かで、書き残したっての、ありましたっけ?

あと、釈迦は悟りを開いた人ではありましたが、教祖ではありませんでしたよ。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
モーゼは書いています。

 キリストの弟子たちも、書いています。

 もともとインドには、バラモン聖典があったので、お釈迦様の場合は、大教団のトップにいたようですが、バラモン教の、1新興宗派だったのでしょうかね・・・

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

少し勘違いがあるようです。
例え、お経何万巻、そらで覚えても仏教を知ったことにはならないと思います。
 学者先生ならいざ知らず、御住持が質問に答えられないからと貶されても、仏様の教えは知識を競うものではないでしょう。
また質問の説明の中にも、誤解を招くようなところが多々ありますね。
 ネパールと言う国が当時無かったことは大したことではありませんが、マガタ国は大国ではありましたが、16あった国の中で同じような大国はまだ ヴァッジーやコーサラなど五つ数えられると思います。(それらの大国の国王が帰依されたから、仏教が今あると言う考えもあります。)
 その当時のインドでは、バラモンと言って宗教階級が一番上で、王といえども二番目のクシャトリアという武士階級でした。
 釈尊が教えられたことは、その頃の教えを超えた今の言葉で申しますと、改革に当たります。王様が帰依されて教えを請われたのであって、国教として保護されたのではないでしょう。
 文字を知らないということが、何を根拠にされているのか解りません。釈尊のお弟子さんの中にはカーストの低い階級の方もいらっしゃいましたが、ほとんどはその当時の政府高官や裕福な商人階級の方が多くおられたように書かれています。
10大弟子の方々を見られてもお分かりいただけますが、身分の高い若者があまりにも多く、釈尊の教えに惹かれて出家なさるものですから、一時釈尊一行は迫害されたほどです。
王子だったからNO1の教祖になれたとか、オバマさんに会って新興教祖云々はあまりにも馬鹿げた引用で、何とも申し上げようがありません。
 文字も解らず、苦行もしていないとは、これもまたあまりにも偏ったおっしゃりようで、あいた口がふさがりません。
 確かにお経は、棕櫚の様な材質を使って書かれてありますが、これを何故お経と言うのか御存じでしょうか。(緯度、経度の経と同じ意味です。)
 三蔵法師は何人かいらっしゃいますが、
多分玄奘三蔵と言う翻訳家のことをおっしゃっているのでしょうが、彼がインドに行かれたのは7世紀前半のことであり当然御釈迦様はこの世の方ではありません。
元々釈尊の教えは(法)口伝であって、(なぜなら当時のインドでは、文字を使って人に伝える方法は、口伝よりもあやふやで信じがたいものとされておりました。)御釈迦様は何一つ文字として残されておられません。そのように思います。
口から口へ、心から心へ伝える法は他のものが無常であっても、これだけが永遠なものとして考えておられたのです。
御釈迦様が無くなってから、仏法が滅びては困ると言う考えで500人の比丘が集まられて、所謂結集という場において、仏陀の教えを誦出(じゅしゅつ)し、互いの記憶を確認しながら、教を編纂されたのがお経の始まりであるそうです。
 釈尊は、今までのどのような苦行者よりも、またこれから先に現れるものの無いような苦行をなさっておられます。それでも悟りを開くことが出来なかったので、苦行を第一とはされなかったのです。
 何の為に乞食(こつじき)をされるのかというのは、貧乏だからではなく、働くのが嫌でもなく、食べ物の布施をいただく代わりに、法を布施としていただいた方に伝えると言う意味であって、出家者、在家者の上下を言っておられるのではありません。
 仏教で一番大事なのは
仏陀に帰依し、法に帰依し、サンガ(僧団)に帰依します。であります。
 ですから仏法を信じるなら、御坊さんも信じなさいと言うことが本当でしょう。
然るに現状はそれが出来ないくらい僧侶の方々の行いが乱れているようですね。
 「自らを燈明とし、自らに依拠し他人に依拠せず。」
 「法を燈明とし、法に依拠し、他のものに依拠せず。」
 有名な「自帰依法帰依」と言う仏陀が最後に説かれた教えがあります。
お寺さんの行状に不満がありましょうとも、自らの生活を正し、揺らぐことのない生き方をすることが大事だと思っています。
 お金を払う時はただ黙って払う、払いたく無ければ、払わなくてもよいではありませんか。 
 長々と回答してしまいました。

私には幸いなことに師と仰ぐお方がいらっしゃいます。
 私に供養を求められたことはありません。生活もごく質素で法衣も夏冬の二枚だけお持ちです。財産は勿論、家具や道具もほとんどありません。お酒も煙草も吸われません。昼の僧侶生活と夜の生活との落差を全然お持ちではありません。
表も裏もない生活をされています。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
お釈迦様の教えといっても・・・

 近所のお寺の和尚様は、自信たっぷりに、釈迦誕生の話をします。

 お釈迦様は、ミュータントだったのですか?

 仏教を信じる=お釈迦様誕生の童話を、信じていらっしゃるのですか?



 お釈迦様が、自分で書いたものがない+お釈迦様の十大弟子が書いたものがない。 死後100年以上も経ってから、お釈迦様の話を書いている。

 つまり、お釈迦様の行いについての、正確な観察記録が、何も無い。当然、お釈迦様が苦行をしたという記録もありません。

 マガダ国の歴史には、お釈迦様はちらっと出てきますが。

 宗教は、ある意味、儲かる商売です。それを読んだ人たちが喜ぶように、あることないこと、文章を書けば、お釈迦様に人気が出て、お布施や寄進がどっさりです。

 玄奘さんが、天山北路をインドに向かって旅立ったのは、7世紀です。

 私が和尚さんに質問したのは、先に和尚さんが、玄奘さんが翻訳をした話をしてくれたので、

 「TVドラマの西遊記の最終回で、三蔵法師がお釈迦様から、紙の巻物のお経をたくさんもらったけど・・・玄奘さんが、インドに着いた時、インドには紙が無かった。本当は、何に書いたお経をもらってきたのですか?」 

 で、3日後に、わからないという返答がきました。

 
 うちは分家なので、これから、お墓を買ったり、寺を選んだりです。

 宗教は、必要な事だと思いますし、仏教は「人を殺してはならない」という戒律があるので、良い宗教だと思いますが・・・


 現実問題として。 宗教にどのくらいのお金を払ったらよいのか、模索中です。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お布施と言うのは大きく分けて三つあります。
法施と財施と無畏施ですね。
無畏施はおいて置き、質問に関連したものとして後の二つを見て見ますと。(施無畏は浅草の観音さんに掲額されているそうです。)
 御坊さんは普通お金儲けをされずに、仏法の教えを広められるのが仕事ですね。またご自分の修行や利他の思いからされる慈善行為などもありますけれど、生産的なことはなさりません。無償の行為です。これを法施と言います。(つまり御坊さんは、在家の人が差し出すお金が無ければ無一文です。)
在家の方は、お布施に依って御坊さんの食物や衣類などの物資を差しだします。これを財施と言います。
この世の中は、布施と布施のやり取りで、持ちつ持たれつの関係で成り立っています。
 植物と動物がそうですね。
 信じるか信じないかは別として、神様に御賽銭を布施として差し出す、代わりに何らかの御利益をいただくのも同じことだと思います。
 テレビ局と広告主、視聴者もそれぞれが布施を出し合っているのです。
 お寺さんや神社に差し出すお布施は、在家の方の裁量で出されるのが本当で、決して上から要求する筋合いのものではないと思います。
 その道理が通らない世の中に苛立っても、こちとらが苦しむだけですね。
 仏教のことは色々な説があり、仏陀の存在もキリスト教徒の方はつい最近まで信じておられなかったみたいです。今から約110年前、アショーカ王の建てられた石柱の近くで仏塔が発掘され経典に書かれてあることと一致しましたので、やっと信じられるようになったと聞いております。
最近では原始仏教と言いまして、仏陀が悟りを開いてはじめられた統一原始教団が(サンガ僧団)釈尊寂滅100年後に分裂するまでの初期の段階に表され口伝された「ダンマパダ」を信じる方も沢山いらっしゃいます。
「ダンマパダ」は紀元前3世紀ごろ、仏陀の言葉を北インドの方が収録され、その後伝承されてスリランカで初めて文字に残されたものだそうです。
 サンスクリット語のダルマ(dharma)法、教えとpada 足、道という意味の言葉で「真理の道」と言う意味だと思います。
元々は、教団内の出家者の為に教え説かれたことが纏められたものですから、今の日本で言います仏教とはいささか異なっており、より厳しいものになっています。
その点で宗派を越えて、今の御坊さんにもう一度学んで頂きたいと言われてもいます。
 仏教は(他の宗教もそうですが)信じる人にとっては喜びを得るものです。
 お経に書かれてあることが分からなくても「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「南無観世音菩薩」と唱えることが信心だと思います。
仏陀は人の身体を持っておられますが、本当は仏性だそうです。それを人は霊とか魂とか我と言われます。
 仏教を信じることは、その仏性が自分の心の奥深くにあると言うことを、信じることだそうです。
 また心で思ったものになれると言う教えも、仏教にはありますよ。
 質問していただいたおかげで、色々自分が思っていることを掘り出せました。有難うございました。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
お経に書かれてある事がわからなくても>>

 これでは、玄奘さんの努力(翻訳)が無になります。彼は法を犯して、インドに出かけました=命がけだったのです。

 昔は、文字を読めない人が多かったので、意味がわからなくても熱心な信者がいたでしょうが、

 今の人たちは、教育が進んでいます。 これから先、意味のわからない宗教を信じて、お金を払い続けるのかどうか・・・

 現に若い人たちは、寺の檀家でも、キリスト教結婚をしたり、新興宗教に入ったりしています。わかり易い宗教だから、楽しいのだと思います。

 宗教は学問ではありません。 みんなが理解して信じるのが、ベストだと思います。

 お葬式では、高額なお金を寺に払わなければなりません。 現代文に翻訳した、意味のわかるお経を読むくらいのサービスはしてほしいと思います。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
110年前に、ウィリアム・ペッペの調査団が発掘したのは、釈迦の人骨。 壷にラフラミー文字で、釈迦の骨だと書いてあった。

 それ以前は、マガダ国の記録に、父王を殺し、10万人を虐殺したアショカ王が、悩んで、仏教の大家に相談して、その僧侶が、アショカ王の非道を許して、王は帰依したとある。 石碑には、釈迦の名前は書かれていなかったようなので、釈迦不在説が、一般的だった。

 釈迦について語る=実際に釈迦を観察して書いたわけではないので、すべては推測と妄想。釈迦の死後、100年以上も経て、釈迦の教えを書く=釈迦の教えが不正確+釈迦が言った正確な言葉もない。

 ヒトの記憶力は、不正確で、言葉の解釈もさまざまなので、釈迦についてはなんとも言えない。

 仏教を信じるように勧められても、大多数の人たちが、お経の意味がわからないままに、葬式で多額のお金を請求されて、寺に支払っている。

 宗教は心の問題だけど、有料なので・・・どのくらいの金額を払うのが妥当なのかも、わからない。

 実際問題、親の葬式の場合、寺に何円払ったらよいのか?

 悪事を働いた人間でも、高額な戒名を買えば、大量虐殺をした、アショカ王のように、釈迦が優しく許してくれるのだろうか?

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

女神さん、質問にコメントと同じように書いて下さっていれば、私の長い拙文無用でしたね。
 高額な戒名を買えばとおっしゃっていますが、
御釈迦様のお弟子さんの中に、近隣で恐れられていた元盗賊がいらっしゃいます。 (アングリマーラとおっしゃる高弟です。)
何人もの村人を殺戮し、その死体から指を切り取り、腰縄に結んでいたそうですが、御釈迦様に帰依し、膝まずいて出家を請われたところ、即座に許されたそうです。
祇園精舎でのことで、先に挙げられていました、マガタ王国ではなくもう一つの王国コーサラでのお話だそうです。
 御釈迦様は身分の上下、知恵のあるなし、善悪の行為や思いには関係なしに、御釈迦様に帰依する人の出家を許されました。
 お寺さんに差し出すお金は関係ないと思います。
もしお金の多寡によって、仏様の慈悲に差があるとお寺さんがおっしゃるのなら、それこそ破戒無慙な坊主として、未来永劫宇宙を彷徨うようになっても自業自得だと思います。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
お釈迦様でも嘘をつく という言葉があります。

 お釈迦様は、250の戒律を言ったとなっています。 その中に、殺人はダメ、信者からお金をもらうのはダメ、淫行はダメ、酒はダメ

 アショカ王も、アングリマーラも、多数の人を殺しました。


 ラクシュミーさんが、もしも・・・自分がお釈迦様なら、その二人を許しますか? お釈迦様とアショカの父王は親友だった。 アショカは父を殺した。

 自分の親友を殺した人を、許せますか?  (この部分が??だったので、当時の事をいろいろ調べて考えてみました)

 私が、お釈迦様なら、心の底では許さないけど、当時は、軍国時代で、バラモンがカーストの頂上だとしても、強大な武力には勝てない。

 軍人に逆らったら殺される。 殺されるのが怖いから、「許します」と、とっさに嘘をつきます。


 単純に言うと、善いことをした人は、天国に行ける。 悪い事をしたら、地獄行きです。 これが宗教の基本ですよね。

 生真面目な釈迦は、その二人の罪人を、心の底から許してはいなかったけど、保身のために嘘をついたのだと思います。


 許した行為が、「現代の僧侶が、金儲けをする種になった」 悪人でも信心すれば、天国に行ける。死後、極楽に行くためには、僧侶に金を払って、素敵な戒名をつけてもらえば、OK(^^)

 極悪人を本気で許す=異常な感覚だと思いませんか?誰でも許すのは、良識的な行為ではない。 お釈迦様は、許すと、嘘をついたのだと思います。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
宗教は、学問(哲学)ではないと考えています。 哲学は難しい言葉で、自分中心のような、主観的な発想です。


 宗教は、みんなの物なので、簡単で、客観的が良いと思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

これはとても難しいことをおっしゃっていますので、簡単にはコメントできませんね。
が、私は仏陀・等正覚者・世尊・明行足・応供とも呼ばれているお方は、所謂化身だと思っています。
世の乱れ、法の乱れを正すために、神が人間の身体をお取りになられたのだと言う風に考えています。
イエス・キリスト様もムハンマド(マホメット)様もそうです。他にも何人かの方がいらっしゃいます。(インドでは有名なクリシュナ神やラーマ神、ラーマクリシュナさまなど10数名の方を神の化身とされています。)
 そのお方達は人間ではありませんので、生も死も超えておられます。罪も罰もこの方達にはありません。勿論善も悪もです。
 それだけではありません。仏性や神性として、人間や他の動植物、無生物に至るまで全てのものの中にいらっしゃるのです。
 
 私と言う人間もたまたまこの肉体を持っているだけで、また自分のものだと思っている心も実は仮のものだそうです。実在ではなく虚、蜃気楼のようなものです。
 ですから私たちの心の奥にあるもの、(霊、魂、自我)の本質は、永遠で清らかで自由で力強いのです。
 釈尊は方便として天国や地獄のことを話されていますが、
六道の内、私は天と、地と畜生の世界と植物や無生物の世界はあると信じていますが、地獄や餓鬼道の世界は、中国に仏教が渡ってから、特に意識されるようになったのだと思います。
 アングリマーラや、アジャータサッツ(阿闍世)この方が、父であるマガタ国の王を殺して即位された方ですが、
このお二人とも、釈尊に帰依してお弟子さんとなられています。阿育王(アショーカ王)は若い時に殺戮を繰り返し乱暴者で通っておられましたが、後に武力よりも、仏法によって国を治めようとされ、仏教を保護されたのは有名なお話ですね。
 仏教の教えでは人間もその他の全てのものも、無常で永遠ではないとしますが、仏性は永遠なものとしているはずです。
仏性が人間の考える善悪や生死を超えたものなら、私たちも同じはずです。
 宇宙と地続きであれば、私らも生死や善悪を超えた存在なのです。
と言うのが仏教の教えの要点だと思います。
特に日本では、道元禅師の曹洞宗の教えが、そうだと教えていただきました。
泥棒は、一回でも他人の物を盗れば泥棒として捕まりますが、人が一瞬でも一刹那でも仏様のことを思えば、信心を持てば仏法で救われる信者になるのでしょう。
「法界蔵身 阿弥陀仏」 意識の対象として阿弥陀仏様を思えば我が身に阿弥陀仏が蔵する。
 勿論、易行道と雖も、一度や二度阿弥陀仏や大日如来様に祈ったところで、救われるとは思えませんが。
 釈迦族の王子であった釈尊はクシャトリアと言う武士階級のカーストです。確かに釈迦族の国は小さく弱い国でしたが、平安に暮らしておられました。
出家されるまで、食事がどのようにして出来るのかも知っておられなかったそうです。
 悟りを開いてからは、仏法を広めることだけが心の中と行動を占めていたように思います。
御自分の生死は問題外だったのです。
そうでなければ80歳を過ぎても、老いさらばえた身体に鞭をうちながら遊行を続けられることは無かったと思います。
ひとかけらの権勢も、一握りの財宝も持たず、老いさらばえた身体に壊色の袈裟を身に着けた一沙門の姿からは、何の執着も見えなかったと思います。
 お書きのように、お金に貪欲な御坊さんも沢山いらっしゃいます。本当に情けない話で耳をふさぎたくもなります。そのような御坊さんは一握りの方だと私は思いますが。
同じような質問に回答を書いていましたが、突然ブロックされてしまいました。こんなのありって言う心境です。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
ラクシュミーさんの場合は、書いてくださる内容が、宗教ではなくて、宗教哲学という学問なので、難しい話を好きな人も居れば、苦手な人もいるということだと思います。

 宗教は、みんなの物で、<実践>が要だと思います。 みんなの物だから、(学問好きな人は少数です)  私も含めて、簡単な方が好きですし、簡単であるべきだと思います。

 どの宗教でも、皆で集まって、仲良く楽しく、供養や祈願をしたり、ご奉仕をする。これが本来の信仰だと思っています。

 日本のお坊さんの場合は、布教活動をほとんどしないし、意味不明のお経を長々とあげるので、皆は仏教が嫌いになっています。

 正直、祖父母、両親の葬儀で、お経の意味がわからない。これは嫌な思い出でした。

 結婚式は、教会式ばかりです。 神父さんの説明と讃美歌が、わかり易くて簡単なので。教会式の方が楽しいんです。

 他の宗教の場合は、戒律が殺生禁止ではないので、信仰する気になれません。 

 全部の教義に賛同はしかねますが、やはり、仏教は善い宗教だと思っています。


 話がそれますが、学問は・・・覚えた知識を、自分や家族&他人の為に役立たせる事が肝要だと思っています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私はたまたま、仏様の教えが好きでしたので、思うことも読む本もそれに関したことばかりしております。
女神さんの宗派が解りませんが、最近では解りやすくお経を解説した副読本もあります。
 また御経全体ではなく、(何万巻もあるお経がありますので)要点をつまみだして解りやすく書かれた本もあります。
「証道歌」や「信心銘」と言いますのは、仏教の術語をあまり使わずに仏様の教えとはどんなものだと言うことを句で(漢詩を想像していただいたら結構です。特に信心銘はわずか4言146句の詩に託して)禅の境地を歌っています。
これなどは自分で声を出して歌いますと、格調高いお経よりも、もっと自分の心に響いてくれます。
 仕事で忙しくされておられるでしょうから、お経に時間を割くことが出来ないと言う人がほとんどです。
本来なら仏法を教えて下さる御坊さんが、言っておられることと、なさっていることにあまりにも落差があって信心が持てない世の中です。
 信心とは、仏教を信じる心であるそうです。
何も詳しいお経のことを知らずとも、
「南無阿弥陀仏」
「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで信心だと思います。
キリスト教の方は
「主イエス・キリスト 私を憐れみたまえ。」とおっしゃるそうですね。
四諦・八正道の教えは仏教とは云え、人間が生活していく上でのせねばならないこと、してはならないことを教えてくれる道徳みたいなものでしょう。
長々と書きました回答に、お答え下さってありがとうございます。またの機会を楽しみにさせていただきます。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

みなさん なかなか大変なようで・・・

うちは 自由ですよ〜
お坊さんも肉食妻帯OK
卒塔婆も無し
合理的、作法の簡素化 あまり自由すぎたので 
大勢の民衆に支持され その結果

門徒物知らず と他の宗派からは
虐められた宗派です・・・エ〜ン

財施は まったく私的な懐具合でOK
出さなくてもぜんぜんOK

だからこそ
出させられるのじゃなくて
出したくなるのだ〜

無欲の宗派の真髄がここにあ〜る
南無阿弥陀佛

でも 宗派のなかでも
うちのお寺だけだったりして???

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
僧侶は、聖職者だと思います。

 慈悲のある和尚様は、ありがたいですね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

うちの坊主は以前、拝みに来る前に『今日はサントリーの角瓶が飲みたい』とTELがありました。
拝んでから水割りを一杯だけ飲んで、残りはお持ち帰り。

どう思います?
嘘のような本当のお話です。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

きっと、角瓶のことを考えながら、拝んでいたと思います。
いいかげんにしてほしいです。

坊主は、檀家に、お茶の一杯も出すこともありません。
葬式、法事等でもビールやお酒を檀家に、一杯すら注いだところを見たことがありません。
王様気取りというか、図々しいことをしても、許されると思っているんだと思います。

今の法律では、檀家はお墓を移すことが中々出来ませんので、住職は、図々しくしても、何も困ることはないと、堕落しているんだと思います。
よろしかったら『お寺へのお布施、寄付につきまして。』をご参考して頂けますれば、幸いです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

女神さん拍手をありがとう。
RYU−RYUさんコメントをありがとう。

で、オマケ

婆さんが亡くなった時に本人の遺言で戒名はいらないと言った。
ここらでは通常、戒名は坊主が要非を聞いて、値段を考えて
ランクに合わせてお願いをする。

ところが何も聞かずに50万円の戒名を。
あとで、『折半して30万円にしますから』だって。
しかも私にではなく、私の母親に。。。。

この、罰あたり者めが!!
糞坊主!!

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

糞坊主です!

普通の会社が、そんなことをしたら、信用を失って、即倒産です。
苦情殺到でしょう。

やはり、住職は、自分が何をしても檀家は、お墓を移せないと、たかをくくっているのだと思います。
実際、「墓地・埋葬に関する法律」(昭和23年の法律)という法律があって、簡単には、お墓を移せないようになっています。

首相官邸のホームページに、意見を送信できるところがありまして、そこに、この法律を何とかして下さいと意見しました。
ほんとうに、どうにかしてほしいと思っています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

うぅ〜ん

首相さん
自分の行き残りに必死やけんなぁ・・・

先日、久しぶりに女房とステーキハウスに行ったら
その糞坊主、カウンターにどっかり座って大きな肉を食ってました。
しかも、ボトルワインを1本飲み干しながら。
マスターとの会話から、常連ですな。

煩悩の固まり坊主め!!

また腹が立ってきたわ。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

うぅ〜ん(笑) ですね〜

自分でも、うぅ〜ん(笑)と思いました。


糞坊主には、腹が立って、当然です!
嫌になります。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

またまた、オマケ

その糞坊主の爺さん、その昔町内の泥棒団のまとめ役。
寺の隣に家がある高校時代の友人に聞きました。

冗談にしか思えないでしょうねぇ。
きっと・・・

(^^;

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
はっきりしていて、わかり易い和尚さんですね。

 僧侶は世襲。 檀家も世襲。 あとの事を考えて、お寺を決めないと(うちは分家です) 息子に迷惑をかけたくないです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

笑ってしまいました。

泥棒ですか・・角瓶・・(ーー;)・・お布施したくないです・・

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

まあね、坊主丸儲け、という言葉があるように、ロクデモないのがいますが、どんな会社にも、社会にも、ロクデモないやつはいるので、あんまりその、ロクデモないやつを相手にしても、しょうがないでしょう。

どんな、会社・社会でも逆に、良い人・スゴイ人がいるので、ロクデモない奴は、反面教師、良い人は教師として、自分を磨きましょう。

お金は、決まりがないので、気持ちですから、馬鹿らしければ、少ないお金で。

お金を沢山払うのは、見得では?・・・世間の目・人の目が気になる?・・・だったら、世間の目・人も目を買うという事で、納得してみたらいかがでしょうか?

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
戒名とか、見栄があるのかもしれませんね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

みなさん、尊敬出来る住職に恵まれて居ないのですね。

私はその分、幸せだと思います。私が檀家になってるお寺は
他所のお寺より何事も半分以下のお布施で済んでます。

和尚さんも私たちの知らないお話をいつも聞かせていただいています。とても尊敬できる住職です。

私はその寺の世話役を去年からさせて頂いています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

あなたはまれにみる幸せな檀家ですね。そんな立派なお坊さんは、滅多にいるものではありません。羨ましい限りです。たぶん大多数の人はいいなあと思うでしょうね。我が家の坊さんは屁理屈は得意ですが、何一つ尊敬するところがありません。そのうえ、一応、戒名なんて、高くても安くても構わないのですよと言いつつ、高い方をうまく勧めます。その話術たるや、一流ですね。心のこもらない、通り一遍のお経をしてもらうために、お坊さんを立てて、死んだ者のために、我慢してお願いしてますが、外車を乗り回し、頭も長髪で、ポニーテール。芸術家かと見まがう風ぼう。檀家が多くて、法事は土日は満杯。やめられませんな。お金がうはうは入ってくるのですからね。くそ坊主と思いつつ・・私が死んだら、あんな坊主にお経をあげてもらいたくないと思うばかりです。さて、どうしたものか・・・・そう、あなたは何と恵まれていられることでしょう!難儀なことです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

困った坊主が多いものです。
最近、うちの檀家さんの中に、坊主にお布施を払いたくないが故に、親の葬式を一切しないという、思い切った方法に出た方が方がいました。
親が亡くなって一番悲しい時に、坊主とのやり取りを考えなければならなかったこの方は、ほんとうに気の毒だと思います。


お経をしてもらうために我慢している全国の檀家さん達、気の毒です

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

なるほどそうゆうヒドイ坊さんも居るんですね。

私の処の近所にもそういえば値段の高いお寺もあります。
葬式も私の処の住職は戒名を居士、大姉で約20万です。他所で80万の処もあります。

値段の高いのは嫌ですね。外車でなくとも高級車を乗ってるだけでも坊さん
らしくないですね。

私の処のお寺は
一年の護持会費は4千円です。法事の拝み料は信士で3万居士で5万です。でもそれは世話人が決めたことです。 お寺のいろんな料金は世話人会ですべて決めます。

他所の事は分かりませんが私の処のお寺ではその他、お寺の火災保険とか
研修旅行も檀家の役員会で決めています。住職は相談には乗ってくれますが自分から何か決めごとをいうことはありません。

檀家はお寺が運営出来ないと困るのでいろいろ気を使ってはいます。
お寺の掃除や草取りなど檀家がみなさんで率先してやってます。

私は他所のお寺のことは分からないのでみなさんのご意見にびっくりしています。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
夢太郎さんへ

 善い住職さんで、いいですねえ。


めーちゃんのひつじさんへ

 ポニーテール(面白すぎです〜〜)


RYURYUさんへ

 はっきりした事はわからないけど・・・お経や戒名の値段の高いお寺が多いでしょう。

 今は不景気なので・・・お葬式を挙げないで、お骨を自分の家に置いている人たちもいるような気がします。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

高いお寺が多いと思います。
わたしは、親戚が多いので、話が出ますが、みんな高いと文句を言ってます。お葬式の時に、値下げをお願いするかどうか、みなで相談したこともあります。
亡くなった人を前に、違和感を感じました。明瞭会計にしてほしいものだと思いました。

お布施等の高さについては、不景気なので、これまで我慢をしてきた人達も声を上げてくると思います。

理想を言えば、このような不景気な時こそ、住職に皆の心を支えてほしいのですが、そうはうまくいっていないことも多いように思います。

ネットで調べてみたのですが、直葬等も増えているようです。

不景気だということもあり、とりあえず普通に葬式しておくかという考えも減り、自分の最後をどうするか、真剣に考えるる方が増えているように思います。

お年寄りの絶対数が激増しているので、お葬式の数は増えているかもしれませんが、お葬式を挙げない割合は増えていると思います。

直葬ニーズに応えた、日比谷花壇の直葬プラン「おくりばな」も話題になってますよね。

変わりつつあるのだと思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

住職に頭を下げて、お金をたくさん払うのって、納得が出来ないのに、仕方なく支払っているという感じです。

お葬式で、住職が、遺族に温かい言葉を掛けたり、いたわったりしている光景を見たことがありません。
お葬式で、うまそうに、お寿司等ご馳走をムシャムシャ食べている姿は何度も見たことがあります。
法事で、お経を上げながら、目が泳いでいる住職も見たことがあります。
お布施を受け取る時、そんなにはいりませんと遠慮した住職を見たことがありません。
むしろ、うれしそうな顔をして、もらえるものは何でももらうという姿勢に見えます。
尊敬できる住職に、会ったことがありません。

それに、お寺に、ピカピカの高級車があっても、もはや当然の光景で、慣れてしまっています。
門や建物も必要以上に立派なのも、もう見慣れてしまっています。

「墓地・埋葬に関する法律」(昭和23年の法律)があるので、檀家はお墓を、自由に移すことも出来ませんので、檀家は、とても弱い立場にあると思います。

ごうまんな住職へ寄付をしたくなくても、お墓も移せずに、お寺とのお付き合いもやめることが出来ずに、泣き泣き寄付をしている檀家さん達も多いと思います。

檀家さん達が大人しくしているのをいいことに、調子に乗ってるように見えてしまします。

まずは、檀家さん一人一人が、今の現状を知り、住職に対しての不満、住職に言いたくても言えないことを周りの人達に話すことだと思います。

おかしいものは、おかしいと、矛盾点をしっかりと知っておくことは悪くないことだと思います。

住職は、住職に渡す金額に見合う、納得のいく言動をしてほしいと思っています。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
いままで、檀家さんたちが、寺の住職のいいなりになって、お金を払い続けてきた結果、お坊さんたちが、ずうずうしくなって、檀家に多額の布施を要求し、金儲けを楽しんでいる。

 私の祖父母は、110年も前に生まれた昔の人たちだったから。 お釈迦様の話をころっと信用して、46年前に、70万円の戒名を買った。

 今の人たちは、教育レベルが高いので、お釈迦様の童話を信じている人は少ない。

 檀家さんたちが、一致団結して、支払いを拒否するとか、値下げ交渉をすれば、改善されると思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

46年前の70万円・・相当な額ですね。
今の価格ですと・・少なくみても700万円〜

そうですね。檀家さん達が、全国的に、場合によっては支払いを拒否するとか、値下げ交渉をするとか、それが、ごく普通のこと、ごく当たり前のこととして定着して、そして、それが慣習になれば、今度は、それらが「慣習法」のようになりますので、全国の檀家さん達、頑張りましょう!

まずは、値下げ交渉をするのは当然のこととしましょう。
皆が、そうすれば、そうなります。

まずは、周りの人達にどう思っているのか、話してみるのがいいと思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

10年ほど前、仕事で、仕方なく、クラブ、キャバクラ、大箱キャバレー通い詰めましたが、客に坊さんの多いこと多いこと。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

多いと思います。

困ったもので、聞きなれた話になってしまっていると思います。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
スバリエさんへ

 仕方なく、風俗飲み屋に通い続けた>> 嘘ついたら、死後は地獄で閻魔様に舌を抜かれますよお。

 でも!! 某お寺に、100万円寄付をすれば、極楽浄土に行けるそうです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

バレた? ヤベッ!

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

ナマンダブ、ナマンダブ〜

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

仏教の教えは小乗仏教、大乗仏教、宗派それぞれがお釈迦様の教えを説いていますが、これが唯一の教えだとするものはなかなか、めぐりあえません。
私自身は、仏教の中では、仏説般若心経を唱えておりますが、その他の仏の教えを聞くことはまずありません。
般若に全てが、語られていると思います。宗派別による、宗教思想にあまり興味がないのも理由の一つですが。
不思議なことに、般若の教えに近いものとして、道教哲学があります。仏教宗派による教えよりも、般若心経に近い思想文化をもっていると思います。
結論 ;権力欲が強い和尚さん、金銭欲しかない和尚さん、
色欲、酒欲旺盛な和尚さん、仏説を説けないおしょうさん、これらの和尚さんのことを、腐れ坊主と言います。
腐れ坊主に、頭を下げてお布施を出すことは、信心ではないと思いますが、結構こんな方が多いのではないでしょうか。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

多いと思います。

そんな坊主に、お経を上げてもらって、お布施をする檀家さん達は、もう無我の境地に達してます。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
宗教の教えは、昔からあるので、

 今は社会情勢も変わり、科学時代となり、 昔からの教えが、現代の実情にそぐわなくなってきているような気もします。

 宗教は、必要だと思いますが、

 万単位のお金を払うので、教義について、多少は納得して、払いたいのですが・・・

 宗教が大好きな人たちが、かなりいますので、僧侶はお金儲けが癖になってしまうんでしょう。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

そうですね。納得して払いたいという気持ちです。

支払う金額が、納得の範囲を越えているのと、ここのご回答にもありましたが、「角瓶」を要求するような住職が多く見られて、ありがたみが薄れてしまっているという感じがします。

宗教は必要だと、わたしも思っております。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

今のお坊さんは所謂、葬式屋であって、お釈迦の生存中に葬儀事を釈迦或いはその周囲の者が行ったことは無いと聞きます。
本来仏教の教えは死者のための教えではなく生存している人間が如何に生きるかの教えだと思います。
その証拠に檀家を持たない寺がいくつもあります。
その寺の住職に云わせると、私は葬式屋ではありません。と云います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

同じ事は神社にも言えるのでは?
初詣でお参りする人が一番多いのが明治神宮だけど、明治神宮は明治天皇を当時のお役人が神格して出来たもの。

「鰯の頭も信心から」ではないですか。

頭が悪い和尚様と思っていても、「偉い和尚さん」と思っている人もいるのでしょうから。

オウム真理教なんて、その際たるものだったのではないですか?

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

結局、その程度のことと思われている方達も多いのでしょうね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

.
            このっ!・・・ ばちあたりめっが。  渇っ!。   ヾ(゚0゚)/
.

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

あたるのは・・坊主にですよね・・

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

.
            だれだと思う?・・・ お釈迦様でもご存知あるめ〜!。  ヾ(゚ペ)/
.

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

難しく 考えなくて いいし思います。和尚さんは お経を 読みます。一般人は その 機会は少ないです。 「坊主 丸儲け」 私は これで 良し と しています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

毎年四国88ヶ所札所を歩いて廻ってまんねんけど、
1度目から3度まで朱印を受けてましてん。
納経所の坊主と口喧嘩するのが趣味でしたので
88ヶ所の内で2度しか朱印の無いのが4ヶ寺
1度だけが1ヶ寺「二十七番」おますわ。
坊主も人間、私よりも血の気が多いのも、本気で
怒鳴り合うヤカラもいましたわ。
今は朱印を受けていないので、お遍路の楽しみも
半減と言った所。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

>怒鳴り合うヤカラもいましたわ。

「ヤカラ」というのが、いいです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

今東光
のことは今も尊敬しています。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
今東光さんへ、「お吟さま」という小説が、ドラマの原作になった人ですよね。歴史や茶道についても、造詣が深いのでしょう。有名な歌舞伎役者の戒名を、無料にした武勇伝とか・・・

私が尊敬する作家:柴田錬三郎さんと親しいようなので、ちょっと好きです♪

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

まー、こんにゃく屋のオヤジでも大僧正でいられますから…www。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

あははは、禅問答ですね(*^。^*)

修行僧 「三界とは何ぞや」
お寺のお留守番の豆腐屋の親父さん怒り狂ったね

「お前の所で作ってる油揚げはこんなに小さいではないか」

お留守番坊様
「そんな事はない、こんなに大きい」と両手で大きな円を表現した

修行僧 びっくりしたね
その両手の描く円を見つめて「大界にあらず」と勘違いした

修行僧 自分の知識の浅さを恥じて、去って行ったと言う・・・・・

似たような錯覚の世界を、種田山頭火は日記に沢山残している。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

あははは
コンニャク問答⇒好きな落語のヒトツです。

昔のオショウと今のオショウでは言うことが変わったような気がします。
前:手を合わせて拝むのが重要。
今:行動行為が法(仏教の教え)にノッテ行動せよ。
その教えがどうであるかは本人の判断ですね、当然それを言う和尚がどうであるかは本人しだい・・・・・。

それなりであると私は思いますけど・・・・・・。
問いに有った、お金を払うとはどのようなことかは解りませんが感謝の気持ちでしょ・・・・。
もし、感謝の気持が、そのように感じるならば止める事が良いのでは・・・・・。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

さすが趣味人倶楽部のお歴々www。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

落語のこんにゃく問答・・・大好きです。
そのほかにも、「死神」も好きです。
道楽人のローソクはだいぶ短くなってきました。 お寺の坊主に吹き消されないようにしないと。

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