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ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

トラウマからの脱出方法

[人生相談]

人によって大きく差が生ずる件ですが・・・。

私がこの世に生を受けて50年、人生の全てを教えてくれて、
楽しい時も苦しい時も私を優しくフォローしてくれた、
私にとって大切な母が、
数日前、私の目前・僅か1mの場所で、
急性の脳腫瘍による痙攣発作をで起こし、
首吊り自殺者的な形相と成り首を前後に大きく振り倒れました。
救急車を呼び病院に担ぎ込まれ幸い一命は取り留めました。

しかし、私にとって最も優しく大切な母の
首吊り自殺者的な形相が恐怖体験として忘れられず、
しかも、原因が私の不注意が端を発した自己の積に帰する
(その数日前から母は微頭痛や手足の震えの予兆等が見られ
その時点から医療機関に連れて行けばと悔やんでます)ので、
想い出す度に私は涙がこぼれ、母の書斎を片付けたり、
台所等で炊事等をしていると、一人泣きしてしまいます。
そこにいつも普通に居た筈の人が居ない、
自分の戻る場所に有った筈の安心感が失われましたので。

それだけでなく、日中の勤務時間中も
【あの時のこと(特に母の形相)】が頭の中に浮かび、
仕事がマトモに手がつきません。
夜も眠くて寝なくてはならないのに目が冴え睡眠不足、
食事も不規則(摂取カロリーも半分に落ち)、
自分自身の生活・健康面に影響が及んでおります。
仕事が早く終わった帰りは、流動食生活と成った
母を病室に見舞い(簡単な会話は可能)ますが、
変わり果てた姿を見ると虚しく感じてしまいます。

同じような体験をされた方に伺います。
どのようにして普段通りの自分自身を取り戻しましたか?
御参考にさせて頂ければ嬉しいです。

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回答 8件

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

辛い過去をお持ちのようですね。
永遠に心の中からは消えることが無いでしょうね。

しかし、この事案を ネガティブ思考でなく ポジティブに考えられるみとがいいものと察します
きっと母もそのように考えているはずです。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
「お前は、いい年して生活が自立していないよ」と、
こと有るごとに母から説教されました。
初めて体験する一人暮らしは私にとって勉強なのかもしれません。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は母親を知りませんし
父にも遺棄に近い経験しか持ち合わせて居ないので、何も
お答えする資格は、無いのかも知れませんが
眼の置き所、気持ちの置き所を変えてくれる言葉に出会うと、自分の生かされて居ることへの見直しができます・・・聞いてみて下されば嬉しく思います。

辛いことが起きた時は、何かを学ばせて貰う時、と思うようにはしています。

http://www.youtube.com/watch?v=fwB6DfKQx-8

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
すべてが自分の思い通りに運ぶ人生は有りませんよね。
辛いことは自分にとって試練だと、
考える視線を変えてみると何か解決への道が見つかりそうです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

わたしは女なので母の優しいだけでないいろんな姿を見ています
女の子のとって母親は時に甘いだけでない敵対する存在でもあります
そういう経験ゆえ母が苦しむ姿もある意味客観視する部分があったように思います
気付いておられるように生々しい苦しみを見ることも試練かも知れません
優れたカウンセラーに苦しみを話してみられるのもよいのではと思いました

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
あの時の出来事は試練だったのだと、自分自身に言い聞かせていますが、
台所や母の書斎を掃除すると涙ぐんでしまいます。
心理カウンセラーを今さがしているところです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

悲しい時は気が済むまで泣くことが大切かと思う
外に思いをぶつけられるのは涙をとめどもなく流すこと
だと思うのですよ
哀しみも歓びも自分自身の心の中にあると思うのです

それと哀しむ貴方より元気な貴方をお母さんは喜ぶのでは
ないかしらん
意志を持てるこの世の人が彼岸へ逝った人への思い遣りとも
思えますがいかがでしょうか?

もし彼岸に私が逝って私の子が生き生きとしていて
くれてたらそのほうが彼岸に逝った母(私)は安心です

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
母が倒れた瞬間を【恐怖体験】だと勝手に決め付け、
トラウマめいて引きずった事自体・私自身が誤っていたと、
最近は思うようになりました。
そう解かってはいても、元気な母を想い出すと涙がね・・・。

今後私自身がしっかり生き抜く事こそ母を喜ばす、
その考え方一色に成るまで、まだ日数が係りそうですが、頑張ります。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

頑張らなくて良いんですよ
ありのままで良いんですよ
頑張ると血行が良くなくなる・・・
つかれてしまう
ありのままで行きましょうよ
大丈夫、人は辛さから立ち上がる勁さを隠し持っています
出す出さないは人次第ですよ
ありのまま・・・にね(^^♪

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
コメントありがとうございました。
母の命が続く間は今までできなかった親孝行してあげたいと思います。
これから更に母に関して何度も訪れるであろう辛い試練では、
なるべく平常心を保っていられるよう、
元気な当時の母を思い出して涙ぐみ仕事に手が付かない状態に成らぬよう、
今週中にメンタル・クリニックで相談してみたいと思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

時間が解決します。完全ではありませんが・・・。
私の母も8年ほど前、脳内出血で倒れ、現在重度の認知症です。
倒れた当日、頭が痛いと言っていた母を、人ごみの中へ買い物へ連れ出し、食事も、あとから思えば辛そうに食べていました。
お風呂に入ったあと、私の部屋の近くで倒れていました。
倒れていたことに、何時間気づかなかったのでしょう。
風呂上りで上半身裸だった母の体は、冷たくなっていました。
冬の真夜中にどんなに寒かったか、どんな思いで私に助けを求めようとしたのか、と考えると今でも自分を責めてしまいます。
当時は、食事も喉を通らず、夜も涙ばかりがでました。
それから、母の認知症が始まり、だんだんとひどくなり、
今では私(娘ですが)のことさえ娘だとは分からなくなる日があります。
生きていれば、辛いことが沢山あります。
辛くて耐えられないと思ったこともありますが、
時が過ぎて時間が解決してくれました。
今もまだ、問題は山積みですが、前向きにたんたんと生活しています。
回答になりましたでしょうか。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
普段、最も身近だった親族が居なくなる原因は様々ですが、事故等を除き、
突然死、又は、発作が起き病床に・・・。

後者の場合、ただ命が継続するだけで脳の機能は停止または劣化し、
寝たきりか重度の認知症に成るのは、
残され介護・看護する側は突然死よりも辛いかと思います。

今回の私の場合、前者は間一髪の救急要請で免れました。
幸い脳機能は低下していない模様ですので、
風化させてはなりませんが、
当たり前な?人生経験、これも勉強だと思い対応して行きます。

ただ主役である筈の母が居ない台所や洗濯機を見ると涙が零れます。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

特に母の形相と書かれた箇所のみに回答させて頂きます。
優しく、たぶん御美しいお母様の御顔の変化を受け止められないお気持ちは察しできます。私も母の顔をみるなり、
「なんでこんな顔に!」と(親戚も目をそらす程でした)
心臓マッサージの時は肛門から便が出てきますので匂いもあります。悲しむより、開口一番「窓を開けよう」でした。夢にまで出てきて、自分もあのような状態になるのかと一か月、眠れない状態が続きましたが、時間と自分の心の持ち方で解放されました。人間病んだり、死に際は生きている時とは大きく変わるものなのです。人によっては美しいままの方もいらっしゃいますが。現実を受け止めるまで色々な段階を克服していくと聞きました。お母様のご看病の大変さは、ご本人様にしかわからないでしょうが、なんとか乗り越えられることを願うばかりです。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
目を瞑ってうずくまるのではなく、白目をひんむき舌を出していたので、
いつもの母とは似ても似つかぬ表情、あれは地獄の恐怖でした。
目を開けていたのに救急車に乗せられた記憶が本人は
まったく無いと話しております。
幸い会話能力は回復しましたが、
手足へ脳の指令系統に障害が残り、車椅子か寝た切りでしょう。
母の看病は叔母(母と8つ下の妹)と協力し当たっています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

理解できます。

私は、24歳からの10年間、病気の母親の病床に付き合いました。私も今度こそ、今夜こそ母が死んでしまうかもしれないという夜を幾度も幾度も経験しました。また、母以外の同じような病気の方を同じ病室に何人も入院し、そして家へ帰ることなく退院していく姿を見送りました。

そういった長い間のストレスがたまっていったのでしょうか?その後、ものが食べられない・食べても吐くという症状がでるようになりました。それが摂食障害と診断され、安定剤などの薬を処方されましたが、結果的には直りませんでした。

今はフラワーレメディの”トラウマを解消する”という砂糖菓子のようなあまーいお菓子を飲んで、だんだん解消しつつあるような気がしています。

自分がした体験は消えないでしょう。でも、ゆっくりと形を変えて思い出に変わっていくと思っています。

母は私が結婚する時に介護施設に入り、6年前に死にました。こういったことを書くことができるようになったのも、ごく最近のことです。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
子が親より先に死ぬこと程の親不孝は他に無いとよく聞きます。
子より先に生まれた親が先に身体が衰えるのは自然現象。

たったそれだけの事なのに、余りにも突然過ぎたし、
母から目一杯の愛情を注がれ続けた私ですので、
今はショックが計り知れぬ大きく慌てているのだと思います。
今回のを風化させてはなりませんが、
あんな事も有ったんだと言う思い出に変えられるよう、
まずは自分自身がしっかり立ち直る事を考えてたいと思います。

親が高齢に成りましたので、
私が自立し親をリードする立場に成らなければいけないと、
心に言い聞かせながらも、まっそのうちでいいや〜とか、
なし崩し的にノンビリ構えていた私も迂闊でした。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お母さんの苦しんだ様子はわかりますが、コメントには書かないほうが良いかと思います。

これはクレームではなくて、あなたが、”おかあさんが苦しんだ”という思い出を自分の心に焼き付けてしまうのではないかと心配しているのです。

確かに私も、苦しんだだろう、つらかっただろう、痛かっただろう”と”かわいそう、かわいそう”と思っていましたが、ある時から、”苦しい・つらい・悲しい・・・”というネガティブな思い出をまず最初に手放してしまおう、心の中から追い出してしまおう、と思ったのです。

そのかわりに、母が私が子供の頃つくってくれた遠足のお弁当の思い出とか、運動会を見に来てくれて”がんばれ!!”と大騒ぎしたこととか、楽しいことだけを思い出にしようと思ったのです。

つらかった思い出はもう思い出さないようにして、”おかあさん、遠足の時作ってくれたお弁当、おいしかったよ”とか、楽しい思い出だけを思い出してあげたほうが、お母さんも喜ぶ!そう思ったのです。

立ち直るとは、亡き母とそういう楽しい思い出を語り合えること(心の中で)と、思っています。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
一昨日・昨日と病院で面会しましたら、
母は倒れた瞬間から数時間(病院で意識を戻すまで)の
「記憶・感覚が全く無い」と話しております。
昨日は私が楽しみにしていた母の得意料理の作り方を聞きました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

よかったですね。お母さんとの時間を大事にしてください。

そして、いい思い出だけをたくさん自分の心に覚えていくようにしてください。

お母さんから、たくさんの知恵を受け継ぐようにしてください。そして、幸せになってください。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は海外ふらり旅で色々な出来事に遭遇しました。
命の危険を肌で感じたりもしたのですが、一番心が折れたのは異国で異国のルールで裁かれ自分の明日が全くわからず不安感しかなかったことです。

無事帰国して日本から色々処理をしましたが、眠れず食べれず特にそのときの光景をフラッシュバックさせる状況があり車の運転が恐怖となってる自分に驚きました。

この状態から抜け出たのは2ヵ月後でした。
きっかけは定期的に行ってる歯の検診でした。
歯科衛生士さんが口中のお手入れをしてくれてる時に、ふっと眠気が出て心が軽くなりました。

全く関係のない日常の中に癒されたようです。

今又、私は4年以上も前の出来事を強く引きずっています。
この苦しみを誰かに言った事はありません。
先日、私の苦しみを理解してくれるあろう人に少し心情を話す機会がありました。

結果、人にはこの苦しみが伝わらない、理解できないということ。
4年以上経っても、この苦しみは全く色褪せずあの時と全く同じ絶望感に陥る自分に気付きました。

あの時にそれまでの人間関係を全て取りやめ仕事も変え自分なりに天の理が私に永遠の休息を許すまで静かに生きようと思いました。
それなりにきちんと前向きに見られているようですが、それは見せかけです。

私はあの世まで持っていくつもりです。
乗り越えられないのなら、抱えていくしかない。
もしかして、何かの時にふっと楽になる日が来るかもしれないという期待も少しはありますが

誰も大なり小なり苦しみを抱えて生きているんだろうと思います。
自分の苦しみをわかってもらえない事にガッカリするになら、誰にも理解してもらおうと試みない方がいいと私は考えます。

私は4年以上たっても、まだこんなに苦しがってる自分に驚くとともに、4年以上経っても苦しみの原因について何一つ語れない自分の弱さを自覚しました。
一生付き合っていく所存です。

やや的外れな駄文ですが、こんな奴もいると一笑に付してください。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
色々と気分転換を試みて前向きに生きようとしても、
大きな心のショックは消えにくいですよね。
どう思い出さずにいられるかですね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

人生の全てを教えて下さったお母様。
その素晴らしいお母様の元に生まれて感謝していらっしゃる。
そのお母様からもうひとつ教わった。と、思えませんか?

先ずは「首つり自殺的な」と言う表現をあなたの頭の中から消す事かしら。
お母様は首つりではないのですから。

敬愛している優しい表情のお母様をあなたが常にイメージする事で随分気持ちは軽減されるかもしれませんね。


また、ご自分を責める必要も全くありませんよ。

暫くは恐怖体験として記憶が蘇ってしまうかもしれませんが、ここにこうして記せるのですから、きっと気持ちの整理が付けられると思うのです。

現実を受け入れられますように。

時に、惨いと思える状況に置かれてしまうのも人生ですが、「乗り越えられない試練は与えられない」と信じて下さいね。

私には75歳の母がいますが、父が他界した現実を受け入れられずに母は壊れてしまいました。人格が完全に変わってしまい、それは現在も続いています。
(ここにはとても記せません、ごめんなさい)

「今までのお母さんはもういない。優しかったお母さん、ありがとう、さようなら。これからは戸惑いながらも精一杯出来る事を。」と自分自身の中でケリをつけました。
別人格の母に対しては、時には他人に接する様にして自分をも守りながらきました。
懐かしい家族のアルバムをめくりながら、自分を励ましてた時期も(苦笑)。

ショックからのトラウマと感じていらっつしゃるなら、メンタルクリニックで、一度気持ちを聴いて貰ってくださいね。
今は、依存性のない睡眠導入剤も出ていますから、ご自分の身体も労わって、十分な睡眠をとれますように。

変わり果てた姿も愛おしく感じる日も必ず来ますよ。

うまくまとめられません。(陳謝)






悲しみのあまり、恐怖体験としてしまわない様になさってください。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
ランさん、早速の御回答ありがとうございました。
敬愛している優しい表情の母を常にイメージし、
私が経験した恐怖を消し去るように努力しますが、
過去の、と言うか、つい最近までの笑顔を思い浮かべると、
余計虚しく悲しみが込み上げて来てしまいます今は。
でも「乗り越えられない試練は与えられない」その通りですね。

今回の出来事に至るまでは様々な状況が絡み合っております。
実は母は2年前から、
重度認知症の夫(私の父)を介護していました。
父は部屋の中じゅう糞尿で汚したり深夜の母に暴言、
「自分が世話されるのではなく、母の面倒を見ているのだ」と
言い出す始末で、母は極度の精神的疲労に陥りました。

その母を一日でも早くラクさせたい一心から、
介護被保険者の要介護2認定を今年1月に取得し、
WEBサイトなどでケア施設を幾つも検索・訪問した末、
4月下旬にやっと父を介護付き老人ホームに入居させました。
ただ去年から母と私とで何度も父に入居を勧告しても、
頑固な父は自宅に執着が強くホーム行きを拒否し続けたので、
母と私とで作戦を練り「認知度合いの検査入院だ」と父に告げ、
結果として父を騙してホームへ入居させたのでした。

それから僅か3ヶ月後、今度は母が介護疲れからか発病し、
父を捨てた(騙してホーム送りしたの天に唾する)行為に対する
シッペ返しとして、
母と私とが引き裂かれたのか?と思うようになりました。
何故、優しく素晴らしい人間の母がムゴイ仕打ちを?
こんな後ろめたさが私の心の中で消えません。
父はホームでは家に帰せ帰せと職員に喰って掛かるそうですが、
肉親の父を再び自宅で引き取り介護など物理的に無理です。

今まで私は母にやって貰い当たり前、
我ながら溺愛され過ぎを感ずる生活でしたので、
そこからのギャップに精神状態がパニクっていると思います。
台所の流しの下から使う人の無い小麦粉やパン粉ゴム手袋、
母が旅先で買って来た人形などを見ると涙が込み上げます。

私は生まれて50年間3人家族で育って来たのが、
一人減り二人減り、今は寂しさ虚しさばかり感じますので、
一度メンタルクリニックに相談してみることにします。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

こんばんは。
つい最近の事なのですね。
ご心痛、、、お察しいたします、、。

お母様の看病をおひとりでしてるのではと心配しましたが、
他へのレスに叔母様と一緒だと知って少し安堵しました。
おひとりで抱え込まない様になさってください。

もしも、お父様の介護をされてる最中にお母様が倒れていたら、
どんなに心細く、もっとご自分を責めていた事でしょうね。

ホームへ入所して貰った事へのしっぺ返しと考えてはいけませんよ。
誰も責める事など出来ませんし、最も良い方法を選択してると思います。
病気は、何かの落ち度の結果でもなんでもありませんし。

ご両親が心配でたまらないでしょうけれど、
暫く最優先させるべきは、「ご自身の精神の安定と体調を整える」事かと思います。

拝読しますと、責任感が非常に強いことがうかがえます。
親しい方に気持ちを打ち明ける等して心を軽く出来ますように。
泣きたいときは存分に涙を流してくださいね。
そして、徐々に今後のライフスタイルを模索しながら、ご両親との時間を持ってくださいね。

質の良い睡眠が確保出来ますように。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
ランさん、こんにちは。

叔母は現在年金生活者であり、
昭和39年までは私達親子3人を含む直系家族(マス夫さん現象)
6人で住んでいた大きな家に一人暮らししております。
母と私の自宅から車で1時間の所に別居生活ですが、
今回のを機に一緒に又生活しようか?とも論じております。

母の発病が、父を無理やり老人ホームへ入居させた事への
シッペ返しか?と思うように成ったのは、
20数年前のTV連続ドラマ(清川虹子主演だったかな?)で
老人ホーム送りされた生き霊の怨念だとか言う話を聞いたのと、
母が、誰も居る筈のない父の寝室から父のイビキが聞こえるとか、
これも父の生き霊の仕業か?と思える気味の悪い話をしていたので、
科学的根拠が無いのは承知であるのに、そう感じたからです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

おはようございます。
しっかり眠って少しは休養も出来てますか?
酷暑ですから、何もなくとも身体にこたえますし、ご自愛くださいね。

20数年前のドラマの一部を強烈に覚えていらっしゃるって凄いですねぇ。元々、感受性が強いんでしょう。
ですが、霊の力が(霊を信じている人にとり)悪い方へ働くばかりとも思えませんし、捉え方ひとつだと思います。
全ての事柄には「時期」や「時」があるものですから、目の前のひとつひとつをクリアして行く為にも、ご自分の励みや力となる事柄を心に覚えて過ごしてくださいね。
何より、日々の状況に心細さを感じずに過ごせますように。
長丁場になる事も考えながら、無理のないペースで過ごしてくださいね。
守られますように…。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
先週末には母は車椅子ながら、面会に行った叔母と私と三人で
病院の食堂にて食事し普通に会話できるまで回復したのに、
今日の様子はベッドの上で点滴の針を痛がりもがき、
食事トイレは自分でできず、しかも言語中枢を侵されたのか、
私が幾ら話しかけても言葉も視線も反応が有りません。
今日の苦しむさまは自分が代わってあげられず歯がゆく、
最初に倒れた直後と同じ位なトラウマに成りそうです。
主治医の話だと血圧や脈拍・体温に著変は無いので、
そんな深刻に心配する程の事でも無いとの事ですが・・・。

面会に行き親孝行したいプランも、本人が記憶中枢を侵され、
誰が来たのかすら判らないと成ると非常に虚しいです。

母が痛く苦しそうにしているのを見ると悲しくてやりきれませんが、
自分は自分として、平常心で居られる為の気分転換しなければと思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

そうだったんですか…

お母様の病状もきっとその日、その日で違うのでしょうね。
苦しむ傍で付き添うだけは心が痛みますが、
それでも、お母様は心強いかもしれません。

辛くならない程度の「寄り添い」を会得してください。
日々のどこかで、心が穏やかに過ごせますように。
おひとりで全てを背負わない様に、環境を整えられますように。

お母様、お父様の為にも、どうぞ御身ご自愛くださいね。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
今日、叔母と相談し、平日は年金生活者の叔母が隔日に面会し、
週末は私が面会する形にシェアリングするようにしました。
行く回数が少ない分、私が主治医との意志を決定すると言う事も。

元気な時には愛情を注いでくれた母ですから、できれば毎晩
私が仕事を早退し病院のベッドで背中を撫でてあげたい所ですが
(事実そうした経験を持つ絵画仲間の女性が居ます)、
自分自身の生活や仕事収入・健康面に支障を来たしては、
かえって親不孝だ、看護する側がダウンしたら元も子も無いと、
叔母に忠告されましたので、明日から叔母の案でやってみます。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は10年前に母親を亡くしました。
真夜中だったので、家族の中で
死に目に立ち会ったのは私だけでした。
やはりショックでしたけど、
今は、私だけでも
死に目に立ち会えた事を幸せに思っています。
時(とき)が解決しますし、時しか解決できません。。。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
急死されたのですか?それはお辛かったでしょう。

私は母が倒れた日曜日にはスケッチに行く予定でしたが、
なんと無く出掛ける気が進まず、
一緒に昼食している最中で突然の出来事でした。
その場で救急車を呼び助けられたのが不幸中の幸い、
もし私が予定通りスケッチに出掛けていたら・・・、と思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

そうですね。
貴方が居たから
お母さんの
命だけは救われた
そぅ考えましょう。。。

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