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よくあるご質問

回答受付は終了しました
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

あなたは、死について考えたことありますか?

[その他]

死んだら、この私は、一体どこへいっちゃうんだろうか?

と、考えたことないですか?

必ず、その日はやってきます。

あなたは、死ぬための準備をしていますか?

あなたのお考えを教えて下さい。

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回答 37件

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

子供時代から考えない年はなかったです。
毎日 母か兄にたたかれて・・・
若い時はそれでも300歳まで生きたいと思ったりもしましたが、セクハラで神経症になってから10数年<楽に死ぬ>ことを考えます。でも<寿命>はあるのでは?と思っています。自殺しようとしても まだ 寿命でなかったら 死ねない・・・過去未遂が一回(失敗)末兄は3度目で成功しました
娘が夫に裏切られさらにDVになり、現代版駆け込み寺に避難しています。何度も<死にたい>と言いました。必至で止めました。「死ね!しね!」という夫への当てつけだと、分かりました。神経がすごく疲れました。本当に<死にたい>と今度言ったら 止めません!そんなに辛いなら・・と思います。
母が82歳でくも膜下で亡くなったのは 私が離婚したからだと長兄に言われました。死にたい理由は星の数ほどあります
けど・・・寿命を信じる事にしました とっても辛い日が続いていますが、この年で<明るい未来>は期待していませんが・
・・・。寿命を全うすることに腹をくくりました
私は前世を覚えていないので、魂の生まれ変わり どうのこうの は分りませんが、今の人生を覚えていて生まれ変わりたくないなあ〜。宇宙をさまよう方がキレイでいいかも。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死んだら肉体は灰になるのでしょうが、魂はどうなるかですよね。こればかりは死んで見ないとわかりません。
死ぬ為の準備というより、いかに死ぬかの方が大事ではないでしょうか?ヨイヨイになつて寝たきり状態で死を待つくらいなら、薬物注射による安楽死を望みたいですよね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

何時か判らないけど確実に来ますね。
私は元の世界に帰るのだと考えています。
でも、二度と生まれたくありませんが

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私の知人は女性ですが、武士の家系で「死ぬことは怖くない」と言っていました。
実際、身の回りを一切きれいに片付け、美容院で髪もきれいに整えたときにまったく不測の事態で急死されました。
武家ではどんな心得を伝承しているのでしょうね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死ぬ瞬間を感じた時は人間は、案外冷静なものです。

病気と闘い、生きられた今、


幸せです。


死ぬ事より今日一日を明日の為に

どう生きるかかと思います。

そして、自分の手で、沢山の幸せな

出会い、そして楽しい、生きがいある

時間を繋いでいきましたら


きっと 死ぬ  事なんて怖くありません。


自分のしたい事、する事、

もう沢山いろいろしました。

これで充分です。


こんなふうに生きてみてから考える事だと

思います。

死ぬ事より  精一杯  生きて

そして、沢山 自分が 幸せと思える

こんな事を考えて生きたら自然と答えが

わかります。

死ぬ準備は、何よりも

回りを簡素化して、毎日 沢山回りを

幸せにする事です。

生きている幸せ  これは、  何にも

かえ難いものです。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
死ぬ準備とは、今をどう生きるか。だと私は思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

そういうお考えもありますが、

本当に、死を身近に感じた人は、死と言う言葉は

あまり触れたくないかも知れませんよ。

何よりも生きて生きて沢山笑い、しあわせーーと思い

毎日、今日も生きられ 明日も きっと生きられる

こう思える今、最高に幸せです。

明日は生きられるかと不安でたまらない日がありました。

だから、生きていられる今、最高に幸せです。

神様に生かしてくれて感謝です。

生きてこうしてコメントが書ける事も幸せです。

死ぬ事を考えるよりも どう  幸せ に

生きられるか、そんな 事を 考えていた方が

元気になりますーーよ。

回答がズレた事をお詫びします。

ただ、こんな世の中です。 

楽しい、面白い 質問 もお願いします。

沢山の質問されているようですので。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は危うく死に直面した事が2度有ります。大袈裟か否かは解りませんが・・・。
1度目は5歳の時に海で浮輪に腰掛けて居たら大きな浮輪だった為穴からすり抜け海中へ・・・・。
町内の海行きだった為近所のお兄ちゃんに救助され人工呼吸 大量の塩水を吐き出し無事生還しました。
青空と海水の屈折の為か真っ青な景色の中に花畑が広がっておりました。ポピー園の中に居た様な・・・。
それから10年程過ぎ爺様の法事の時に僧侶の説法の中で彼岸(向う岸)は花畑が広がり・・・・とか言われ何時ぞや見た光景なのか・・・?と理解しております。
そして5年前単身赴任していた時に不摂生がたたりクモ膜下出血で倒れた時にも花畑を見ました。この時は出血の場所が場所だけに妄想なのか解りませんが・・・・。
また臨死体験の様に客観的に私を見ている私も居りましたよ。
完全に亡き骸になってしまったら解りませんが、死ぬ一瞬はそんなものでは無いのかと推察しております。
最近は身近な人が亡くなられる度に死に就いては考えますよ。
このコーナーをお借りしまして飯島愛さんのご冥福をお祈りします。         合掌   好きでした。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

生あるもの死は必定なり。行き先は誰もわからない。
死んだ後の行き先など考えるだけ無駄でしょう。
宗教を信心している方であればそれなりの考えがあると思います。私の家は一応浄土真宗ですが、日頃意識したことはありませんし、私が死んでもお墓を作るつもりはありません。散骨は違法ではありませんからそれで十分です。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

考えたことあります。
いつもではありませんがどこか頭の片隅にあります。
時間は無限ではなく有限だと思える年齢になり余計に・・。

15年前子宮収縮剤の点滴を受けていた時のこと
休みなく押し寄せる激痛の中
とても良い香りがしてきて
気がつくと私は一面の花畑の真ん中にいました。
一つ一つ見たこともない淡い色をした花です。
少し風があってふんわり暖かくて・・・
ずっと向うに誰か人が一人立っていました。
ここはどこか聞きたくてその人の方へ歩いていこうとしたら
虹色のカーテンに遮られ
打楽器系の音楽が聞こえてきました。
耳を押えたくなるほど大きくなり気がつくと
目の前にベッドに横になってる私と
男性のお医者さんが二人と看護師さんが二人
もっと向うに看護師さんがあと2.3人が見えました。
私はカーテンレールのあるくらいの位置から一望していました。

とても不思議な体験で
その時意識がなくなってる中無事帝王切開で
娘を出産することができました。
その後麻酔をされると幻覚がおきると聞きましたが
それからは死ぬと無になると思いながらも
生から死への瀬戸際の世界はあるかもと思うようになりました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

この世には死を体験した人は居ないと思いますが、

勝手に想像しての喜怒哀楽の死生観を持ちましょう。

70を超えたらみんな適齢期です。出来るだけ楽しんでいる間に、ローソクが消えるようにお互いの人生はオワリます。

死ぬのが嫌なお方は,認知症促進剤?ですべてを忘れましょう。

死ぬのが怖いならターミナルケアの先生に相談しましょう。   
楽しく生きたいならおバカさんになりましょう。

準備といえば、隠しどこを忘れそうで気に懸かっていた、昔のカレシの「恋文」を燃えるゴミで廃棄し、現世の煩悩を断ち斬りました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

人間は肉身と霊人体の二重構造になっています死後は肉身を離れて霊人体は四次元の霊界へ行くようになっています今
生きているときの意識や感情などの心はそのままのこるのです。生きているときの功労によって霊界の位置が違います世界のために生きた人は成人となり楽園にいます(イエスキリスト)が普通は自己中心的に生きた人は低級霊界の地獄に行くほうが多いのです、霊界で永遠に生きるのです、肉親生活は霊界世界へ行くための準備期間なのです。天国へはいったひとは未だ一人もいません。人間は生まれ変わる事は絶対にありません

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

究極の質問ですね、私は浄土真宗ですが、仏教では悟りを開くために、この世に生まれてきたのだと教えています。ですがこの世では悟りは難しくてとても悟る事はできません。高僧な僧が何年何年かかればできるかもしれませんが普通の人でわできません。だから親鸞聖人さま 南無阿弥陀仏 を唱えれば極楽に往生する。と言う教えを説かれています。(南無阿弥陀仏を唱えるとは口で唱えるだけでなく 実感する 体験する。譬えば自分の親を、あのひとは他人からお前の親だよ言われて、そうかあの人が親かと思う人はいませんよね、生まれた時から自然に親は親だとわかっています。南無阿弥陀仏は我々この世の迷いから人々を救うために現れた仏様であり、死んだら必ず救くてくれる仏様だと思えたとき、実感したとき、その時に救われます)               死ねば必ず地獄へ行きます。そこで何か確かな信仰がなければ救い有りません。           次ページへ

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死は思考の停止、記憶の破壊であり、すなわち「無」になることと思います。

 生命は原始地球の時代から形を変え、進化を繰り返し、連綿と続く命の連鎖の上にいまの私たちはあります。これを思うと厳粛な気持ちになります。
その鎖の一箇所でも欠けると存在しない訳で、気の遠くなるような小さい確率の中で今の私たちは生きています。この世に生を得たことに感謝です。この幸運に比べたら死なんて些細なことに見えませんか?
 生命のつながりの中で私たちの存在したことが残っていくのではないでしょうか。 
 一方、臨死体験の事実はたくさんあります。死後の世界があるかのような!
 でも、人間の脳には死ぬ間際に作動する領域があるようで、脳への電気的刺激によっても臨死体験もどきとなるようです。
 
 死を受け止める心の準備のことでしょうか。質問の本意がわかりません。

 死ぬ準備とは生きる意味を問い続けた後にできる事だと思います。他人に聞いてどうなるものでもないと思いますが。
 しかし残った人が困らないようにしておくことは大事なことでしょうね。尊厳死を望むとか遺言とか。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死とは、朝の来ない深い眠り・・・・
そんな死に方をしたいですね
痛い死・苦しい死はいやです。遺言はいずれ考えています。最近体力がなくなった・・・
家族に負担をかけない死を選びたいです。
政府は安楽死法を成立させるべきと思います。高額な医療費を若者に負担させることは、国力の低下に繋がります。本人と家族の同意で安楽死を

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

こればかりは だれも経験した事を事実として客観的に示したことはありませんね

・・・ということは 人が何と言おうが(もし それが真実だとしても^^) そのキャンパスは空白なのです
そこで 自分の都合イイ様に想像して書き込んで 作り上げてしまえばイイんじゃないのでしょうか?
一部の宗教は来世の不安を煽りたててお金儲けして」いる様ですが^^

そんなに 心配しなくても 成る様にしかならないと思いますョ

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死んだらどこへいくのだろう?

これは考えたことないのですが
死は 年齢に関係なく 隣合わせのように思ってます。

交通事故なんか 運悪かったら一瞬ですよね。

私は 死んだときのためのBOX 用意してます。

中身は 自分の写真(主人だと どんなのを使うか 不安いっぱいなので) 
自宅のライフラインの引き落とし先  生命保険等 の記入したものが 入ってます。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

「死にたいなぁ。。」って考えてます。
森山直太郎の歌のとおり、生きているのが辛いから。

でも、自殺したら子供がどんなに傷つくか考える理性はあるようなので、毎日、小さなよろこびや楽しみや人との交流やメンタルクリニックに助けられて生きています。働いています。

もし、病を得たら「くたばる楽しみ」を得たと喜ぶと思います。
働いて疲れきった人が夜に「あーやっと寝れる!」と思うように、「あーやっと死ねる!」って思うんじゃないかな。
わかんないけど。

少女のころ、お産がとても恐かったけど、大人となると妊娠・出産・育児ができたように。。。
そう案ずるより生むが易し。 死ぬのも案ずるより易いんじゃないかな???

実務的な「準備」としては、(当面死ぬ予定はありませんが、事故もありうるので)
・献体に登録して、親類に連絡先をしらせてある。
 献体後は遺体は大学の共同墓地に入れてもらう。
・保険・年金・貯金通帳類のファイルの在り処を家族に教えてある。
・献体できなかったら、お墓など買わないで散骨してもらえるよう業者のパンフを用意してある。
・遺影に使えるようなまともな写真を用意する←でも、もともとが変な顔だから適当な写真がないのよねぇ

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

思弁的(形而上)な単なる私見です。

>死んだら、この私は、一体どこへいっちゃうんだろうか?・・・
貴方がこの世に生まれる前の状態に戻る・・・と考えてみては如何でしょう。

>あなたは、死ぬための準備をしていますか?
自分の死後、子、孫と子孫について、思いを馳せますがおのずと準備に限界がありることを痛感します。 
一方、『自身の死に臨んでの心の準備』などは一切必要を感じません。 何故なれば、何時でも、誰でも、どの様な場合でも、生命が終わる時、それに抵抗する事なく受け入れる状態(やすらかに)であると想像できます。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

瞬間、瞬間いつ死んでもいいように悔いの無い日々を過ごしています^^
昔、私の上司がいつ死んでも仕事が滞り無い様にしておけと良く言ってました。未だに毎日、死んでもいいように過ごしていますよ〜^^

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

もちろん楽しく、可笑しく、最高に幸せにね〜^^

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死んだら何処へ行くかはわかりません。
宇宙の理屈と同じです。宇宙の端はあるのか?その先はどうなっているのか?答えのない質問です。
もしあるとすれば、死んだら全てが消える。ただそれだけです。

発作が起きた時、死ぬかもと思った時は、何回もあります。

しかし、死ぬための準備はしていません。
ただ明日どう生きようかだけは考えています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

あまり考えません。
終わりは必ずくるのでしょうけど、今を精一杯生きることしか考えません。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

生老病死
生まれたからには人間は生きた行く過程
年を取ると老いて行く事は誰もわかっている
その過程ではやはり色々な病を体験し
やがて亡くなって行く
仙人でも長くは生きて行く事は出来ません。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

仏教では人間も含めた動物、植物、そして地球をも含めた
一切のものは「成住壊空」を繰り返し永遠に存続すると説いています。

成・・この世に生まれて来ること。
住・・活動し、存続している期間。
壊・・老いや病気で死ぬこと。
空・・宇宙生命に還ること。

という意味です。それによれば、生命は永遠であり
死は生命の一つの変化相に過ぎないということです。

例えば、Aという人が亡くなった場合、宇宙の大生命に一体となって溶け込み、Aさんが居ると言えば居るとも云えるし、居ないと言えば居ないとも云える状態を「空」と呼んでいます。その状態で再び、エネルギーを蓄え、生前生きて行動してきた因果を引き継いで、次の生を待つというのです。生まれ変わるのでは無く、同じAさんが継続する。
したがって、空とは無ではないことに注意が必要です。

私はこの仏教の生命観は科学的に全く矛盾を感じません。
有の生命が無になる、などということは我々凡人の見た目にはそう見えても、エネルギー保存の法則等から考えても
有り得ないことでしょう。

仏教の結論として誰人の生命も永遠であり、無始無終であるということです。そして人は生きている間、種種の行動を起こす中で、幸せになる原因を積んだり、あるいは不幸になる原因を積む。その総決算が死ということである。

生前どんな原因を積んだか?によって、次の生の宿業となって現れてくる。私は厳粛な事実と受け止めている。

良くだれ、彼れの能力は「持って生まれたものだ」などと
云うけれど、何処から持ってきたの??
また、生まれて間もなく殺されたり、重度の障害を持って
生まれてくる子供は何が原因でそんなことになるのであろうか?生きたくて生きたくて仕方の無い若者が病死する場合もある。誰も深く原因など考えようともしないのが常である。
ただ、「運が悪かった」と言うのみ・・・

たとえば、航空機の墜落事故が起きたとする。
それを「運が悪かったから」で済ませるだろうか?
科学的と言えるでしょうか?

今、私の最大の関心事は如何にして限られた時間の中で「良い原因を積むか」ということです。
それを私は日々、喜びを持って挑戦しています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

あなたの考えに大賛成です。大拍手を送ります!難しいことはわかりませんが貴方の結論がとても良いです。コメントをかかずにおれないくらい、素晴らしいと思います。また、あなたは日々それを心がけて実践しておられるとのこと本当に素晴らしの一言につきます!

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

貴方の考え方に賛同します。
私も人間は永遠に死なないと思います。
人間の本質は「いのち」=「心」だから永遠に死なないと思います。
 「仏教の生命観は科学的に全く矛盾を感じません。
 有の生命が無になる、などということは我々凡人の見た 目にはそう見えても、エネルギー保存の法則等から考え ても…」
まったく、そのとおりだとおもいます。
 人間が死んだら受胎する前の状態、精子、卵子の「いのち」になり、外から見て遺伝子(DNA)内から見て(因縁)をつけて、自分の子孫に生まれやすいと言われていす。
                      (斉藤哲学より)
 毎日、良いことをしょうと心がけされて実践なさっていることに頭がさがります。  私も人の役にたちたいと思うのですが実践が伴いません。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私もホトトギスさん始め、賛同なされている方々と全く同意見で、生を生きる、生きようとしている人に、どれだけ心強く響く説だろうかと思います。
有なものが、突然無になることがあり得ないと思うのは、人によって違うと
思いますが、なにより人間は(動物、その他の生命体もすべて)心を持っているのですから、善かれ悪かれ、その心が無くなるというのであれば、神(この世の創造主)が与えた上での必然性がありません。
よって、どんなに厳しい状況でも、善行を行った人は、恐らくそれに値する
ような、次の幾分幸せな人生を過ごすでしょうし、日頃から、自己中心的な考えで、自身さえよければ良いといったような人生を送ってきた人は、
その報いを受け、冴えない不幸な人生を歩むのではないでしょうか?
仏教の教えにあるように、何事も因果関係があり、現社会でもそうなように、
物事がそうなるには、原因が必ずあると思います。
ですので、事故などで不慮の死を迎えるのであれば、そうなった原因が
やはりあると思います。
よって、運が悪かったなどのような、漠然とした理由で片付けるのはちょっと違うと思います。
人間は煩悩の塊とは良くいいますが、欲の誘惑からは逃れることは、なまじ心がある故に難しいですね。
ただ、1つ悪いと思ったことをしたら、例えば、その倍良いと思うことをしてみることで、そのような気持ちであることで、自分も救えると考えて、私は日々生きるようにしています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

ご心配なく!
必ず死ねます!
少なくとも健康な人は必ずトレーニングしてますよ!時間の長短はあっても!
睡眠というコントロールの出来ない世界を経験してます。

私の両親はもうすでに他界しています。
今は義母と同居ですが、89歳になる義母が言います。
「長く生き過ぎたネ!!」って
何か死にたい理由はあるの??
もう迷惑をかけるだけだからさ!!って

私は、慰めも言わず!
「明日になったらお墓の前にテントを張ってあげるから、今晩引っ越しの準備する??」

今・今日・此の刻 何時亡くなってもおかしくない歳なんだから、心配するなよ!迎えの使者は向かってるよ!!ってね

確定している死をあれこれ考えるより!
今を生きるを考えてみたらどうですか?

不死について考えるならば徐福の神仙術をマスターしないとネ

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

おもしろいQ&Aですね。これはヒットだと思います。

死生観について、いろんな意見があります。

誰もが、一体どうなるんだろうと考え込んでしまうんですが、誰にも聞けないし、聞いても明確な答えが返ってくるわけありません。誰も死の世界に行って、戻って来た人はいないんですから…。

昔のことですが、偉い方が講演で、「人は可能性を捨てながら生きる」と諭されました。赤ん坊は、生まれたときには無限の可能性を持って生まれ出て来る。ところが、大きくなるにつれ「頭が人より劣る」とか「顔が不細工」とか「運動が出来ない」とか… みんなが理想とする人に近づく可能性が無くなって、だんだん凡人に近くなるわけです。

でも、その子供は自分なりに努力をするので、それなりに周りの期待を集め、可能性が復活するわけです。その可能性が多くなったところで、その可能性に期待する伴侶と一緒になって、更に大きな可能性に向かって歩き始めます。

でも年が経つにつれ、可能性はだんだん少なくなります。50歳になって筋骨隆々とはいかないし、誰もが振り返る眉目秀麗とはいきません。それなりに経年変化を遂げるものです。人だけではなく生物すべてが可能性を捨てるのです。人が最期を迎える時は、そのすべての可能性を失った時です。

可能性がなくなってるのに、自分が気づかないだけで、ヒタヒタとその時は近づいています。森羅万象、それが自然界の掟ですから人為的に止めるなんて、屁のツッパリのようなものだと思います。なんと言っても、生きる可能性が無くなるんですから。

死ぬのに準備など要らないと思います。自然界を見れば判りますが、誰も気づかぬうちに生まれ、誰も気づかぬうちにこと絶えるんですから。お墓も仏壇も、あってもなくてもいいと思います。1億2000万人もたった84年の間に死ぬんですから、そんなに墓や仏壇が出来ても、誰が弔うんです?

それより、今残ってる可能性を見つめて、何をやろうかと考える方がワクワクしませんか?死後の世界を心配しても、諸説紛々で雲を掴むようなものではないでしょうか。「人は可能性を捨てながら生きる」と、諭されました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私の信頼していた一番の友人(家族付き合いしていた)が1年半前に亡くなりました。その原因はガンだったのですが奥様にもはっきりした事を云わず突然亡くなられました。奥様は非常に残念がっていました。そして私はその友人と夢の中で再開しました、そしてその友人が曰く、下界の事は実によく見えているとの事でした。そして本人は「何もできないので、家内を助けてやって欲しい」と頼むのです。又定期的に会えるのか? との質問に会おうと言ってくれました。合った夢を見たのは9月23日のお彼岸最後の日の朝3時で直ぐ家内を起こして報告をしましたので今でもはっきりと覚えています。奥様の所にはでないで友人の所に現れたのは奥様に病気の事もはっきりと言ってなかったからではないか?と思っています。この友人はお医者さんでしたからこの様な事になったのですが、亡くなる寸前にはすべて自分で出来るお金の処分、今後の対策がされていましたが奥様にはこの事も報告されてなかったのです。その事で余計に奥様の夢には出なかったのか?とも思いますが、私は死んだ後もやはり声だけの死後の世界が存在しているのではないか?と思っています。従って真っ直ぐに生きなければ沢山の目が注がれていると思っています。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

アナトリアさん、こんばんは。

そうですか…、親友を亡くされ、さぞ落胆も大きかった事と思います。人の命って判らないものですね。お医者さんでも、自分の最期が判らないくらいですから、何か大きな力で司られているのでしょうね。

私の幼馴染みや親友や多くの友人が、亡くなりました。たいてい癌ですね。しかも、みんな手遅れです。もっと早く気づけば…と思うのですが、気づいていても助かったかどうか判りません。それこそ大きな力で引っ張られてしまうのでしょう。

夢に出てきてくれるのなら、いろいろ聞きたいこともあるのですが、あまり夢を見ないので、残念ながらそのような経験はありません。貴重なお話を、ありがとうございました。死後の世界については、いろいろありますようで、またいろんな話をお聞かせください。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死とは何か?
今を生きることの裏返し。
何故?死に向かって人は「生きているから」
ただ、誰も何時死ぬか、わからないから

今を生きる
それのみしかない

そして 今 死を考える 
人の「存在」そのもの

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

自分については別に希望も要望も何もありません。
ただ妙な借金とか愛人とかは居ないし、隠し子も居ないとは言ってありますし、それに例えば、葬儀は無しで密葬とか遺骨は海とか森などに散骨とかくらいは頼みたいだけで、愛する人の余生まで関与・干渉する気も無いし良い人が出来たら「サッサと一緒になる様に!」とは充分に頼んであります。
(本人も既に了解済みです)
ではまた宜しく!

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は死んで自分がどうなるということよりも、
残された人が困らないように死んでいきたいと思います。

1.処分に困るようなものを残して逝かない。
2.今は健在な両親も、いつかは年を取ります。
私がいなくても、立派なシルバーマンションで暮らせるお金を残す。

これらのことを書き残した『エンディングノート』を作りました。
葬儀はどんなに希望しても、実際にどんな風になるかはわかりません。

でも、保険会社だけは、知らせておけば、
保険金をもらわない……なんてことはないでしょうから。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

まさに悩みはそれなのです。
こっちから教えてほしいのです。
最近、夜中にふと目がさめます。
そんなときにパニックが襲ってきます。
必ず死ぬ、必ず無になると思うと。
突然部屋を飛び出したくなります。
気がつくと足はがくがく震えています。
こんな恐怖はたとえようもありません。

57才ですよ。
酒に逃げるか、スカパーのHテレビに逃避するか、
ラジオ深夜便で気を散らすか。とにかく夜明けを待つ。

悩んでおるんです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

ダンシデさん 始めまして

私は12歳の頃に、ダンシデさんと同じ苦しみをしました
夜中に目が覚めて、狂ったように泣きました
父が理由を聞きましたが言えませんでした

長い年月が私を苦しめました、結婚して子供が生まれ
それは少し和らいでおりましたが
離婚して又再発しました、そして又苦しみました

死の恐怖に逃げる為に酒を飲み女を求め、あらゆる趣味に自分の思いを
逃避しようとしましたが、それはすべて空しいものでした

避けようのない死の定理を知ったのは、科学の「周期表」から始まりました
学びに5年の歳月が流れ、死はむしろ喜びである事を方程式でそれとなく
確信を抱くようになりました

今までは、眠る事が恐怖でしたのに、眠れる陶酔の喜びを知りましたのは
55歳の年月が流れておりました

ご一緒に語り合えれば嬉しいです、又宜しくです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

真に迫るものがありますね。
しかし「死はむしろ喜びである事、、、」云々は理解できません。
宗教的な得心でしょうか?

こちらこそまたよろしくお願いします。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は小さい頃から「生きる」ことにストレスを感じて、ずっと来ました。
やっと巡りあえた精神科医が「いつかは死ねますから安心して下さい」といってくれ、ほっとしました。

今は「生きる」ストレスとだいぶ上手に付き合えるようになりました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

これはまた僕の意見と正反対ですね。
僕はしぬのが怖いと言っているのに、
あなたはいきるのが辛かったと・・・・

むつかしいですね。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
ダンシデさんのお悩みよくわかります。
「死の恐怖に陥ってしまう」のですね。
私は、それを中一の時に、そうなりました。
そして、それを考えまいと他のことを考えるようになりました。
ですから、死の恐怖に陥る前に別なことを考えて、今に至っています。
今日、テレビで「長生きしたかったら痩せること」と言っていましたので、お試し下さい。それでも、不死ではありませんから、必ず死は訪れますね。
みんな怖いのです。誰も、あなたが感じたことを体験していないのだと思います。中々、覚悟出来ないと思いますよ。
でも、人間はそれを受け入れざるを得なくなりますね。誰でも。その域にどうやって、辿り着くかは人それぞれだと思います。色々とジタバタして、その域に辿り着いて下さい。私も頑張りますので。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

この質問をされたあなたに敬意を表します。
ネットの世界、覆面の世界だから本音で回答
できました(はずかしくてしょうがなかった)。

まことにもって真摯な問題ですね。
マスコミの世界を僕は嫌っています。
それに比べてネットはまだまだ可能性が
ある。   痛快なQ&Aです、ありがとう。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

本日のヤフーニュースより:

最新の研究によると、地球の磁場の内側に予想外の太陽粒子の厚い層が存在していることが判明し、太陽に対する地球の防御体制に大きなほころびが存在する可能性があるという。

 可能性が現実になった場合、太陽活動が活発化する時期になると、地球では過去数十年で最悪の太陽風が吹き荒れることになる。次の太陽活動極大期は2012年に始まると予測されている。

地球滅亡、人類滅亡はそれほど遠くありません。人間1人の死なんてどれほどの意味があるんでしょう。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死を挑むですか?その時にならないと分かりませんが、よくこの世に生を残せている間は自分がまだこの世の役割を果しきっていないなどと聞いた事があります。
なので、生かされている間は、まだやり残したことがあるのだと。
死を選ばなければならない状況になったときは、生きていて自分がもうできることがないか、又は役割を果しきったかのどちらかと考えます。
その状況になったときは、挑まず、潔く受け入れられる自分でありたいと思います。
日頃の行いが如何に重要であるかなのでしょうね。
これが死ぬための準備なのでは?って思います。
又、死後の世界は他の方同様、ありえないことだと思います。死後の様々な行事(お墓参り)とかは残されたものの慰めにすぎないと考えます。
「千の風に乗って」はそれを言い当てた歌だと思います。
死んだら、灰になり土になるのです。
魂は残された人の心の中で行き続けるのだと思います。
実際「浄土真宗」ではそういう風に言われていると聞いた事があります。
生きていても会えなくなることだってありますね。
「一期一会」人の縁も大切にしないといけませんね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

また考えてみました。
 やはり死は「無」だと思います。
 自分が眠った時のことを思い出してください。
 夢を見ている時はともかく、意識はありません。
 その状態が「無」であり死であると思います。

 30年前にある手術を受けた時、死に直面しました。
 私は知りませんでしたが、血圧が低下して緊急措置があったそうです。
 その時不思議なことがありました。
 すごく大きな仏さまの脚にすがって私は助けを求めていました。
 いまだに忘れられない、不可思議な体験です。

 つじつまの合わない話になりましたかね・・

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

突然死など、急に大切な人を亡くした経験から
「死」について、徹底的に学術的に、スピュリチュアルに考え、学んだ時期がありました。

そこから見えてきたものは、数分後自分は死ぬかもしれない。
100%の確立で全ての人間に平等に訪れるのは「死」しかない・・・ということでした。

それから、一分一秒を大切にすることにしました。
そして、周りの人も。
明日には会えないのかもしれないのだから。

部屋や身の回りは常に整えておこう。
人から見られてまずいものは処分しておこう。

これらのことを心がけることにしました。

でも毎日やると疲れるので、年に数度、身辺整理をしています。

急な事故などのために、下着などは綺麗なものを身につけておいた方が良いでしょう。

そして、毎日楽しく過ごしましょう^^。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

どこへ行くか分かりません
生ある者は必ず死にます
だけど、死ぬ準備などした事はありません
そんな事を考えて生きていこうとは思いませんし
今の人生を生きる事で精いっぱいです
ただ幾つになっても自分の夢を持ち
その夢にむかって一歩づつ進むだけです
途中で途切れる事が有っても今は自分の力で
進むだけです

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
それが、1つの答えだとも思いますね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死んだら無になるだけです。
輪廻転生、前世、確かな事はありません。三途の川を渡って天国か地獄?生理学的に脳の活動が停止したら魂や思念は霧散して終わりです。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
その日を迎える準備をしているのでしょうか。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死を感じた事はありますが準備はしていません。多分、まだ生きる方に力が向いているからだと思います。いざとなった時、受け入れる事は出来ないでしょう、生きる為に慌て騒ぎもがき苦しむと思います。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

家に来て下さるお寺様は死んだら一族の誰かのところに生まれ変わるといつもいつもおっしゃいますが・・・・

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
それを伺って、あなたは、どう思いますか。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

ええと、100パーセント信じているわけではありませんが、一応法事だお墓参りだとやっているわけですし、100パーセント否定しているわけではありません。

そして死んでしまったら、完全に無になってしまうというのもなにか違うような気がしています。うまく説明できませんが、ただ感じるのです^^

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死んだら何処へ行くのか?それは死んでみれば分かります。ただ仏教には「色即是空」という言葉があります。ただしこれも生きている人の作った言葉です。
 孔子様は「不語怪・力・乱・神。」と言ったそうですが、このあたりが正しいと思うのですがどうでしょう。
 見てきた様に死後を語るほどのインチキはこの世にありません。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死はすべては 無 になるんですがね・・
 今の つまり 生 に対しての執着がある限り、その日を平静に迎えることはできないと思います。
  あなたの「死ぬための準備」ってどんなことなのかわかりません。  もっと具体的にお願いします。 
 厳粛に考えたいと思います。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
「死ぬための準備」です。

最後の日を迎える時に、どう思うか? だと思います。

「我人生に悔いなし」

と、思えるかどうかでは、ないでしょうか。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

その人がどんな人生を送ったか、つまりそういうことだと思います。
 死ぬための「準備」とは違いますよね。
 この世での心がけかな・・

 いい人生をすごしたいものです。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

死ぬ準備と言われれば何とも答え様はありませんが、死に対する心構えと言われれば、あるつもりです。
病気や事故で何度か死を目前にしましたから。
だから余計に避けられるものは出来るだけ避けようと考えるのかも知れませんが、死を予感させるものについては結構敏感です。
どうしても避けられなくなれば、受け入れるより仕方ない、今まではそうして死と隣り合わせてきました。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
必ず訪れる「死」と、どうやって向き合えるか。ですね。

逃げるか。挑むか。

どちらかの選択になると思います。

私は、今まで逃げていました。

挑む方法は、あるのでしょうか。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

私は交通事故で下顎を粉砕骨折しました。
当時頭部はパンパンに腫れ上がり殆どの人が死を予想したと言いました。
本人はと言いますと、意識があったものだから必死で息をしていました。
人間の舌は顎で支えられているので、顎が無くなると喉の奥へ垂れてくるのです。
窒息するんですよ。
それも徐々に。
事故後13時間で喉を切開して貰い、息が出来るようになりましたが声は出せなくなりました。
これも結構恐かったですよ。
でも、あっちへ行ったりこっちへきたりしながら、それでも必死になって息をしていました。
諦めたら多分あっちの人だったでしょう。
その場に意識を持って立たされたら、多分誰でも逃げずに頑張るのではないでしょうか。
死ぬまでは。

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