英霊に尊崇の念を表しに行くのは、日本人として当然
ルーズベルトとチャーチルとの密約はあったのか
1940年6月22日、フランスが降伏してドイツがヨーロッパ大陸を制覇した。ドイツはイギリス上陸作戦を準備し連日空爆を加えた。フランクリン・ルーズベルト大統領はイギリスを救うために、参戦することを強く願っていたが、攻撃を受けた場合を除いて、アメリカ国外の戦闘に、陸海空軍を派遣しないと公約していたので、すぐに参戦はできなかった。
1940年9月3日には米英防衛協定が調印され、アメリカはイギリス領のニューファンドランドと、北大西洋のイギリス空軍、海軍基地を使用することと引き換えに、イギリスに50隻の旧型駆逐艦と、大量の小銃、機関銃、砲、弾薬を貸与した。1940年9月27日、日独伊三国同盟条約が調印されたことを聞いて、
ルーズベルト大統領は側近に「これで、日本をわれわれとの戦争に誘いこめる」と語った。
1940年10月7日、アメリカ海軍情報部極東課長のアーサー・マッコラムによる、
?蒋介石政権に可能な限りの支援を行う、
?米英が協力して対日禁輸を実施する、
?蘭印に日本へ石油を輸出させない、などの項目からなる、
日本を対米戦争に追い詰めるための提案書が提出され、
ルーズベルト大統領はただちに承認した。
1941年8月9日からルーズベルトとウィンストン・チャーチルはニューファンドランド島の沖合のアルジェンチアで会談を行った。チャーチルは何としてもアメリカをヨーロッパ戦争に参加させナチス・ドイツとの戦争に勝利しなければならなかったのである。チャーチルはルーズベルトに、アメリカがドイツに対して即刻宣戦を布告することを求めたが、ルーズベルトは国内世論の制約があったので、「まだ、それはできない」と答えた。
しかし、「あと数カ月は、日本という赤児をあやすつもりだ」と
しばらく待つよう語って、チャーチルを喜ばせた。
当時アメリカはイギリスと同盟は組んでいなかった。アメリカの懸念は日本が南進したときにアメリカはどうすべきかということだった。ルーズベルトは日本に警告文を発したが、これは陰謀説を唱える者の証拠とされる。
ただし、アメリカと日本の戦争が始まったからといって米独戦が自動的に発生することはない。日独伊三国軍事同盟の規定では「更二三締結國中何レカ一國カ、現二欧州戦争又ハ日支紛争二参入シ居ラサル一國二依リ攻撃セラレタル時」に政治的・経済的・軍事的援助の義務が発生するのであり、日本からの先制攻撃はこれにあたらない。
(ドイツが独ソ戦を開始しても日本がソビエト連邦に宣戦しなかったのはこのためである。)米独戦の宣戦布告は、真珠湾攻撃後にドイツ側からなされたものである。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
参拝してはいけないとは思わないのですが、中国を刺激したり、イチャモンをつけられる立場の人は慎むべきでしょうね。