昔、兵隊さんたちは「靖国で会おう」というのを合言葉の様にして、
戦地へ向かったと聞いています。
戦争にいくということは死ににいくという事と同義語のようなものだったのですね。
誰も死にに行きたいと思う人などいる筈もありません。
けれども、行きたくなどなくても、行かないでは済まされないのが、
戦争であり、徴兵制というものなのです。
それでも行かなければならないのですから、そこに何かの意義、何かの目的が必要だったのでしょう。
そのために国が仕掛けたのが、戦死したら靖国に祀られるということだったのではないかと思っています。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこには私はいません
眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空をふきわたっています
こんな詩があるのは、知っている方も多いのではないでしょうか?
これは私見ですけれど、戦後60年以上も経って、靖国に祀られた英霊の皆様も、もうそれぞれ風になって、懐かしい故郷へ帰っていかれているのではと思っています。
靖国参拝をしなくても、私たちが英霊の皆様への感謝の気持ちを持ち続けているなら、それはきっと、どこにいて手を合わせていても、届いているのではないかと思っています。
ですから、この外交上微妙な時期に、近隣国の反応がわかっていることをする必要が、あったのかと疑問に思います。
憲法改正をし、自衛隊を国防軍にして、徴兵制を施行に持って行こうとしている政権の、近隣国への危機感を増幅し、民族意識を集約しようとする、
意図を感じるのは、深読みでしょうか???
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
これは大分違う側面もありますね。純粋に、お国のためにと、死も厭わず、学校を中退して、志願していった人もいますね。しかし戦地に赴いた初日に知ることとなるのは、武器もなく、食料もなく、現地人から略奪しなければ生きていけないという状況。すぐさま何の大義もない戦争であり、国に騙されたということを瞬時に悟ったと言われます。
純粋にお国のためにと考えていたからこそ、より悲惨さが増幅されたのではないでしょうか。
安倍首相は祖父がA級戦犯になりかけた人ですから、戦争を否定しがたいというのは分かりますが、そういった血脈ももたない一介の小市民が大仰なことを主張するのは身の程知らず、このQ&Aでのみ語ることの出来る無責任なたわ言と言っていいでしょう。
お母さんに代表される女性の純粋な平和への渇望が尊重されるべきでしょう。