片手間のボランテァは偽善でしょうか?
障害者を対象に、外出支援(主に施設間の送迎が多い)のボランテァをしていますが、最近、自分のやっていることが気休めの偽善行為かと疑問を呈しています。初めは、単純に自分の趣味の合間の時間を少しでも有意義に生かすことが目的でしたが、家に引き籠りにならざるを得ない障害者の生活環境を知るにつけ遊び半分の自分の行動に罪悪感すら感じるように成ってきました。
真っ向から構えなくても、気軽に手助けの出来る社会の仕組みは出来ないものでしょうか。。。。。
(12月7日 10:06 追記:)
たくさんの回答有難うございます。
此処で述べている”罪悪感”は、正確に言うと、障害者の置かれた環境を知るにつれ、出てきた焦躁感のようなもの、つまり、それを遣らないで遊びの方へ行っても好いの? と、言った焦りのようなものです。
長い勤めは終わった、これからは楽しむぞ〜、の進行形の中で、こんなに自己中で好いのか自問する中で、果たして他の人は如何見るのか、また、閉鎖的な境遇にある障害者に関心を誘うきっかけに成ればと思い此処に投稿した次第です。