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ペンネーム:ジュゲムさん

お墓とか葬式って何なんでしょう

[冠婚葬祭]

お墓というのは何なんでしょう。
もちろん、ご先祖さんの遺骨が入っている事は分かっていますが、お墓に行ってお参りしても、何の返答も有りません。
私はこのような形式にとらわれずに、散骨とか樹木葬などが自然ではないかと思っています。

お葬式に対しても必要性に疑問有ります。
生きている人のためと言う方もいます。
しかし、この儀式は職業僧侶の生活のためとしか思えません。
戒名なんて活字の組み合わせで、パソコンでいくらでも作れます。
そのような物に大金を出すのも、信じている人にはありがたいものなんでしょうか。
なんか変な気がします。

(3月20日 4:44 追記:)
沢山のご回答有り難うございます。
「千の風になって」のようにお墓には何も無いのですね。

原始仏教のお釈迦様の逸話に、弟子が「先生、私たちは死んだらどうなるのでしょうか」と問うたそうです。
お釈迦様曰く「私も死んだ事無いので分かりません。そんなことで思い悩まず今を大切にしなさい」とお答えになったとか。
「私が死んだら亡がらはガンジス川にでも流して下さい」

ことからもお墓の概念は無かったのでしょうね。
いつから今のような形式になったのでしょうか。
人それぞれと言いますが、地方によっては、その呪縛から逃れられないともお聞きしました。
これが無駄か否かは判断が難しいようですね。

(3月23日 10:34 追記:)
ご回答ありがとうございます。

冠婚葬祭は宗教と密接な関係があるようですね。
従って、無神論、死後の世界を信じる人、否定する人など沢山の回答を頂きました。
一方、普段疎遠になっている親戚が集まる機会としての、意義も大切と思いました。
故人を偲び、お酒を飲み打ち砕ける事の希薄な現代です。

私が質問したのは、そのような儀式を、形式的で当然のように執行する僧職。
生きている人を導く役割が欠けているような気がしたからです。

病で長患いして亡くなる方もいます。
突然若くして急死する人もいます。
死に対する恐怖も有ります。

そのような事を、広く皆さんのお考えを知りたいと思いました。

これからはますます少子化になります。
以前は娘さんしかいなくても、ご養子さんを迎えて家系を保つ考えも有りましたが、現代は割り切っている方も多いように思いました。
そうするとお墓もいらないし、仏壇もいらない事に成ります。
集合墓地で、親しかった友人と一緒の所に入りたいと望み、最近は人気があるようです。

もう少しご回答お待ちしています。

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回答 44件

ペンネーム:ホワイトさん

確かに仏事で高額なお金がかかるのは如何なものかと思いますね。
誰しも頭の痛い問題なのではないでしょうか?

しかし、現代では「家族葬」であるとか「密葬」が多くなってきたような気がしますね。
その「家族葬」「密葬」の後に「お別れ会」を開く遺族が増えてきたような気がしますね。

墓を持つとか散骨であるとか?まぁ色々な方法があると思われますね
中には、遺骨の(遺灰)の一部を寺に納めて多くの遺灰とともにその灰を固めて仏像を作りお堂に安置する〜所謂、〜「骨仏」というのもあります。
そうすれば、墓の手入れや管理は不要でいつでも誰かがお参りをしている状況であり故人にしても遺族にしても〜安心だと言うのもあります。
多くの方から意見があると思いますが要はあなたのお気持ち次第だということです。最善の方法を選んでいただければと思います。

ペンネーム:ビソさん

うちの祖父は坊主でしたが、親は実家の寺には入らずに最近はやりの『お骨のマンション』を購入しました。
80万円で永代供養、場所も本郷で『墓参り』にも便利です。
葬式はしますが、戒名などはつけない方針です。

ペンネーム:タディーさん

実家が浄土真宗です。私も仏事は浄土真宗のお坊さんにお願いすることにしています。
自分の葬式は自宅で行い、お坊さんと親族、向こう三軒両隣に連絡するだけです。社会福祉協議会を通じて全てを行うので、坊さんへの料金は協議会が決めた最低料金です。

浄土真宗のお坊さんが言うには、葬儀、法要などは故人が親族や近親者などに「仲良く集まって懇談の機会を与えてくれているのです」と言うことだそうです。つまり、故人の人徳で集まる人が決まるので、それでいいのです。

私はそんな質素な葬儀と仏事を考えて、残された家族にはそれでいいと伝えています。戒名は要らないし、儀式殿も使いません。そんなことに百万円近くのお金を払う必要はありませんね。

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
「門徒もの知らず」と他宗派から、浄土真宗は揶揄されますが、元々貧民の宗派ですね。
親鸞は、面倒なお経を唱えるより、ただひたすら南無阿弥陀仏と念仏を唱える事をお教えしました。
善人より悪人に手を差し伸べました。
そのような意味では、イエスキリストが称えたことと共通しています。
「お金持ちが天国に入るのは、針の穴を通るより難しい」

一方、禅宗においては武家に多く指示されましたが、格式を重んじ、今でも仏壇にはおりくぜんを毎日お供えして、お金と時間を要します。
形式で満足しているのでしょうね。

ペンネーム:シンランさん

現在は葬式や墓地の選択肢は昔と違い、世間体や親族の意向に関係なく比較的自由に選べるようになってきたのは良い風潮かと思っています。

宗教、無宗教に関わらずセレモニーとしての葬儀、お骨の処理はあるわけでそれはそれぞれが信ずる方法で執り行えばよいのだと思います。
我が家も母(享年86歳)の葬儀を10名ほどの家族葬で行いましたが、無宗教ながら僧の読経はお願いしました(セレモニーの音楽のような感覚で頼みました) 敬虔な仏教徒の方には怒られてしまうかもしれませんが。こういう無宗教側の宗教の利用についても柔軟に考えて良いのだと自分は考えています。
 要はどのようにして個人を偲べばその思いが深まるのかが重要であり、其の方法は手段に過ぎません。
 参加者全員から「ゆっくり家族で思い出話をしながら、いい葬儀に出来たね」と言ってもらえました。

ペンネーム:ミーさん

先日親御さんが亡くなった方から「400万の墓地、墓石を用意した」と聞いてビックリしました。
そんなに高いんですか!
家のローンが終わったら、今度は墓のローン?
我が家は関東圏に住んでいますが、墓は夫の実家の関西圏に
新しく義兄が購入し、私たちにも入っていいと言っていましたが
知り合いもいない、子供達も遠い所に墓になんて入りたくないしと
思っています。

そうかと言って、娘は嫁に行き、息子は独身。
ここで高い墓を購入するべきなのか?と思っていたところです。

田舎にあった墓を今の住まいの近くに持ってくるには
田舎の寺にから離檀をするということになり、それにも
費用がかかると聞きました。

韓国ドラマが好きなので、よく見ていると、「墓」というより
透明な扉が付いた下駄箱のようなものが並んでいて
そこに個人の写真や好きだったものが並べられているところに
お参りしています。
「あんな箱みたいなところ〜〜」と批判もあるでしょうが
何百万も掛けて寺と墓石業者をもうけさせるだけの所で
しかも遠いところでは残されたものも困るだろうと考えてしまう訳です。

自分の住んでいる所は比較的都心に近いのでそう思うのかもしれませんね。
田舎などはまだまだ墓、檀家などが重要なのかもしれません

ペンネーム:ネハンさん

こんばんは。

お墓は生きている人の心の支えとも言えます。
私は独身で友だちも少なく、悩み事はお墓にしてます。
単なる石(お骨)相手に愚痴ってますが。
私には報告する場所です。
そういう必要性を感じないあなたは、家族や友だちに恵まれているのですよ。感謝してください。

お葬式は親戚付き合い等を絶やさない為のものだと思います。
普段、親戚付き合いが上手くやってる人はいいのですが。
こういう機会しか会わない人もいますね。
そういう繋がりを切らない為にもあるのだそうです。
両親の葬式で初めて合った親戚も居ました。
私はそう言った親戚のかかわりが苦手なので、葬式と1回忌はしましたが、その後はやってません。

ペンネーム:マキさん

こんばんは。(^^
そんなに難しく考えなくてもよいのではないでしょうか。
簡単に考えれば、亡くなった人の保管場所がいるので、土葬しただけで、
ただ、山積みにしただけでは・・やはり生前は人として生きていたので。
お葬式は知人が最後に一目というだけのものだと思います。

ペンネーム:ヒメパパさん

山折哲雄著「仏教とは何か」ブッダ誕生から現代宗教まで
中公新書。私も今熟読中ですが参考になると思います。
あとアルボムッレ・スマナサーラしの「お釈迦さまがおしえたこと」シリーズ(サンガ社)その他ダライラマ氏の著書。ちょっと面白い本で「がんばれ仏教」
ここ数年様々な本に触れ仏教が好きになってきました。
宗教というよりか、人生の哲学と思えております。

ペンネーム:ゼロさん

自分がそう思うんだったらそうすれば良いんじゃないですか?
でも今の自分があるのは先祖がいたからで、感謝すべきものだと思うし、子孫の橋渡しする義務があると思っています。

ペンネーム:トトロさん

個人的には葬儀は、故人のお別れの儀式、お墓は、故人が住む家みたいな感覚です。(結局、友人知人が、故人へのお別れの機会を作るのと同時に残った家族が、対外的な自己アピール(満足)の為に葬儀をするのかもしれません。)
私は、両親を既に見送り現在、墓守をしています。
父親の時に墓を建てましたが、お仏壇はありません。
建てた時、母親は「墓守を背負わしてしまって」と言っていましたが・・・。
お墓が必要かどうかは正直言って判りません。しかし、死んでまで蚕棚みたいに沢山のお骨がある合祀慕より狭くても個室の墓に入った方が良いかなとも思っています。でも墓参りに行かなければ、何の意味もないので、墓参りは毎月欠かせません。

ただ独り身なので、自分代で墓守が居なくなり合同慕に集約されてしまうわけですが。墓は、墓守をしてくれる世代が居なければ成立しないんですよね。

あと葬儀ですが、両親双方の時も既に兄弟が他界している上、その他親戚も遠方な為、家族葬で行い僧侶にお経はあげてもらいましたが、戒名は付けず俗名にしました。(父親の時と同じように母親の時も行いました。)
僧侶への費用については、気持ちと言いながら実際には僧侶側より金額を指定されるので、2回とももめました。そのことから自分の時は、僧侶は要らないと宣言しています。
天国・地獄があるかは判りませんが、もしあったならば戒名より生きている時の行いの方が、どちらに行くかの判断基準になると思うので。

ペンネーム:ヒロさん

私には、墓や葬式だけでなく、あらゆる儀式や宗教が無意味です。

ペンネーム:ポッポさん

私も日本の樹木葬は自然葬ではないと思います。
自然には還れないように包んで埋葬しているからです。

私は本当の意味での自然葬がいいと考えていますが、
日本では難しいかなとも感じています。
鳥でも猛獣でも私の肉や骨を食べてもらって、
土になり自然の中に組み込まれたいです。

私の家は、50年程檀家になっていますが、
不愉快極まりない坊主なので、
私は檀家をやめたいのですが、
父が拘っているのでやめられません。
父が他界したらやめようと思っていますが、
移るのも結構大変のようで…。
スムーズに行く方法を探しています。

ヨーロッパの土地が狭い集落では、
一定期間土葬で埋葬し、その後、火葬してそこの村の人と合葬。
そういう所もあります。
日本でも、昔は土葬でしたが、土地が狭いので火葬にしましたよね。
そうなったのは、100年も前の事ではないと思います。

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
今の火葬技術では土に帰る成分はすべて蒸発し、残った物は永久に分解しないそうです。
従って、土に換える事は無いようです。

お寺さんは檀家制度で維持してきましたが、段々維持出来なくなり、葬儀で稼ぐようになりました。

今でも特定の地域では土葬が認められているそうです。
やはり宗教上の理由だそうです。
2年経つと掘り返して、在りし日の姿を確認してから火葬にするそうです。

ペンネーム:パプリカさん

初めまして。
この21日に母(享年86歳)の葬儀をしました。
無宗教での式にしました。
よって僧侶も呼ばず、戒名もありません。
(そのようなものに興味がありません)
近親者のみで行いました。
お越し頂いた方々から、生前の母とのエピソードを聞かせて頂き、
私の知らない母の一面を見ることが出来て式をやって良かったと
思いました。
また式そのものも良かったと自己満足してます。

母に関係した者のケジメでもありますね。

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
ご回答有り難うございます。

私が常々思っているスタイルですね。
肉親とお別れするのは、いくつに成っても辛く残念な事と思います。
心のこもった式を挙げて見送ったとの事、お母さんも安心して旅立たれたと思います。
残された人に対しても、けじめが出来て良かったですね。

ペンネーム:パプリカさん

こんにちは。
突然の死(入院3日目)だったので何も考えてませんでした。
母は創価学会員だったのですが、私はあまり快く思って無かったので
シャットアウトするためにも家族葬にしました。

それが却って良く、素敵な葬儀になりました。

居住地が東京なので比較的自由ニに葬儀が出来る環境なのもあるんでしょうね。

ペンネーム:リホさん

私は仏教式の家に生まれましたが嫁ぎ先はキリスト教です。
キリスト教には戒名はありません。
仏教の葬儀と比べてとても簡素です。
神道式も仏教ほど派手ではないと聞きます。
冠婚葬祭の仕方は決まりに縛られずに納得の行くようにすれば
いいと思います。

ペンネーム:ジコチュさん

俺は先祖代々の墓を御影石で作り直しました。
誰に頼まれた訳でもなく勝手にやりました。実は女房の為だと思ってですがね。結構な大金でしたが、生きている母親が喜んでくれました。それだけでも俺は満足です。
俺は女房を先に亡くしたので墓参りには行きます。なんの疑いもなく行きます。お袋も一緒に行きます。彼岸やお盆は子供も孫も俺の兄弟も墓参りに行きます。そこには家族の円居があるように感じます。ましてや俺は勝手に女房が喜んでるとも思っています。
俺は自分勝手にやってます。
女房や親とか子供が好きなんです。家族が好きなんですよ。墓も家族の延長と考えています。
もちろん自己満足です。招かれれば葬儀にも行くし、身内が死ねば葬儀はあげます。俺にはそれが自然です。伝統文化ですね。
絵画や音楽も食べて行くには無駄なものかも知れません。が、俺はそんなモノも好きです。こっちは趣味ですがね。

ペンネーム:モコタンさん

私達夫婦はお葬式もなし、もちろんお墓も無しにしょうと話してます

一人娘は嫁いで別所帯、今は66歳と62歳の二人暮らし
どちらが先かわかりませんが、残った者だけでお通夜をして火葬してもらい散骨か樹木葬にしてから親戚、知人に知らせるように決めてます

戒名が無くても死後は困らないであろうと思ってます
信仰してる宗教もないからお経をあげてもらう住職もいない

お墓があるからお彼岸、お盆、命日と遠く離れてても行かざるをえないなんて事を娘にさせたくないです
墓がなくても残ってる人の心には生きてる
時々でも思い出してくれれば、それで良いとと思います

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
心温まるご回答ありがとうございます。

いつも心の中で思っていれば、形式にこだわる事も有りませんね。
ご夫婦で話し合われて、娘さんも了解されていれば、一番良い事です。
葬儀とかお墓にかかる費用は積み立てて、お孫さんの学資などにお役立てると良いかも知れませんね。

ペンネーム:ナムサンさん

この質問のコメントは多様あると思います。ですから、絶対許されない法律面 そして慣習宗教面(仏教、キリスト経含む)、真の仏教面、関係者の価値観の面と切り口があり、それぞれ変わります。
法律上は火葬の義務、散骨も許可制です。家での保管はOKです。
葬式仏教は江戸時代の幕府の政策です。奈良仏教には葬式と仏教は分離していました。仏教の全て、お寺の全てが腐敗している訳ではありませんが、中国仏教の影響は否定できません。 仏教の目的は解脱を得ることでしたから、生前に仏(僧)になることです。これが戒名です。受戒を受けて、名字を捨てることです。俗を離れるので名字は不要です。
これが後世に、死んで仏になると言う解釈から、今の戒名になったのです。正しくは禅宗です。浄土真宗、日蓮宗等は、法名です。法とはお釈迦様の教えのことで、仏教上の名前です。詳しくは往生することと、悟ることは別ですので、戒名はありません。次は、価値観ですが、私の父は、生前、葬式は残された者の為にある。墓も残された者のためにある。と言っていました。葬式に家族や少々縁遠い親戚も集まります。この様な機会は先ず無いでしょう。以降の法事も同じです。家族兄弟は毎年顔を会わせます。残された者が仲良く暮らす事を願って死んで行くのです。墓も当然、親や最愛の人を偲んで想い、集まる所です。これは中国の儒教の慣習です。今でも子孫が100人ぐらい集まるのは普通らしいです。元々、宗教は生き方を説いたもので、中世に、方便であの世を語ったのが、今に伝えられています。例えば親をありがたいと想えば、葬式もし、骨を拾い、近くに置きたいと想う気があれば、自然に結論は出せれるでしょう。後は私の考え方ですが、自分の葬式は行って欲しい。否、葬式を自習的やってくれる子供を育てています。金銭も残して負担にならない様に、そして兄弟家族が 時々あつまって 私の墓で笑いながら思い出話をしてくれるのを、墓から見たいです。誰かが千の風になってと歌いましたが、そんなことは無い、何所かに飛ばされるなんて空しいです。死んでも子や孫の安穏を見まもりたいです。 仏教は学ばないと真は解りません。信じることと、知ることは別ですので、良い機会になりますよ。

ペンネーム:ヨウコさん

どうせ死んでて自分はわからないんだから、遺される側の自由に任せちゃえば悩まなくていいと思います。
人が死ぬと結構呆然としますからね。
とりあえずお通夜と葬式の手配をして…と三回忌までバタバタするお陰で落ち込まずにやれるということもありますし。
そんなのなくても平気平気、もうすっぱりしたもんだよ!というご遺族なら火葬と散骨だけでいいでしょうし。
遺された人の自由ってことで。

ペンネーム:タケサンさん

人間社会の ルールとか 法律で 何をするにも 難しく
思う様に行かないのがこの社会
人が死ぬと 私は厄介な 粗大ゴミ だと 思っています
葬儀も 戒名も やりたい人がやれば いいだろうし
法律の範囲で あれば 自由でしょうね
私は 死んだら 火葬で とことん 焼いて
骨壷に いれて ほとぼりが 冷めた頃に
敷地のどこかの 隅にでも 骨だけ 埋めるように
言っております
葬儀も 戒名も 無し 必要ありません
色々 言う人はいるでしょうが
霊魂とか 人の尊厳とか そんなのは
残った人が心に思うか 思わないかで
死んだ私には 何もわからないはずですし
死んだらそれで 終わり だけの事
歴史に残るような 偉大な人でも 無い限り
死んで 何十年か過ぎれば 記憶から
消えていくでしょう それで いいのだと 思います。

ペンネーム:レンさん

友人葬という形もありますよ。そういう形のお葬式にでたことがありますが、残ったもので亡くなった方のことを忍ぶということも残されたものにとっては、なぐさめになります。
私は家族をそういう形で見送りました。
友人や仕事の関係の人が集まって、家族の話をしてくれるのは、知らなかった一面をみたようで、とてもいい機会でした。

ペンネーム:ブッダさん

樹木葬が、自然ではない!とのユイゴンとか言う人の批判コメがありますが、そうは思いません!

高額なお墓、戒名料など、とてもじゃないけど、人として相応しい自然な逝き方とはとうてい、思えない・・。

ゴルフ練習場でよく行きあう、大きな寺の若住職のお嫁さんは、ピンクのベンツに乗ってきて、いつも、最新のゴルフファッションに身を包んでいます。

着たきりすずめのウェアで、ゴルフボールの玉数を気にしつつ、チビチビ練習するビンボーな僕とは、雲泥の差です(^O^)

すべてがそうだとまでは言いませんが、日本の寺の住職は、ある程度の規模以上の寺なら、皆、似たりよったりでしょう!

僕も、自分の葬式には、極力お金をかけない。散骨も今は、まだ、高額料金がかかるようだし、もし、人様の迷惑にさえならなければ、そこらへんの野原の髑髏となって、目の当たりから木が生えてきても一向に構いませんけどね笑

ペンネーム:リールさん

私は 宗教を研究も学びもしなかったので、仏教を決め付けることはできません。
また真剣に考えたこともありません。
どうも私は(私たちは?) あまりにも宗教に無関心すぎたのではなかろうかとも思います。
世の中にあるものは それぞれに存在理由があるのだろうと思います。
必要としている人もあれば、不要な人も。
ほんとに不要ならば、それは自然に淘汰されていくでしょう。

でもね、世の中 無駄に思えるようなものが満ち溢れて 成り立っているようにも思えますね。

ペンネーム:タマさん

私は、死んだら当たり前のように”戒名”をつけるというのがとてもおかしいと思っています。
戒名の”戒”とは、仏教徒が守るべき道徳規範だそうで、その道徳規範が守れた人に、”生きているときにどれだけ頑張れたか?” 本来ならばそういった意味で戒名を授けるということらしいのですが、戒名をお金を払って買っている?と言う状態なのでは?と思います。

少し前に、我が家でお葬式を出したとき戒名をつけずに、俗名(生きているときの名前)のままお葬式をしました。集まってくださった皆様がいい人ばかりで、「亡くなった方のことを思いやっている、いいお葬式だった。」と、言って下さったことにとても救われました。

その後、新年に誓う私の毎年の目標は「今年も元気に生きて、幸せになる」になりました。お葬式と新年がどうしてつながるかって?お葬式が12月31日だったんですよ。

ペンネーム:マツさん

冠婚葬祭って確かにそれに関わる職業の方の事業ですよね。
元々はお葬式だってご近所さんで、故人を偲びながらお金を掛けずに持ち寄った色紙等で飾りつけをして木箱に遺体を入れみんなで掘った穴に入れ墓標を立てるだけの弔いでしたよ。
人が生まれるとか死ぬと言うことは理屈ではないと思います。

昔交通の不便な時代旅人の行き倒れが多かったそうです。
特にお坊さんの修業僧の行き倒れに通行人が、その脇に穴を掘り埋めて弔い 墓標代わりに小石を沢山積み上げたり、抱えれる石を置いて居たようです。
ところが時代が過ぎた現在その石が「みどり石」と呼ばれて恐れる石になっているのです。
石を飛び越えたり除去したりしたら即座にその場所で大怪我か命に関わる事故があるようなのです。
何か霊が居るとすれば関わってるのかな〜と思ったりします。

お墓があるか無いかで何一つ変わったことが無いように思えますし、確かに何の変化もありません。
源平合戦で有名な平家一族は水葬で陸地にお墓は無かったそうですが源氏はしっかり大地にお墓を持ってたそうです。
企業も大企業ほど企業墓なるものがあります。
やはりお墓は作りましょう。

若い時は元気いっぱいで神仏なんて理屈で追っ払ってたらいいのです、でも人は弱いものです何かに頼りたくなる時があります。
その時からでも、理屈抜きでご先祖に子孫の為と思い手を合わせてみてもバチは当たりませんけどね。

只言えることはお坊さんや葬儀社の金儲け事業に応援することはありません。

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
お墓の起源は遺体を野生動物に食い荒らされないための、埋葬手段だったのですね。
それがいつの間にか、見えの張り合いに成ったと思います。
家の5代前の人は1代で財を築きましたが、お墓は周りから見ると小さな物です。
身の丈というのか、いくらお金持ちに成っても質素な姿勢をつらぬいたと聞いております。

ペンネーム:マツさん

私はお墓に少しこだわりがあって、我が家の墓も自分で作り直しました。
宜保愛子さんって方が居ましたが、お墓は小さいほど質素なほど生きてる人の将来は明るいと言ってました。

見栄で業者の懐を温めることには大反対です。

ペンネーム:ジユウニさん

世の中 まだまだ お墓や 世間体に拘ってる方々も 
沢山おられるようですが。。 

お墓にも 世間体にも 価値観を 見いだせない方がたも
たくさん!! 出て来ているようですね。。

私も お墓などには 価値観は感じないので 自然葬がいいですね

でも それも個人の自由だと思っています。。

ペンネーム:テルテルさん

日本の仏教中にも本来お墓を必要としない宗派がありますよ。「浄土真宗」です。今でも滋賀県の日野のほうではお墓をしようしないところがあるそうです。葬儀も今の形ではなくなっていく方になるでしょう。しかし、そこに隠されている人の気持ちや考えには「おいおい」とおもわれてしかたありません。

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
実は我が家も浄土真宗本願寺派なんです。
親鸞上人はキリスト教で言うと、マルチンルターのような改革派だったのでしょうね。
宗教も職業化すると衰退します。
昔の名僧と言われる人は、報酬を望まなかったと言います。
生きて行く上の最小限の食事で暮らしていたそうです。
今の坊さんは色つやも良く、メタボの人ばかりで見にくいですね。
さぞかし飽食しているのでしょうね。

ペンネーム:ワタシさん

割り切って考えるとその通りです。
 教会や寺院もお寺も無駄。

 ましてや占いも易も祈祷も無駄。
創価学会など さらに無駄。

  動物なら そんなもの信じません。
人間だって動物です。
  信じる方がオカシイのです。

 弱い人間が自分より偉大なものに敬服する
証拠なのです。

  神を信じない人でも
 権力者に服従してゴマする人も多い。

  権力の前に人は無力になるのでしょうか。
 弱い人間の悲しい定めです。

騙す側の人間と騙される側の人間が居る事は確かです。

ペンネーム:イチロウさん

こんにちは、私仕事が石材の輸入商社なんです、当然墓石も多く扱っておりますし葬儀関係の会社とのお付き合いも有ります、

葬儀の業者は、葬式は故人とのお別れの儀式、この習慣は物を知らない庶民へえらそうな(失礼)顔して説教するぼうさんの最も重要な仕事、

現代の庶民の皆様はそんな事説教されても困ります、なんて言う顔して聞いてると思います、
だから必要ないと思えば必要ないのです、

海水葬も年々増えております、つまりお墓は必要ないのです、お参りは自宅で、心の中で故人を思い出し供養する、と言っても経などは不要ですし、お菓子でも食べながら故人の思い出話でも、
そんな供養で十分だと思います、

葬儀・お墓・に関する決まりはまったく無いですし、有りません、
残された、と書くと線香くさい(笑 ですが命日は家族で思い出すきっかけとでも思えば良いのでは。

一応募石埋葬法と言うのが有りますが最近はかなり自由です、

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
ご回答有り難うございます。
お墓の専門家からの回答とても参考に成りました。

我が家には亡くなった愛犬3頭の遺骨有ります。
1頭は庭に埋葬しましたが、2頭は家に置いています。
春に成ったら庭に埋葬します。
3頭とも仲良しさんでしたから。
庭の埋設場所には奇麗な花を植えています。
いつも楽しく遊んだ場所です。

ペンネーム:イチロウさん

ご連絡、恐縮です、

私の所にもワンコの遺骨が有ります、私のあぐらを組んだ足の上で命絶えました、想いが強く焼き場へ持って行きましたが、骨はまだ茶の間に有ります、多分ず〜〜っと、
私が死ぬまで(笑

ペンネーム:スミレさん

葬儀に関しても単純に亡くなった後火葬処理を、火葬場で行えばよいと言う事で、この事の葬儀などはお金がかかりますが、形式をとらなければ亡くなった直後の火葬では親しかった方に集まって貰えばそれでよい事でしょう。
何にしても、形式ばる必要はないけど遺体をそのままにすることはできないし、火葬した後の骨壺をそのまま部屋に置くのも人道上しっくりしませんね。

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
ご回答有り難うございます。

最近は家族葬とかもっと簡易な直葬などもありますね。
私の思う事を多くの方が同様に考えておられただけで、安心しました。

ペンネーム:スミレさん

私は宗教家の娘です、ご主人やパ−トナ−が亡くなって、火葬にし葬儀も終わって、さて納骨する段に成って、お別れが寂しいと、納骨を2・3年できない方もいます。祖父も宗教家でしたが祖母が亡くなった後、納骨せず、自分が死んだ後で、納骨しました。立場や心情を大事にして、心に素直にする事が大事だと思っています。

ペンネーム:デニケンさん

「戸籍謄本」みたいなもんでしょうね。
戸籍謄本は何百年経つと訳分からなくなりますけど、
お墓はお寺が存続する限り、檀家として戒名が残ります。
(生きていた証かな?)
私も散骨をやってくれ!と嫁や息子どもに常々言ってます。
お墓自体を気にしません、中国製の安いのでいいし
戒名も安物で結構です。

ペンネーム:タイスキさん

わしは自然葬で散骨です。
わしには墓はありません。
親父が極道でして先祖の墓をなくしてしまいました。
ことほどさように墓を守るのは大変であります。
子孫に負担を残したくありません。

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
ご回答ありがとうございます。

散骨も皆さんのご回答では粉砕するのが大変とか。
クラッシャーで細かくなると思いますが。
終活は老後のテーマですね。

ペンネーム:イルカさん

私も同意見です
命のある限りの日々は後悔のないよう精いっぱい生きて
命尽きたら 海洋葬にしてもらうと決めています

ペンネーム:ヨシヒロさん

生きている人の気休めです。
そもそも誰も、死んだらどうなるのか知りません。
知らないのに、それに関する儀式〜葬式や墓〜をする・・・
変な話ですね。
遺族の心の安心のため、でしょうね。

ただ、霊的な知識から言えば、墓は遺骨の置き場所ですが、葬式は死んだ人に自分は死んだことを自覚させるための儀式とも言います。
というのも、死んでも、自分が死んだことに気づかない霊が多いらしいからです。
その理由は、死が、ただ霊が肉体から離れるだけの現象で、死人も意識はあり、自分の肉体がないだけで、他は何も変わっていないからです。
それで、自分が死んだことを知らずにこの世に残っているのが、いわゆる幽霊です。

そもそも葬式は、仏教の教えにはありません。
葬式は中国の儒教から来ているらしいです。
日本の仏教は中国から来たものですので、かなり中国の影響を受けていて、オリジナルのインドの仏教とは違います。

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
ご回答ありがとうございます。

私は今の仏教界に幻滅を憶えます。

霊については私は分かりませんし、会った事も有りません。
ただし、亡くなった親族の夢は時々見ます。
懐かしく感じて涙が出る時も有ります。
それが霊界からの呼びかけなのでしょうか。

葬式は亡くなった人の尊厳を大切にする儀式で、火葬は戻る肉体が消滅する諦めにも成る儀式。
そのように考えていますので、お墓とか葬式に大金を使う事に疑問を感じました。

ペンネーム:イノチさん

次のURLは、わたしのホームページで、わたしが故兄の葬儀の時に弔辞を読んだ後に感じた、葬式と総会の関係についての見解です。

http://www6.ocn.ne.jp/~happyman/goinkyo/sougi.htm

 しかし、墓や葬式は、ご自分のなさりたいようにすればいいのではないでしょうか。

 議論してもあまり実のある結論は出ないでしょう。
わたしは、そう思います。

ペンネーム:ボチボチさん

戒名なく、僧侶も呼ばないお葬式は残された家族は強靭な精神力が必要となります。
先祖が熱心な信心者で毎月僧侶の世話になりながら、一人は外してくれとはなかなか言いにくいものですね。
説明できる近しい親戚にさえも不平不満不安を煽り立てる人がいます。
しかし現代、その旨を葬儀屋に伝えればちゃんと対処してくれます。

だた、散骨はちゃんと骨を砕いて下さる所を見つけないと難しいですね。
海岸を歩いていて人骨が流れついていたならドン引きです。
残された人が要るなら会いに行ける場所を作っておくのも大切かと思います。
私は、その旨細かく調べてUSB保存して常に日付を更新しています。

でも、公共墓地の年間管理費はとても安く骨を粉砕してもらったり、遺体をガンジスに運んだり、骨で人工ダイヤモンドを作ってもらう費用があれば、そちらの方がはるかに高くなります。

ペンネーム:ワケシリさん

なにかと言えばお金もうけです。
それ以外の意味はありません。

ペンネーム:オシキミさん

まあ、宗教やら親類縁者との関係で、坊さんやら戒名
やらお墓やら大変ですねえ。
僕は、故人や先祖への畏敬は違うことでやってます。

お好きにされたらいかが?ご自身の事は遺言に残して。
お付き合いがイヤでしたら。
しかし回答者さんにもいらっしゃるが、負担になります。
坊さん呼んでお布施を何万も・・・それもお好きなように。

ペンネーム:ダンカさん

私の夫がなくなったとき夫の意思に従って遺骨は海に散骨しました。夫は私の家に婿に入っていたのですべては散骨できず一部は墓にいれました。今でも寺には布施をしています。彼岸で今日も数万の布施をしてきました。千円ほどのお供物をいただきました。本当やめたいですね。老親がやりたがるので仕方なく。お寺さんはとても人格者のように振舞われていますが実際のところはどうなのでしょう。年に数回お金を渡すときしか会わないので本当のところはわかりません。私の代になったら最低限のお付き合いだけにしようと思います。

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
彼岸のお墓参りに数万円ですか。
こういっては失礼ですが、信心も大切な気持ちの現れと思いますが、当の僧侶は後ろ向いてベロを出しているかも知れません。
ぼろ儲けなんです。
ご主人を心から愛おしむのは、仏教の仕事では無いと思います。
仏教は生きている人のために有ると思います。
代が替わったらお寺さんとの付き合いも、そこそこが良いと思います。
お布施に1円だけ包んでみて下さい。
ニコリとすれば名僧です。

ペンネーム:ダンカさん

布施の金額は特に定められていませんが親がそうしたいというので納めています。私自身は死ねば棺一で火葬だけしてもらえばよいと思っています。生のまま置いておいたら腐ってしまい迷惑ですからね。自分はそれでよいけれどもう10年も生きないだろう信心深い親はどうしたらいいのか。永代供養はするつもりだけど。

ペンネーム:アノヨさん

世界にはお墓の無い国も有ります。
(ヒンズー教徒の国インド)
日本の法律でもお墓を作りなさいと言う法律は無いはずです。
焼却された遺骨(灰)ただのゴミと云う事に成ります。
ここから先は宗教と心の問題だと思います。

ペンネーム:トントンさん

日本の仏教は、「葬式仏教」と言われています。
誰も教理は知らず、儀式を行うだけの宗教です。

戒名に大金を払うのは、ただの「見栄」です。
「見栄」をはりたい人には戒名は必要なのかもしれません。
不要だと思う人は断ったらいいです。
私は断るつもりです。

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
ご回答有り難うございます。

今は自分葬とか生前葬、友人葬などもあり、宗教色を排除した方も有ると聞きました。
ある葬式では、結婚式と同様、過去の写真をプレゼンして司会者が説明してくれました。
そう言うのも感動を誘いますね。

会った事も無い僧侶が故人の事を、しおらしく語るむなしさを感じます。

私たちは裸で生まれて、裸で死にます。

ペンネーム:ミキイさん

自分の葬式を取り仕切るのは自分ではなく、後に残っている人が取り仕切るので、生前に遺言等で「自分の死後処理は〇〇にして欲しい。」としっかり伝え、納得してもらっておけばいいのではと考えています。

天皇 皇后両陛下が「今後の陵と葬儀のあり方」を出されたように。
「古制に倣ったもの」とされている昭和天皇の大喪の儀は、明治天皇の遺言がもとで行われたもので、それ以前の天皇葬儀を見ると「安徳天皇のように遺体が見つからなかったり、それ以降でも配流先で生涯を閉じたり、江戸期ま京都 泉涌寺で仏僧が専業的に行っていたり」ですし、「お墓はいらない。」と言い遺された天皇もいたそうで。

浄土真宗の親鸞は、遺誡として「某 親鸞 閉眼せば、賀茂川にいれて魚にあたふべし」を遺されたそうですが、末娘の覚信尼らによって火葬され、NHK大河ドラマに出て来る蓮如がいた後の本願寺に埋葬されたそうです。

また本来「戒名」は、出家し仏弟子となった証として授けられた名前で、何時しか一般的になって来ました。

駅などのエスカレーターに乗る時、左右のどちら側かに寄り、上り下りして行く人に支障が無いようにするのが当たり前のようになっているのと同じではないでしょうか。

最近「散骨、樹木葬」記事等目に付きますが、環境問題から「どこでも良い」とは行かないようで、専門業者に頼まなければならないそうで、他人に迷惑を掛けない自分の逝き方を決めるのも大変ですね。

ペンネーム:ユイゴンさん

貴方が仰る散骨、樹木葬が自然>とは決して思いません、それも一つの形式で葬るのですから墓地には変わりありません。
何をどうされたいのか散骨・樹木葬など現状を観て選択されれば宜しいのでは?亡くなった方に対する尊厳が有れば相応しいやり方が生まれると思います、友人の夫は哲学者で遺言に沿って海に散骨されたそうですが手続きと骨を細かく砕くのに大変だったそうです・・残された者が実行したのです。

ペンネーム:ドクソンさん

人生いろいろ、人それぞれ、葬儀もイロイロ、墓もそれぞれ。

それぞれ、めいめい、おのおの、自分の好きなようにすればいいのでは!

慣習、習慣、家風、家柄、伝統などに従って無難に過ごすもよし。

形式にとらわれずに、散骨とか樹木葬など自分の考えに従うもよし。

でも、自分の考えを他人に押し付けたり、強引に同意を得ようとするのは
いけませんね。
他人は他人、唯我独尊でよろしいのでは・・・・・・・

ペンネーム:ジュゲムさん

相談者
私はここで自分の考えを押し付ける気持ちも有りませんし、そのような権限も、もちろん有りません。

新興宗教で、どうしようもない壷とか数珠を数百万円出す人もいます。
それは個人の勝手ですね。
だれにも迷惑かけなければの話ですが。

ペンネーム:タナカさん

私は誰が何やっても変だとは思いませんね。
「変」の基準も人それぞれなので、思うのは自由ですが、誰が変と感じようが感じまいが、信心は人それぞれなので、別に好きにすればいいんです。
戒名をありがたいと思ってそれだけに何百万も出す人もいれば、葬式にまったくお金をかけない人もいます。それはそれぞれの自由であって、やってる本人たちは変だとは思っていないはずです。
あなたが世間の思う形式を気にせずに好きにしたって誰にも文句を言われる筋合いはないのですから、あなた自身が「変」だと思わないように好きにしたらいいだけではないでしょうか。

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