わかっているのに言い返せないのはナゼでしょうか
会社でのことです。
業務上のことで自分でわかっていることを指摘されても、すぐにそのことを言い返せません。
同僚もしくは後輩からのときも同じです。
そのため、後で悔しさが残ってしまう始末です。
何か良い方法は無いでしょうか?
(5月22日 22:03 追記:)
皆さんへのお礼とご報告
皆さんからのお返事を読んで、数日考えました。
そして状況と気持ちの整理を客観的にしてみました。
私の業務は皆が作成した資料の「間違いチェック」をどうしてもしなくては始まりません。
ただそういう業務を私がしているということを彼らはあまり認識していません。
もちろん同じ会社なので業務上の繋がりはあります。
私に任されている業務は、私一人だけしかやっておらず、また、同僚や上司とは勤務時間にズレがあります。
だから彼らは、いくつかの仕事上の取り決めを私が知らないと思っているようです。
そのため、「私には業務上で私がわかりきっていることを指摘された」という気持ちが起こったのです。
忙しそうにしている彼らには彼らの業務があるのだという仏心もあり、色々な間違いがあまりにも多いのでいちいち一人一人に言うのが面倒だ、言ってもまた間違えるから言わずにいようなどという気持ちから間違いを指摘することをほとんどせず、資料の訂正は私がやってしまっていました。
でも、これではいけないと気づきました。
私は余計なお世話をしていたのですね。
これからは、間違いから大きな悪影響が出ないものは彼ら自身に訂正をやってもらうことに決めました。
言い返せなかったのは「彼らの間違いを黙ってあげていて訂正もしているのに、そんな彼らから何であえてわかりきっていることを私は言われなくちゃならないんだ」という気持ちで言い返せなかったんだと気づきました。
この「黙ってあげている」という恩着せがましい自分勝手でおせっかいな気持ちで、自分で自分を苦しめていたなんて愚かだったなと思いました。
間違いをその人に言わずに黙っていることって、私の中でこんなに抑えていたことだったんですね。
事が整理できた今、今度からは「あ、私はそのことは知っている」とその場ですぐに相手に言えそうです。
色々な視点からの沢山のお返事、有難うございました。
おかげで整理が出来ました。皆様に感謝致します。
ペンネーム:トンデンさん
手伝うとか、代わりにやってあげてしまうことは返って育ちを邪魔してしまうということなのですよね。
自分でやってしまった方が、早いし間違いが無いと思ってしまう私のおせっかいを、これからはもっと意識して止めていかなければと誓いました。