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ペンネーム:カオリさん

母の末期がんに、どう対処すれば?

[人生相談]

重篤な鬱病と云われ入院を勧められていますが迷っています。
(無論、何度精神科に行っても薬が増えるだけで軽快しません)

終日、母の看取り(終末期食道がん、自宅看護、寝た切り59歳)をしています。

一度、カウンセリングで認知行動療法というのを進められ、熱心にやってそのときは良くなった気になっていました。

認知行動療法とは、乗り遅れたバスに対して、「また遅刻だ!怒られる。どうしょう・・」とは考えず、「やった!遅刻したが、良い休憩になる」と考える方法です。

私の母に対しても前向きに、「生まれた命のリレーだ。ネガティブに考え従容と受け入れよう」と悔いなくやっていました。

信仰もあり、「死にたくないのなら生まれてくるな」とか「人は生まれる前、全ての生涯の苦を告げられ、それでも生まれたいと承知して命を預かり、いずれ、命は戻すもの」、「平気で死ねることより、平気で生きていくことが大切」、「命は駅伝のタスキ。魂は永遠」など、天命というものを認識しているつもりです。

それでも、母の「早く死なせて下さい」と何度も懇願されると、返事に窮し、いつも動揺が走り、ややもすると、何もかもが意味の無いように思え、奈落の谷に沈み込み、生きることが辛くなります。

縁者も無く、一人娘に生まれ、結婚もせず、大学院で地質学の研究に明け暮れていましたが、ここに来て思わぬ人生の伏兵に全面降伏しかけています。

いつかは全面幸福に過ごせる日が来ると、自らにカンフル剤を打つかの如く、過ごしていますが、いつか負けてしまいそうで怖くもあります。

お身内の末期がんの看護を為された方や、鬱病経験のある方、信仰心に救われた方、どうか、ご助言をお願いします。

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回答 6件

ペンネーム:ビーンズさん

一日も早く、お一人での介護から抜け出してください。
うつの原因は、介護にあるとしか思えません。
公的に求めれば、必ず道は開かれると思います。

私は56歳で胃がんです。
幸い手術は成功して、今は元気にしておりますが
いつ再発するかと思うと怖いです。
そして私もいつか、お母様のように、
家族を苦しめるのかと思うと、辛いし、怖いです。

お母様はもうすでに末期とのこと、、
どれだけ怖いことでしょう、悲しいことでしょう、お辛いことでしょう。
末期ともなれば、戦うことすら難しく、痛みを和らげるだけ、、、
誰を責めることもできず、戦うこともできず、耐えるだけ、辛いです。

お母様の「死なせてください」は、本当にお二人にとって辛い言葉です。
耐えかねて、思わず言ってしまうのでしょうが、
けして、相談者様を苦しませる気持ちはないと思います。
痛くて辛くて、ご自分が耐えかねることしか考えつかないのです。
そう理解してても、言われる相談者様は、
毎回銃で撃たれるが如くの言葉ですよね。
欝な気持ちに陥ってしまうのも、当然な気持ちがいたします。

ですから、相談者様は、一日でも早く助けてもらうべきです。
お母様から離れ、ご自分で息をして、ご自分を生きなくては。

ガンだけは、病院も長期入院することができます。
ヘルパーさんも、相談すれば来てくれるかもしれません。
金銭的な面もございましょうから、
まずは公的に助けを求めてみてください。

相談者様が元気にならなくては、
お母様を診て差し上げられなくなりますよ。
今まで、本当によく頑張ってこられましたね、
助けを借りて、元気を回復して、もうひと踏ん張りなさってください。

ペンネーム:トモさん

初めまして。
 質問者様のように、深く人生を考えたことはないものの、私も
>縁者も無く、一人娘に生まれ…といった状況の中、親の介護を
 孤独に苛まれながら、続けました。

私も鬱傾向があり、通院しつつ、又、時折、キリスト教会を訪ねました。
けれど、私の気持ちを、包んでくれたのは、介護保険で頼んだ、
ケアマネさんの存在でした。

ケアマネも、熱心さや、自分が心を許せるか、など個々の違いが
あります。 質問者様は、良い方を頼めているでしょうか?
ケアマネの変更も可能です。

又、在宅なら、訪問看護師さんも頼めるので、自宅にて、ゆっくり
話を聞いて貰える存在を、求めてみるのは如何でしょうか?

ペンネーム:ラリルさん

がんになると、かなりの割合で鬱になります。
末期なら、行動療法に意味があるとも思えないです。
悲しみの受容の5段階ご存知ですか?
http://m.blogs.yahoo.co.jp/skkmoon9/23007918.html
どの段階にいらっしゃるか、冷静に観察してください。

鬱における希死念慮は、多くの場合「死」を口にされた時受け手が動揺して、それを封じ込める言動をとってしまうことによって、繰り返されます。
まずじっくり聞いてあげてみてください。
死にたいは、多くの場合、死にたくないを意味することがあります。
とことん聞いてみてください。
そして、死んだら悲しいよ、と伝えてみてください。

精神科にかかられているようですが、医師よって治療法がそうそう異なることはないと思います。
1度は信じてみましょう。薬が増えるのは、それが必要なんだと思います。

あと、質問者さまの気力、体力も心配ですので、自宅介護ではなく、入院も視野に入れられてはいかがですか。
娘に介護されていることが、かえって本人に負担の場合(罪悪感)もあります。
精神科医ではないので、違うことがあったらごめんなさい。

ペンネーム:バラさん

末期ガンで在宅看護、お辛いでしょう。
宗教には帰依していませんが、仏教の教えに悩みはこだわり、物事に執着することから生まれると本で読みました。
それは受け入れやすかったです。三年前の大震災のときは怖かったですが、ひたすら神仏に祈り恐怖が薄らいでいます。
ときどき神社に参拝しています。お寺も好きです。協会も美しいと思います。
うつ病は掃除をすると治ると健康番組で医者が話していました。
薬より効くらしいです。へやをかたずけて気持ちよく過ごす、
気持ちも晴れそうです。
お母さまの看護は訪問看護やヘルパーを頼むかした方が、良いと思います。
お母さまの手をとり、有り難う大好きなお母さんと言ってあげられたら、良いですね。

ペンネーム:モトウツさん

介護・看護については、入院あるいは介護保険を使っての自宅介護あるいは介護施設への入所など、公的な助けを使うのが良いでしょう。

自宅で何もかも家族が看るというのは、無理な時代です。
2−3世代が一緒に住み、人の手が多い暮らしとは現代は違いますので。

痛みなど病気の辛さは、末期であれば終末医療にて緩和の療法(モルヒネ等)ですね。

河村道夫さん(自然食や野菜の栽培の実践家で、大自然丸かじりなどラジオのパーソナリティ)の言葉に、2つあります。

*人間生きているだけで100点満点
*一日 1ミリ 
(人生、日常生活は一気に物事が良くなることなないので、テーマがあれば少しずつ少しずつ進めば良い、あせらず、慌てず、ゆっくり休み休みで、他人と比較せず)

鬱は、仕事を取り巻く経済環境の激変が1997−1998 (山一、日産ショックのころ)がありまして、過重な問題に取り組み山場を超えた頃鬱になりました。

思えば1997当時から発症はしていて、不調から当時はまだ世間的に認知が浅い心療内科に通院し、軽い睡眠導入剤、向精神薬を服用しましたが、不眠と頻繁な尿意(電車に乗れません)、外出するのに気が重く身体も動かない・・・等々の不定愁訴は改善しませんでした。

2002年・・・不眠が5日間続き、ついに入院しアラフラニールの点滴を3日間、その後は服薬で2週間入院しました。

退院後は、トレドミン等の服用で自宅療養でしたが、所詮薬剤に依存した身体と頭が動いて活動していただけでしたので、鬱から脱却できてたわけではありませんでした。

社会で活動できていた自信も取り戻すのに時間がかかりました。

結局1年では職場復帰できず、退職しました。
もう、十分やったという満足感もあり、仮に復帰できたとしても以降いったいなにをやる気の源泉にできるか?・・・という疑問も。
復職できれば、既に 課長の肩書でしたので、会社員人生の残り半分を過ごすことは可能だったかもしれません。

ただ、鬱を完全に治すには、場所を変え、物事の考え方を変えねば完治しません。
それまでの人生の環境と思考の偏りが、最終的に鬱を招いたのです。

退職し、4年間そのまま都会で一人暮らしを続け、通院と薬を発症から2年目に強制的に自分で断薬しました。
頭痛、だるさ、体調が不安定、やる気が起きない、昼夜逆転・・・・半年ほど続きました。

辛くとも、毎日午前に30分以上太陽の光の下、公園の散歩を欠かさず日課とし、目覚めて体調の良い時は、必要ならば車の運転もできました。

この間 約1年・・・薬がなくとも体調は安定し始め、夜の睡眠も戻ってきました。

あとは、ここから社会復帰のリハビリでした。
以下に、社会生活に対する自信を取り戻すか・・・遠方への外出、体調の安定がどうか・・・。

ネットで自動車趣味の愛好会に参加し、関東、東北一円を日帰り、一泊、2−3泊のツーリングに参加しました。
人との付き合い、外出旅行を3年ほど続けて、好きなことだけをする生活で、なんとか健康と自分を取り戻した感があります。

その後 知人の仕事先で働かせてもらう目処がつき、帰郷して実家住まい・・・現在80台の老親とともに暮らす兼業農家の生活です。
土日、祝日、休日は 畑での仕事ですが、これは勤務仕事からの気分転換になっています。

中学、高校と受験のレールに乗り、大学⇒都会の大きな会社に就社・・・という定石通りに来ましたが、果たしてその過程で自分が何なのか、何をしたいのか・・・は発見できてませんでした。

都会に兄弟共にでてきましたので、郷里で親が年老いたらどうするか・・・介護問題も含めての不安はありました。

19歳から都会生活をしていたのですが、やはり都会はずっと好きではないという感情を持ち続けていました。

鬱からの脱却は、これら全てを変えることで可能だった訳です。
生活の多くを従来のままにしていたのでは、完治は望めないでしょう。

物事についての考え方は、私は不安先行型でしたので、物事はあたってみないと分からない・・・事前にいろいろ不安材料を考えることは止めるようにしました。
(もちろん、要所となるポイントは考えます)

うまくいかないかもしれない・・・・ではなく、どうやったら乗り越えられるか・・・と考える癖をつけてます。

ペンネーム:カオリさん

相談者
とてもいいお言葉を二つありがとうございました。

*人間生きているだけで100点満点
*一日 1ミリ 

素直に嬉しいです。

ペンネーム:テンテンさん

18年前40歳の時に自律神経失調症と鬱(当時は鬱はそれほど世間に認知されていなかった)を発病して、自律神経失調症では未だに通院しています。
質問者さんのことを考えると、鬱で入院を勧められているのであればそうした方が良いと思います。鬱がひどくなると人格が変わって、このような質問すら書く意欲がなくなってしまいます。

お母様の事ですが入院させて病院で見てもらった方が良いのではないでしょうか。私は母を胃がんで亡くしています(父はもっと早く悪性リンパ腫でなくなっています)が、最終的には病院で亡くなりました。お母様が母の「早く死なせて下さい」とおっしゃるのは痛みがひどいのも一因ではないでしょうか。入院したらその点モルヒネなどの投薬が適宜行われると思います。また貴女への負担をかけることを重荷に思っているのかもしれません。病院でも安らかに死を見つめて心の準備ができると思います。私の母は最後は「ありがとう」と言って息を引き取りました。

私の宗教観ですが特定の宗教に入信はしていませんが、魂の輪廻は何となく信じています。人間は生まれて来たからには人生を全うする義務があると考えます。死を目前にして欲から離れて今までの人生に向き合い、感謝し、今までの事を冷静に考える事ができるのではないでしょうか。

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