動画の人物の顔は、映画のプロたちなら入れ替えられるのでしょうか
寺島しのぶ主演の「愛の流刑地」という映画をDVDで観ました。最初の場面が、寺島らしき人物と無精髭を生やした小説家という設定の薄汚い男の全裸ベットシーンで衝撃を受けました。
しかし、その女優はセックスの最中に絞殺されるという設定なので、苦しさを表現する演技表情なのでしょうか、寺島しのぶに似てないところもありました。別人と疑いました。また、首を絞められているところは確かに寺島しのぶらしいのですが、騎乗位で前屈みになってるはずなのに、あまりにも仰け反って顔が正面を向いているのを不自然に感じました。薄汚い男優とヌードモデルがセックス場面を演技しているところに、服を着た寺島しのぶの下から突き上げるように首を絞められてる正面向きの顔はめ込んでいるのではないでしょうか。でも、そういうことは可能なのでしょうか。
静止画像というか、写真では葬式の写真など故人が百姓姿だったのに背広姿の枠に顔だけをはめ込んで紳士風な写真に仕上げるのは常識です。
動画では1秒間に何十枚もの写真を映すそうですから、大変な手間にはなると思いますが、プロの人が手間をかけてやれば動画でも顔を入れ替えることは可能なのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか。
寺島しのぶといえば、剣客商売で藤田まことの息子の嫁になる凛とした美人です。何が哀しくて、エロ映画みたいな下劣な映画に裸を曝すのでしょうか。寺島しのぶだって大人ですから結婚もするしセックスだってするでしょう。それは良いのです。しかし、不特定多数の大衆の前にケツの穴まで見えそうな裸体を曝すことはないと思うのです。
「愛の流刑地」はまだ読んでませんが、原作者の渡辺淳一という人が、とっても良い本を著述しているのは知ってます。何冊も読んでます。しかし、映画もインターネットで引いてみると主演女優が高岡早紀だとか、長谷川京子だとか何本もあるみたいだし、ストーリーも私の見たものでは寺島しのぶ演ずる「入江冬香」の姑が嫁いじめをする場面はありませんでした。
要するにストリーを要約すれば、「入江冬香」は仕事中毒で妻を労る気持ちのない夫に悩み家庭的に不幸で、女学生であった頃にファンであった小説家「村尾菊治」の実物に出会い不倫関係になるのです。夫にも気付かれた様子で、今後の生活についてどうしたらよいか悩んでいます。村尾は小ずるい男で自分の妻との生活も破局に近いのに、離婚して冬香を受け入れる覚悟もないのです。そこで冬香は?自分がこの苦しさから逃れるため自殺したい?自殺する時に村尾に殺させれば、村尾は現在の家庭生活が破綻するわけで、他の女性からも恐れられ相手にされなくなるから、自分が独占できる。 と考えてセックス中に「殺して」「このまま殺して」とせがみ、軽率な村尾は言われるままに殺してしまったという話です。
私が思うには、冬香も村尾も両方家庭が破綻しかけているのだから、多少の経済的損失や人間関係などの損失を覚悟すれば、簡単に離婚・再婚できたのではないかと思います。そして、それ程セックスが好きなら、毎日でも何回でもそうして幸せに暮らせたはずなのではないかと思うのです。
また、村尾を殺人者にして死ねば、村尾を独占して冬香の「愛の流刑地」の中に閉じこめておけるというのも独り合点の浅はかな考えです。昔、克美しげるという馬鹿な歌手がいました。紅白に二度も出た歌手ですが、落ち目になり妻子があるのに交際を続け、経済的援助も受けていた愛人を足手まといと考えて殺し、車のトランクに遺体を隠したまま暮らしていました。当然 ばれて、懲役10年の刑を喰らいました。それでも出所後はちゃんと結婚できましたよ。私が浦和地方裁判所熊谷支所で裁判を見た(この裁判を見ようとしたのではなく、裁判というものはどんなものなのか見に行ったら、たまたまこの裁判だった)のは、再婚後、カラオケ教室をやっていた克美が覚醒剤を吸った時で、「今後、克美には金銭に触れさせず、歌唱指導だけをさせます。事務的なことは妻とその父だけでします」と再婚相手とその父親が涙ながらに訴えて懲役8ヶ月で済んだようでした。でも、その後、この結婚にも破れて、あと2回も結婚して去年の2月に死ぬまで75年も生きてた様です。殺人者になっても結婚は自由です。自分が殺されても相手を囲い込むことは出来ないのです。
そういうわけで、原作はどうか知らないけれど、寺島しのぶ主演の「愛の流刑地」は彼女が出るほどの、ましてや裸を曝すほどの価値がある作品とは考えられません。あの裸は他人のものであって欲しいと思います。
ペンネーム:タガさん
しかし、女が裸でセックス場面を公開すれば、演技力なんてなくても無名でスタイルも悪いブスでも、野次馬が寄ってきて見物するだろうと思います。間もなく、わいせつ物なんとか罪で中止させられ逮捕されるでしょうけど。
彼女が出演した「愛の流刑地」がリアリズムに欠け、たいした作品ではないという批判は質問本文に書きました。私は彼女の裸を何が何でも否定するつもりはありません。本当に素晴らしい作品で、裸になることに必然性があれば認めます。母親の富司純子さんが苦言を呈したというのも同じ思いと思います。
意味もなく露骨でお尻の穴まで見えそうなベッドシーンは、エロビデオと同列です。
しかし、人間は誰だって失敗します。私も学生時代に長髪にして髭を伸ばしたことがあります。帰省のバスから降りた私を見つけた父は家に駆け帰って母に「いいか、絶対に笑うなよ。笑ったらダメだからな」と言ったそうです。だから、近所の人には遠くからちょっと笑われましたが、就職の心配が出てきた頃には自然とまともに戻れました。
私も、彼女の良い作品だけに注目して、こんな作品には無視してあげようと思います。