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ペンネーム:ガイジンさん

死後の世界を知りたい

[人生相談]

現在76歳です 心臓の調子が悪くて4回の手術を経験しました。
平均寿命まで生きられるのか?不明 質問は死後が有るのか無いのか 自分は無だと思うのですが・・・有るとすれば地獄より 天国が希望です・・皆さんはどちらがお好き?

(9月6日 3:59 追記:)
多くのご回答を頂き感謝・感激・雨・霰。
その日が来るまで、また逢う日まで、年金頼りに細々と生きていたいと思います。
昔 看護婦をしていた女性が云うには、病院で亡くなって霊安室に遺体を安置していた時、窓を少しだけ開けて置くそうです。
新人が忘れて閉め切って置いた夜に窓ガラスにヒビが入って割れていたと云います。
魂の出口を塞ぐのは良くないと云っていました。
また水子供養をしない人は婦人科の病気で亡くなる人が多いとも・・
 有難う御座いました。

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回答 28件

ペンネーム:ホックンさん

生死に関しては、土人の迷信の議論ばかりが横行、狂信されています。

だいたい、「生死」という言葉自体おかしい。

「死」と対比されるのは「誕生」ですし、

「生」と対比されるのは「死後の世界」と「生まれる前の世界」です。

過去にこだわってもしょうがないのなら、あなたのおっしゃる「死後の世界」だけでいいです。

で、天国や極楽というのは、「絶対にばれないペテン」です。

死後の世界は見てこれないからです。

見てきた人が言うのは、それは、仮死の世界です。

仮死と死は違います。

素敵な男性に、嫁にするといわれれば、親戚は祝福ですが、仮の嫁にするといわれれば、猛反対でしょう。

それくらい、死と仮死は違います。

天国極楽のペテンは、その優秀さから、宗教が使っています。

で、死後の世界は

「次元が上がる」

のが正しい回答です。

ただ、次元が上がるというのは、今の次元では理解できない概念です。

なんとなく感じることができるのが「悟り」です。

次元が上がることを、馬鹿で怠け者の大衆にわかるために表現したのが、天国や極楽です。

「この人は死んでも次元が上がることはないだろうな」って人は、人類の九割以上です。

また、釈迦並みの知能を持って、釈迦並みの修行をした人以外には、死後天国か地獄へ行くというのは、正しい理解と言えます。

ペンネーム:ゼキュウさん

釈迦は「万物すべて空である」と言っています。すべてが死後は土に帰るのです。天国とか地獄は生きている人のためにあると私は思っています。
私も76歳で病院通いを2.5年していますが、出来得る限りプラス思考で生活したいと思っており患者仲間にも薦めています。

ペンネーム:アノヨさん

見た事聞いた事のみ客観的に書きます。義理叔父の葬儀は菩提寺で行われました。田舎の曹洞宗のお寺で男女が和尚さんをはさんで別々に座布団に座ります。叔母は腰がわるいので1人椅子に座ったので目立ちます。読経も終わりに近づく頃、叔母の首が突然右上にひねりあがりました。まるで昔の映画エクソシストそのままです。こちらは生身の人間ですから映画みたく180度ではなく45度くらいまでは曲がってたと思います。誰かにひねられてるとしか思えない状態なんですが、叔母の肩と胴体は座った時のまま、ピクリとも動いてません、ただ頭がひねりあげられてる…本堂に居た300人の人達はただ呆気にとられ声を出す人も皆無、事の成り行きを固唾をのんで見守るのみでした。読経の終りに 引導をわたす〜(シンバルがジャーンと鳴ります)と和尚さんが言ったあとすぐに 叔母の頭はガクッと正面にうなだれました。うなだれたまま3分?くらい経ったらフッと何事もなかったような顔をして正面を向いた叔母。読経が終わって真っ先に叔母の元に行き、なにがあっただね?!って聞いたら 「オジイが来い来いって呼んでるだよ まったくあの人は自分じゃなんにも出来ない人だから」 と言いました。
別な話ですが、臨死体験して戻ってきたある市の一番大きな書店の社長の話…本人さんは鳥のように空中を漂い眼下には黄色や赤いきれいな花畑が続いてて、フッと目が覚めたらベッドの上で娘さんがお父さん起きてって泣きながら本人さんの胸を叩いて
た…医者はダメ出ししてたそうです。

私が10年前に付き合ってた彼女はsexの最中イキまくって呼吸が止まってしまいました。あわくってしまう私、でも自発的に止まった呼吸は吹き返すってのを何かで読んだ事があったんですが自分がその場に立ち会うとうろたえますね(笑)
このままじゃイカンと彼女のホッペタにビンタくれたら フッと目をさまし…↑と同じようにお花畑の上を飛んで川の向こうに死んだはずのお爺さんとお婆さんが手招きしてたそうです。
その彼女が私の前に付き合ってた彼が亡くなり、身辺に気になることがおきるようになったんで霊能者に徐霊の仕方を教わり1人じゃ怖いので友人と彼のお墓に行ったそうです。
教わったとうりに呪文を唱えた時に、快晴無風だったのにその場だけつむじ風が吹いて枯れ葉が舞いあがり、離れて見ていた友人は腰が抜けそうになるくらい怖かったそうです。

以上が自分で見聞きした現実です。叔母の一件からしても霊魂は在ると思わざるをえません。いや必ず在ると思います。
霊魂があれば霊界も?って考えるのが普通でしょうがこればっかりは見て帰って来た人は居ませんので証明となると点点点(笑)

ペンネーム:キララさん

人の死は単に一個に有機体の消滅でしかありません
  ・
  ・
しかし、死後の世界はあります
有機体の消滅後も魂は存在するからです
お釈迦様のおっしゃるには

「長い時の流れの中で、この娑婆世界に生まれてくることは
非常に難しい」  と

その難しい娑婆世界に生まれてきたのです、病気に負けず
生ある限り有意義に生きて行かれることを望んでおります。

ペンネーム:ナナさん

あの、霊界は実在してます。

☆人間には、肉体と幽体と魂があります(*^^*)☆

肉体無くなっても、幽体(体と同じだけど霊的な物質)
と、魂があり、、

〇☆霊界で永遠に生活して、生きていきますよ(^-^)/☆〇

霊界には、低い霊界も、輝いく神界もあります

霊界には、財産を置いて、家族から離れて、役職も名声も置いて、ひとりで行きますm(__)m

自分の
心をいつも明るく、イキイキと愛にしておく
また、霊界をつかさどる"神霊"つまり、神を素直にしんじる、心が、、霊界の向上の道のりに通じます
(^-^)/

ペンネーム:センダツさん

仏教では 正老病死といい、 人は 生きていくことが 苦痛なのです。

死とは 日常の損得勘定を 打ち切る出来事だと おもいます。 死後までも 損得に執着する必要はないのではないのか。つまり 現世の損得を あの世に持っていくことが ないための 仕切りである。

あの世が あったなら また 何かしたいという煩悩が出てくる。煩悩を断ち切るか、そのまま維持するかの かんがえで あの世の存在をかんがえるとよい。

あるかないかは わからない。

ペンネーム:シンランさん

仏教の中でも浄土教(浄土宗・浄土真宗・時宗等)の考え方だと、
南無阿弥陀仏を唱えれば極楽へ往生できるという信仰を持っています。

往生とは、極楽という別世界へ行って生まれ変わるという意味ですが、仏として生まれ変わり、仏は化生で生まれ母胎からでるわけではありません。

言い換えると人間とは別の存在になってしまうわけです。

過去の人生とは切り離されて人間とは違うものに置き換わってしまうし、極楽世界では母胎や卵から生まれるのではないので、親も兄弟も存在しません。

極楽世界へ仏として往生しても、もしかしたら多数の中の孤独を味わうことになるのかもしれないのです。

こちらの人生とは切り離されているので、人間であった過去を懐かしむこともありません。

極楽往生を希望しますか?

ペンネーム:ミリさん

私は死後の世界はあると思っています。
それは事あるごとに霊的な夢をよく見るからです。
叔父の通夜の晩、夢の中で早くに亡くなった兄が叔父と向かい合って座っています。私は夢に兄が出てきたことが嬉しくて「お兄さん〜!お兄さん!顔を見せて〜!」と何回も叫ぶと振り向いた兄は顔が黒い線状でした。また同じ叔父の告別式の夜、夢に父と母が出てきて仲良くしています。その父と母の顔は若く見たことが無いのですが、私には父母と分かり
「娘の前で何やっているのよ!」と言いました。

身内のメッセージ、亡くなった親友のメッセージ、夢の中ですが、聞いています。

そんな夢を度々見るのであの世はあると確信しています。

天国や地獄はわかりませんが、死んだら無ではないと思います。

ペンネーム:テンゴクさん

天国〜、
酒は美味いし、ねぇーちゃんは綺麗だから!

ペンネーム:アリアリさん

死後の世界は、無いと思います。
もし、あったとしても、今の続きじゃなく全く新しい世界でしょう。
死後の世界を考えるより、今を大切にすることだと思います。

ペンネーム:クンタさん

「死」、死ぬ事への概念は面白いですね

日本人が多く信仰する仏教の概念では インドのバラモン教における死生観の「輪廻転生」が根本にありますね。
 人は何度も転生し、また動物なども含めた生類に生まれ変わるとされる思想は死後 人間はあらためて人間として生まれたり、あるいは他の動物や 草木のような人間以外の生命を宿す物に生まれ変わったりする中で 死の存在を説いていますね。

このような再生思想は、農耕民族によくみられるものだそうですが、高度に理論化されて、ヒンドゥー教や仏教にも継承され、東南アジア世界や東アジア世界における死生観にも大きな影響をあたえてきたと言われています。

インド起源の宗教においては、肉体は単に霊魂の容れものにすぎないとみなされるところから人の遺体は火葬されることが多く、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教、儒教などにおいては基本的に土葬され、火葬は禁忌とされているそうです。

中国においては、伝統的に、死後も生前と同様の生活がつづくものという考えがあり、儒教は死後の世界に対し言及することに比較的淡泊であり、おもに道教の祭祀から考慮すると、そこでは「明器」と称される現実で使用される道具の一連のミニチュアや紙でつくった貨幣などが副葬されるそうです。 秦の始皇帝の陵墓に附設された「兵馬俑」には、秦始皇の死後も皇帝を護衛するための実物大の陶製の兵士が副葬されており、そこでも死後は生の延長上にあるという発想だそうです。
死後は生の延長上にあるという中国的発想ですね。

古代エジプトの人びとにとっては、死はむしろ新たな人生へのはじまりであったといわれ、ピラミッドなどの埋葬の方法はまさに「復活」の思想ですね。
ファラオもまた復活できると信じられ、庶民でも復活できると言う思想があったそうです。
この世と同じ生活を送れるその世界での肉体を得るためには遺体をミイラ化することが必要と考えられたのもまさに復活の思想です。

ユダヤ教やキリスト教、イスラーム教においては、人は死んでも永遠に墓のなかに眠るのではなく、最後の日には呼び戻されて審判を受け、永遠の生命を与えられる者と地獄へ墜ちる者とに分けるという「復活」の思想があるといわれます。そのため、遺体を焼くことは禁忌であり、むしろ破門や死刑以上の重罪とみなされるそうです。 火葬は葬りさるための儀式で 異端や魔女への極刑が火刑であった所以だともいわれていますね。

キリストが十字架に処されて 7日後に復活したという 考え方こそが 西洋の死生観であり 死ぬことは神に召される事だとの考え方ですね。

ペンネーム:スケッチさん

希望で天国に行けるのではないです。

自死を選んだ人は二度と人間界に戻れないです。

人は選ばれて、この世に生まれてきます。

輪廻転生は繰り返し世界中で起きています。

生まれ変わりは虫や自然界の石かも知れないです。

あの世では宇宙人と同じくテレパシーでの会話になります。

私もあの世の入口まで行って、まだ早すぎると門番の老人と小坊主さんにテレパシーで云われ追い返えされました。

気が付けば棺桶のような暗い長い箱に全身氷詰めで寝かされていました。

その後はベッドの上でした。

生前に人が喜ぶことを積極的にしておけば、再び人間界に戻れる可能性は大いにあります。

ペンネーム:ハテナさん

薄情な言い方に成りますが、人間死すれば天国も地獄も無いでしょうね俗に言います遺骨は土に帰ると言いますお墓に入るか海にばらまかれるか生前の希望でしょうね私は山歩きが好きなので子供達に適当な山にバラまいて欲しいと遺言をしています。

死後が有れば世の中もめたり殺し合ったり戦争は無いでしょうね。

ペンネーム:ムダヨさん

無ですね

死後の本とか宗教的な事は生きてる人間が考えたものです

完全なる無

天国も地獄もありません

死後の世界は死んでも分りません
脳が死滅して分るっていう脳の理解力がないからです

ペンネーム:タビビトさん

私の母と夫は共に心臓病で一度死を経験していますが2人の話によると河の向こうに綺麗なお花畑があり自分の親や祖父等が居て決まった時まで現世にいて予定の日が来たら来るように言われこの世に戻って来たそうです。母は1か月後にあの世に行きました。
主人はその体験後、元気にこの世で暮らしています。

ペンネーム:カブカゼさん

さてさて実際に経験した死後の世界とは
どうやら現生の続きのようでした。
もう10年以上も前に心筋梗塞で緊急入院をして
手術も無事に終わって。数日ICUで療養中に
原因は肺に水が溜まって心不全を発作して、
1昼夜意識不明となって、
闇夜を彷徨った時に、
対岸に薄rらぼんやりと亡き父親が、
餓鬼を集めて授業中だったのに出会った。
(父親は教師で最終は校長先生であった)
”親父来たよ”
“順番が違うだろ”
親父はてっきり寝たきりの妻がやって来るものと思っていた所
長男の私がやって来たのでさぞかし驚いたことでしょう。
そこで私は
“ああそうだった”反転してこの世に戻って来た時に
病室には家族や親戚縁者が集まっていたと言う話です。
信じる人は信じて、信じない人は
私を阿保と思って下さい。
私は貴重な経験をしたと思っています。

ペンネーム:カゼクモさん

以前にも、この質問欄に、同様の疑問が提示されていました。御覧頂きたく紹介申します。

http://smcb.jp/_qs01?qid=61859&sort=2

昨年の12月21日にも投稿したのが私です。

私自身、この分野の はっきりした自覚と体験を持っていますが、理論的なことは、たとえば、

   近藤千雄 訳 「シルバーバーチの霊訓」 潮文社

が、宗教臭くなく、個人的にお勧めです。
なお私は、この出版社の関係者ではありません。

ペンネーム:テンゴクさん

先日寂聴さんのお話から(人は死ぬために生きている、生まれた時から死に向かっているんです、死は目的ということでしよう

63になり、だんだん死への思いが変わってきました

死が自然なことなら自然に身を委ね安らかな気持ちでこの世を去りたいと思います

叶うなら苦しまずに眠るように旅たてたら最上の幸せです

天国はあると思ってそちらの世界へ行きたいです

ペンネーム:ヒイラギさん

全員一度は地獄へGO
そこから49日間かけて仏さんの教えをいただき
先に待つ家族や友人の元へ行くんですよ^^
餓鬼さんが邪魔するから残した家族に仏の世界へ行けるように
手助けヨロシクと先にいっときましょうね

私は先に逝った息子に オカン・・・肥えたな・・・と言われないように 少し痩せなきゃ><

ペンネーム:ネコさん

地獄極楽(天国)はこの世のものです。
死んだら別の世界などはありませんので
ご心配には及びません。
生きているうちに天国で遊んでください。
 色即是空 空即是色

ペンネーム:ヘイソツさん

宗教家は理ずめだったり、情に訴えたりして説明するでしょう。一般の方も地獄極楽の意見をお持ちだと思います。所詮は商売道具か想像、死に対する恐怖心を少なくするための薬です。
死んでみなければわからない、この一言に尽きます。
慌てて行く事もないし、迎えが来れば断る事もない。
川の流れのように行きたい(生きたい、逝きたい)ものです。

ペンネーム:オカシさん

「かとう はかる」さんの「人間の夜明け」からの抜粋の文章です

是非 この文章を味わって欲しいです



(10)死は存在しない?

人間の最大の敵は死の恐怖です。でもその恐怖は、自分をボディーと錯覚する処から生まれた迷妄です。もし生命を自分と思えたら、誰もが死の恐怖から解放されるでしょう。死の恐怖は、本当の自分を知らない無知が生み出した誤解なのです。

ボディーの死は変化にしか過ぎない。

宇宙に死はふさわしくないといいましたが、なぜふさわしくないのでしょうか?。それは、宇宙からドラマを消し去ってしまうからです。ドラマの無い宇宙に、どんな意味があるというのでしょうか?。それはまさに、何も書かれていない本を見ているようなものです。死は人間を自分と信ずる者にだけあるのであって、生命を自分と信ずる者には無いのです。あるとすれば、ただ変化があるだけです。

ではボディーから生命核(魂)が抜けたら、どのような変化が起きるのでしょうか?。

理解度によって定まる幻の世界。


殆どの人は死んだら意識が無くなると思っていますが、ボディーを脱ぎ捨てても何ら変わらぬ意識状態を保って生きているのです。反原子体とボディーとは、何も違わないのです。姿形も同じ、柔らかさも同じ、温かさも同じ、脈も打っていますし、呼吸だってしています。だから、死んでもまだ生きていると錯覚している人達がいるわけです。

このメンタルな世界は生命の理解度によって、上は光の体を持った階層から、下は動物さながらの階層から人間臭い階層まで無数の世界に分かれており、ここでも自然の法則(因果の法則、類は類を呼ぶ法則、慣性の法則、循環の法則)が働いております。ただ思いの世界は、思った瞬間結果が現れるので、物質世界のように誤魔化しがきかないのです。例えば、人を憎んだ瞬間般若の面相になり、愛を与えたいと思えば即座に仏の顔になるといった具合に、思いと行いは同じですから、少しも悪いことは思えないのです。だから、上辺を飾って生きるしかないのです。

またこの世界は、似通った者同士が生活していますので、「人の振り見て我が振り直せ」といった相対的体験があまりできません。さらに生きる苦しみが無いので努力する心が生まれない、我慢する心が生まれない、要するに厳しさが無いので向上心がわかないのです。だからこの世界では、あまり成長できないのです。

本当の自分を知った者のみが、本源の世界へ帰ることができる。

人は死んだら成仏するのではないのです。死んでも生きている時と同じ考えを持ち、同じ行動を取るのです。ですからお経の意味も解らない人に、お経を上げても何の意味もないのです。お経を上げたり果物や花を供えることが供養になるのではなく、生きている私達が彼らに正しい生き方を見せることが、供養になるのです。

死を真剣に考えることの大切さ。


死後の用意とは、あの世のことを考えたり調べたりすることではありません。生きている間にしておかねばならない準備のことです。すなわち、本当の自分を知り、正しい生き方をすることです。本当の自分を知り、正しい生き方をすることで、死後の準備はできるのです。準備のできた者は素晴らしい世界(生命の世界・絶対世界・本源の世界・これを天国と呼んでいる。)へ帰ることができるし、できない者は厳しい世界へ帰ることになる、これは一重に生きている時の生き様が決定するのです。

死は怖いものでは無い!。

宇宙に生命(本質)しか無い前提で物事を考えれば、これまでの物の見方がまるで違ってきます。更にその考えを自分の身に置換えることができれば、自分を大きく変身させることができるでしょう。

私達は一つの本質(生命)の現れなのです。死とは、無常なる形が永遠不滅の本質(生命)に帰ることです。本当の自分に帰ることです。何にも束縛されない自由な自分になれるというのに、なぜ悲しいのですか?。なぜ怖ろしいのですか?。死は悲しむべきものでも、怖ろしいものでも無く、むしろ喜ぶべきことなのです。

多くの人は、死ねば何も分からなくなると思っていますが、とんでもありません。肉体は死んでも、意識は今の状態のまま持ち続けるのです。記憶も失っていません。感情もそのままです。死は生命が、肉体という乗物から降りただけのことです。人生とは、生命の自分が肉体という乗物に乗って様々な体験をしている状態なのです。これまで私達は、その体験を何万回もしてきたのですよ!。今さら何を恐れるのでしょうか?。

このように、自分の本質(生命)が心の底で理解できれば、人生の見方が大きく違ってくるのです。

ペンネーム:ケイさん

死後は眠りと同じです。
寝て夢を見ている状態です。
天国も地獄もなく、自分の想念の世界です。
この世は修行の場です。
あの世より、この世の修行の方が辛くて険しいのです。
あの世で、充分に休息し、またこの世に戻って修行をします。
夜寝て、朝起きるように。
私は死後を楽しみにしています。
(^O^☆♪

ペンネーム:マダマダさん

有るか無いか? あるいはどのような所かなんて、
逝けば解るでしょう・・・

前世を覚えていないこの世に生きているのだから、
あの世に行ったときにこの世のことは覚えているはずも無いかと・・・

今はまだ解らないことだらけのこの世を
もう少し生きてみましょう。

あの世はあの世の風が吹く♪ってね。

ペンネーム:イクゾさん

逝ってからのお楽しみ!

と、言うことで・・・。。。^^

ペンネーム:キシモさん

天国も地獄も この世にあるのですよ^^
今悩んでる貴方は地獄かも

もっと大らかな気持ちに成って、病気と上手く付き合われたら 楽かも
身体は病んでも 心まで病まないで^^

ペンネーム:テンコウさん

天国はキリスト教、 地獄は仏教、 信心する宗教によって変わります。   そして、 キリスト教ではキリストが閻魔大王の役をし、 正しい行いをした人を天国に、 そうでない人は、 天国に行けるように、 天国でもなく地獄でもない所へ。  極楽 天国とも神のもとにいられます。  質問からは遠く離れた回答ですが、 天国を希望されているなら、 まずはキリスト教を信心するべきです。  落語にある地獄百景? 楽しむなら仏教を信じましょう。  私は、 キリスト教の天国でもない現世に近いところが希望です。

ペンネーム:ジンセイさん

天国に行くに相応しい人生を送ったのであれば、必ずや天国に行けると思いますよ。

でも己を偽り人を騙し蹴落とすような人生であれば、地獄に落ちると思います。

さあ天国か?地獄か?あなた次第です。

ただし、仏教においては「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」とか唱え、善行があれば仏の許しが得られるようですが・・・・・

ご参考までに
http://www.tulip-k.co.jp/todotoku/0108ofumi.htm

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