この論理展開はおかしい or 正しい
生命系の進化論 宗教よりも自然科学を信じよう-1
物理学者は 、『真理』を実に単純に信じています。「 この世界には真理があって、その法則に従って世界は動いている 」 という信念です。
宇宙論で言えば、時間軸は横糸みたいなもので 、縦糸として 、量子論的ゆらぎやカオスなど、様々な数理的現象が組み込まれてています。まさに必然と偶然のゆらぎの中で、この世界が出現している。それを知ることで 、世界を認識できる。それが物理学者です。
科学は 、宇宙の背景輻射ムラの精度 、 および宇宙の構成物質等から、宇宙の年齢を 1 3 7 億歳と 3 桁の精度で語ることを可能とした。
そこでワヤは思った。
考古学や生物学のデータは、分子生物学の理論の裏づけをするために貢献 している。それは、物理とは別 の学問であった化学が、現在、物理の中で論じられるようになった事 に似ています。
やがて哲学および心理学なども、 物理の中で包括的に論じられる日が来るだろう。
そこで、私がいつも思うのは、誰もが同じ結果を再現できる 真理を基盤とする科学が、政治や宗教を導けないか 、ということだ。
科学の発展は、人々全てを幸福にするものではない。でも我々が 、科学的に文化および社会を理解していかなければ、生命は絶望に向かう。時間軸は 文明とのバランスを許してくれない。科学の結果は 、そう語っている。
宗教についても言える。人々の苦しみを救う教祖は、人間であった筈です。
素晴らしい教祖に恵まれた宗教が、成長していった。教典の内容の歴史を調べる事により、釈迦は後々の人々によって、大衆が苦しみから逃れるため、理想的な神として祀られるように変わっているし、キリスト教においても、初めは人間くさい宗教的戒律であった、という説を聞き及ぶ。
しかし 宗教とは、その時代毎に大衆を救うための 、方便にすぎない。
したがって、その時代にはマッチしていても、時間的尺度で測れば 、そ の時々の高僧達の高説が、環境条件の変化に対応できず、一貫性の無さ が指摘される。
それ故に、 時代の移り変わりに 整合性が無くなる宗教を 、 基盤にする生き方 には無理があるし、支持できない。
ペンネーム:ワヤさん
今のそれぞれの先端分野は、外尾分野の先端を走る科学者でも理解できません。
宗教のように、彼らの言う事を信じるだけです。