包括センターって何をする所ですか? 恐ろしいんですが。
船橋だけの話でしょうか?
【・以後、3年5ヶ月の間、母がどこにいるのか、息子の私が何度、船橋市役所に頼んでも、教えてくれず、母に一度も逢わせてもらえなかった。
・母の死に目にだけは、家族を逢わす。と言っておきながら、3年5ヶ月の間、家族誰一人面会できず、母は病院で孤独死させられた。(これを約束した担当者は今、私への説明から逃げ回っている。組織ぐるみで私にこの担当者を合わさない様にしている。)
・家族に、合意書も伺い書も送らず、船橋市役所は勝手に、母に成年後見人(他人)を立てていた。この成年後見人は、母が亡くなる時も、病院にはいなかった。(この成年後見人が誰なのかも、未だに教えてもらえない。)
・船橋市役所の包括支援課長に、母が孤独死した事を尋ねても、成年後見人が悪いんであって、自分達に責任が無い・・と言い逃れされた。(だったら最初から、母を連れ去るな!)
・母は、病院で孤独死するまでの6ヶ月前から、点滴だけの寝たきり状態だった。(家族への連絡は、船橋市役所はいつでも出来たはずだ。)
・母は、病院で孤独死するまでの1年6ヶ月前から、右大腿骨が骨折したまま、亡くなるまで手術されなかった。
・母の遺体は、髪は乱れ、両目頭に涙がいっぱいドライアイス固まっていた。両下瞼は赤く泣き腫れていた。
・病院で聞いた話だと、母は亡くなるまで息子の私の名前を呼んで、泣きながら私に逢いたがっていた。私は、母がいなくなって亡くなるまでの3年5ヶ月の間ずっと、母に合わせる様に船橋市役所に懇願していたが、「お母様が息子さんに逢いたくないと言っているので逢わせません」と、船橋市役所から嘘を言われて来た事になる。
・母は3年5ヶ月で急死する様な状態ではなかった。絶対、病院で殺された。注射か点滴で殺された。(院長は5分ぐらい死因の説明をしただけで、逃げた。)
・母亡き後、船橋市役所に説明を求めても、「守秘義務でお答えできません」と冷たくあしらわれるだけだった。(今は、船橋市議会に陳情している。)
皆さん、よく考えて欲しい。
あなたの最愛なる家族が、突然この様に理由もないまま連れ去らわれて、遺体としてゴミの様に返されて、嘆き悲しみませんか?
何故この様なことをしたのか説明を求めませんか?
説明は未だに有りません。
】