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よくあるご質問

回答受付は終了しました
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

祖父の日露戦争の記録作成、支援願います。

[その他]

私の祖父は、日露戦争の時、兵隊として召集されて、戦地において、奉天の会戦などに従事しました。当方の作文について、どなたか、査閲願えますか。なにか間違いがあれば、教えてください。軍隊手帳に記入された文字が小さくて、判読が困難なため、正確な地名がわかっていません。お分かりであれば、教えてください。お気づきの点について、教えてください。よろしくお願いします。
以下、当方が保管している本人の軍隊手帳を元に我が家の公式記録として作成しました。
 所管は、第十六師管、歩兵第九連隊補充大隊第三中隊
明治37年6月1日教育召集ノ為 歩兵九連隊補充大隊第三中隊入隊
同年9月21日補充トシテ歩兵第三十七連隊へ転出 
連隊は、第二軍第四師団歩兵第三十七連隊である。第二軍の司令官は、奥保鞏(おくやすかた)、この時の第四師団の師団長は、塚本勝嘉、歩兵第三十七連隊の連隊長は、川村宗五郎である。
同年9月21日同日、国鉄で大津を出発、同30日、宇品港出帆
同年10月4日 ダルニーに上陸
4日間で渡海している。軍隊手帳に記載されたダルニーとは、遼東半島の大連のことである。大連という地名は、1904年に勃発した日露戦争により、同年5月末には日本軍が無血入城を果たし、戦後の1905年ポーツマス条約により日本に租借権が譲渡された。日本は、古地図に見られる中国語の地名「大連湾」からとった「大連」を都市名として採用した。これはロシア名のダーリニーと発音が似ていることにもちなむ。日本軍が大連を占領していたので兵站が十分に出来た。日露戦争の頃の兵隊は、白飯を食べたために、脚気になる兵隊がいた。当時の軍隊は、そのような知識がなかったのであろう。戦力に影響が出たほどであると言われている。副食は、きゅうり、とうもろこし、干し芋、缶詰であろう。
海城遼鼻(?)ヲ経テ6日、河堡(?)着、第十一中隊編入
同10月10日ヨリ南進セル敵ニ向ヒ攻撃前進ス 得樹砲台 青堆子 大油生堡付近ノ戦ヲ経テ 10月14日林盛堡、王家子、(省略)
明治38年1月12日歩兵一等卒申付ラル
明治38年1月25日ヨリ同29日ニ亘ル向播台開戦参加
同年3月1日ヨリ同10日ニ至ル奉天付近の会戦に従事
3月9日、第37連隊は、渾河(こんが)を渡った。撮影された第1大隊の写真が、本に掲載されている。(日露戦争、近現代史編纂会著、日本文芸社)
(途中省略)魚隣堡ヲ経テ奉天へ進入 同年3月12日ヨリ25日ニ亘リ ? 文管屯付近ニ於イテ遺発品ノ収集ニ従事ス 13日マデ北陵付近ニ於イテ激残兵掃討
同3月22日ヨリ十里馬頭(?)
 魚隣堡という地名は、日露戦争を扱った書物に出ている。奉天会戦での日本側の死傷は7万人である。戦死は、16,553名、戦傷は、53,475名である。大山巌軍司令官の奉天入城式典は、3月15日に行われた。この日は、その後、陸軍記念日となった。
(地名?)5月5日同地出発 小橋子 王家高沙泥子ヲ経テ 羊馬堡ヘ前進
5月29日マデ同地滞在 同30日 羊馬堡、出発 古城子ヲ経テ 陳懐富ニ停止
6月1日先遣支隊トシテ同地出発 6月8日マデ イ家樹林子ニ 
同6月30日 峠婁付近ニ在リテ敵ト相対峙ス 7月1日先遣支隊ト交代シ
後大平社付近第一線守備
第二軍は、開原、昌図まで進出した。
明治38年12月7日凱旋ノ為同地出発 同12月21日 鉄嶺(てつれい)ヨリ乗車 同23日 柳樹屯着 12月25日同港出帆 同12月28日 兵庫 和田岬上陸 西宮ヲ経テ同30日大阪着。
柳樹屯は、現在どこかネットで調べた。現在、大連湾村となっているらしい。
宇品港を出帆してから和田岬に上陸まで15カ月であった。

(3月8日 22:02 追記:)
祖父は、帰国後、国から、推定で200円を支給されている。当時、この金額で、うちの村で、田んぼ、1反7畝(500坪)を買うことができた。祖父は、このお金を、ふとんの綿工場を経営する資金として、工場用地や建物に投資し、結婚資金としても使ったであろう。

(3月9日 18:52 追記:)
みなさん、右太臣さん、ありがとうございました。
これで、一旦、終わりにさせてもらいます。

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回答 4件

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

質問の答えには成らないと思いますが久ぶりに私の祖父を思い出しました祖父は明治27年生まれです若い頃20歳の時に軍隊に入ったそうです割りにいえが裕福な家庭見たいで皇居の中で羽のついた帽子をかぶって馬に乗っている写真をよく孫に見せていた事をなつかしく思い出しましたしばらく忘れていた良く可愛がってくれた時の祖父の顔を思いださせてもらいました質問の答えになっていませんが思いださせていただいてありがとうございました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

こんばんは  栃木の田舎に住んでいます。

 お父様の 戦争のお話だと、こういうフレームの中に作ると、素敵だと思いますよ。 (このページは私が作りました)

  http://blog.goo.ne.jp/namaka9

 (この同人に参加してくださいという事ではなくて、要するに、このページは何ページもあるけど、gooブログに登録すれば、誰でも無料で作れて、毎月無料なのです)


 戦争の事は、よくわかりません。 せっかくの大切なお話なので、ブログに書かれた方がいいかな・・・って。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

こんばんは。お祖父様の貴重な記録を拝見させて頂きました。根気のいる難しい作業を精力的に成し遂げられて感心いたしました。
記録の中での地名については少し時間を掛けないと当方ではハッキリ致しませんが
>大山巌軍司令官の奉天入城式典は、3月15日に行われた。この日は、その後、陸軍記念日となった。
これは、奉天入城式典は3月15日でしょうが
陸軍記念日ではありません。奉天会戦で勝利がハッキリした日の3月10日が記念日です。
地名等解りましたならば連絡差し上げます。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
右太臣様
コメントをいただきまして誠にありがとうございます。
地名の件、よろしくお願いします。
図書館やネットで調べても、よく分かりません。軍隊手帳に記入された文字は、赤字で極めて小さくて判読が困難です。
しば栗

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

お尋ねの件、調べてみました。
既に当地(遼東半島)の地図は御覧になっていると思いますが、位置関係を記します。
大連は同半島の南端で旅順と隣り合わせになっています。そこから東清鉄道が北へ奉天、鉄嶺方面に走っています。
大連から奉天までは約300キロ弱(詳しい地図が当方に無いのでおおよその見当です)大連から北へ向かい重要な地点は「金州」「得利寺」「蓋平」「海城」「遼陽」で次が奉天という位置関係になります。
お祖父様は明治37年10月4日大連上陸後、たぶん鉄道で奉天方面へ向かわれたのでしょう。記事にある「海城遼鼻?」とは海城で遼鼻とは「遼陽」のことだと思われます。お祖父様は「海城 遼陽」と通過地点を書いたのではないでしょうか。但し鼻と陽ですから断定は出来ません。海城付近で海城遼鼻という地名は解りませんでした。
次に10月6日「河堡?」着ですが「遼陽」と「奉天」間に「沙河」があり、更に「奉天」よりに「沙河堡」という所があります。初めここかと思いましたが、ここは10月6日の時点ではロシア軍の占領範囲に含まれるのでここではないはずです。


10月6日の日露両軍の態勢は遼陽から奉天に向かい約20?付近の東西横一線に中央に第四軍、左が第二軍で右が第一軍という布陣で、第二軍は東清鉄道に沿って奉天に通じる奉天街道の左側を担当したようです。そこに「河公堡」という所がありました。この付近の「河堡」に関する地名では「河堡」二文字のものはなく、三文字(「○河堡」「河○堡」)だけの地名しか乗っておりませんでした。たぶんここかと思われます。ですが「河堡」という地名もなきにしもあらずで断定は出来ません。
いずれにしろお祖父様はロシア軍との最前線に着任されたのでしょう。この場所の戦いを「沙河会戦」といい有名な戦いです。
第十一中隊編入とは・・歩兵三十七連隊は第一大隊と第二大隊があり、中隊番号からたぶん第二大隊の所属ではないでしょうか。
10月10日ヨリ南進セル・・では 「得樹砲台」が解りませんでした。これは得樹という地名に砲台という言葉を日本軍が付け加えたのではないかと考えましたが、得樹という地名自体が見つかりませんでした。「青堆子」は10月12日の「沙河会戦戦況図」に第二軍担当個所にあります。また「大油生堡」はやはり見つからず
戦況図2枚の同じ所に「天油蟲堡」と「大油蟲堡」というのがあります。お祖父様が大油生堡」と書かれているので天油は大油だと考えます。“生”と“蟲“の字の違いは解りません。
また「小油蟲堡」というのを手持ちの資料で見たのですが返事する段階で解らなくなってしまいましたが「大油生堡」に似た地名が有ることは確かです。
10月14日林盛堡、王家子、・・
「林盛堡」は先程記した「沙河堡」の南隣にあります。ここは両所とも同日に第二軍が占領しています。
とりあえずここまでを連絡いたします。この後の奉天会戦をこれから調べてみます。判りづらい書き方ですいません。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
>この後の奉天会戦をこれから調べてみます。

 ありがとうございます。感謝しております。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

しば栗さんへ回答 (2)
38年1月25〜29日 「向播台」会戦
「沙河会戦」で「沙河堡」付近まで占領進出しましたが、ここで日露両軍は膠着状態で対峙したまま越年しましたが、1月25日はロシア軍が日本第二軍の左(西方向 黒溝台)を守る秋山支隊に攻撃を仕掛けてきた日です。「向播台」を探したのですが解りませんでしたがこの「向播台」で戦闘が有ったのですね。第二軍担当「林盛堡」以西には「○○台」という地名が四〜五個所、戦況図に見られます。
ロシア軍の作戦は失敗して29日には撤退、以前の状態に戻った。
3月1〜10日「奉天」付近会戦
1日の日本軍総攻撃での第四師団は第二軍での右翼を担当し、三七連隊は第四師団の中での右翼で、隣は第四軍。戦線の中央で「奉天」を目指したようです。相手の露軍は露第3軍でその後に露軍総予備隊が控えており、かなり重厚な敵のようです。
「日本の戦史 日露戦争」ではこの日、第四師団は「金山屯」「北台子」に向かったとあり、3日午前11時30分「黒林台」「猛達堡」
「田水堡」等に進み、4日、第二軍左翼隊が渾河を渡り奉天西方に進出、奉天を左側から包囲した。5日、6日は大きな変化はなかった。7日、露第1軍が撫順に後退。8日、第二軍は奉天西方に集結するよう命令された。9日第四師団は奉天西南の莫家堡付近(ここは東清鉄道と撫順方面支線の分岐点付近)から渾河を渡河。これが3月9日 37連隊「渾河」を渡る。・・「魚隣堡」を経て「奉天」へとのお祖父様の手記と一致します。
「魚隣堡」は奉天北方4〜5?地点に有ります。
奉天西方から北へ向かいそこから南下して奉天に入ったのですね。
その日はたぶん10日のはずです。
3月12日「文管屯」・・「日本の戦史」には出てくるのですが地図に載っていないのではっきり解りませんが、奉天西北方付近のはずです。
3月13日「北陵」・・奉天西北3〜4?地点
3月22日「十里馬頭」・・奉天西南3〜4?地点
これ以降の地名で「開原」「昌図」は「鉄嶺」の北方だと云うことは解るのですが、細かい地名は大半が解らず申し訳ありません。
ただ「古城子」という場所が「開原」方面より北東方向らしいことは解りました。
以上が私が調べられる限界です。誠に拙劣な文で申し訳ありませんでした。何かの参考にお役に立てば幸いです。

前回に訂正があります。
>第十一中隊編入とは・・歩兵三十七連隊は第一大隊と第二大隊があり、中隊番号からたぶん第二大隊の所属ではないでしょうか。
* 奉天会戦時には第三大隊まで編成されていました。
よって第二大隊とは限りません。第十一中隊は第三大隊の可能性もあります。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
右大臣さんへ

誠にありがとうございました。じっくり読ませていただきます。
 祖父の名は、綿屋富三郎といいます。綿屋じゃ、屋号です。
 当方は、祖父が、名張から、どのようにして、膳所へ行ったか、もう一度調べました。
その結果は、おそらく、名張から伊賀上野まで徒歩で行き、上野から、関西線、柘植から草津線、草津から東海道線で、膳所まで来たのだろう、と考えました。
 祖父のことが、毎日、詳細が具体的に分かってきて、嬉しく思います。まだまだ、祖父のパワー、経済力が、父母を経由して、具体的に伝わっていることを実感しています。
 今回、主に地名について支援していただきました。「求めよ、そうすれば、与えられる」、これは、いつも実感しております。
 もう十分、祖父のことは、判りましたが、しかしならが、もう少しだけ、調べて、整理をして、出来(しゅったい)にしようかと思います。
 写真をみていただけますか。祖父が、稼いだ資金で昭和4年に建てた家です。築80年です。当時、二階建て、瓦葺は、まるで、御殿のようです。阪神大震災後、耐震工事を行い、大切にしています。
 祖父のことから、筆を起こしました、我が家の歴史を、「綿屋の家」と題して、まとめています。そろそろ、完成です。
 綿屋柴栗

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

いきなり失礼します無理でしょう私も満州で母親親が従軍看護婦でハルピン長春市にいたようです。
私の戸籍の初めの住所は満洲のハルピンでした。
思い出だけを大事に考える事にしています。
現在の健康を気おつけて、宜しく先輩。

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