人は誰でもが、突然被害者になり、加害者にもなる可能性を持っているのです。
よく自分は犯罪を起こさないからといって、被害者の立場からだけ意見を述べられていますが、それは私から見れば尊大な思いでしょう。
時効がなぜ有るのか。
(他の回答者さんが、警察の捜査上の問題点を挙げて詳しく説明なさっておられます。)
捜査上のことはそのおっしゃられる通りです。
さて、加害者の立場にたてば、逃げている間も、決してその犯した罪の意識から逃げれるものではないと思えます。
逃げている間中、苦しまねばならないのです。
罪の軽重は、その時代や国家体制などの社会的条件によって変わってきます。
が、罪を犯したという意識はどんな時代であろうとも感じない人はいないでしょう。
また、被害者の方は被害に応じた苦しみや恨み辛みを持たれます。
当然、当たり前ですが、加害者に対する怒りで一杯に為られましょう。
特に被害者に全然落ち度がない殺人事件の場合などは、憎しみや怒り以外の心は無くなったみたいになられるでしょう。
ここでよくお考えいただきたいのは、怒りや憎しみで持って、無くなった方を生き返らせることは出来ないのです。
被害者を、被害に遭う前の状態には誰も出来ません。
また、加害者から見ますとどんなに逃げおうせたとしても、犯した罪は、苦しみは無くならないのです。
戻らないものと無くならないもの、この二つの思いはは生きていく上で決してプラス作用を及ぼさないでしょう。
憎しみや怒りでもって、相手を責めても相手から帰ってくるものは、また怒りや憎しみです。怒りや憎しみの鬼ごっこです。
どこかで区切りをつけなければなりません。それが時効だと思います。
警察の捜査上の立場や、裁判所、人間の心理などを鑑みて時効が有るのだと思いますし、必要だとも思います。
感情論で物事を決めるのは稚拙すぎます。
それが幅を利かす社会は、遅かれ早かれ崩壊に向かっていくでしょう。