私も、十一面観音さんを拝観させていただくのが好きで、先日も京田辺市近郊にあります、海住山寺と観音寺(普賢寺)の十一面観音さまを拝ませてもらいました。特に観音寺では、間近に手に取る様な感じで観音様に触れさせていただけ、ありがたい気持ちにさせていただきました。
私は専門的なことは分かりませんが、色々お話を聞いた時にメモしたり、後で調べたのを記録してありますので、全てに答えられないでしょうが、其処はお許しください。
お書きのように十一面観音は頭上に10の小面をつけ、本面と合わせて十一面を持たれた観世音菩薩のことです。
あらゆる方角(十方)に顔を向けられた救済者であられます。
正面の三面が慈悲を表し、左の三面が瞋怒面、右三面が頂上仏などの三種類の面を表しています。
お書きのように観世音菩薩は頭部や宝冠に阿弥陀仏の化仏をお持ちです。
?に有りますどのような印相かは、
阿弥陀如来様には、上品上生から下品下生に至ります、九品往生に伴う印相がありますので、その印だと思われます。
生前に積んだ功徳によって9段階の往生があり、往生の違いによって迎えられる蓮華の座が異なるそうです。
この印相が、それぞれどのようなものであるかは、私も直接見た訳ではありませんので推測なのですが。
よく言われています、如来様の印相、来迎引摂、転法輪、智拳、法界定、来迎引摂、触地、阿弥陀定、などの印を結ばれているのではないでしょうか。
?これは密教などの影響ではないでしょうか。
空海(弘法大師)が密教をつたえたのは9世紀になってからですが、それ以前に7世紀には中国に、ヒンドゥー的な密教が伝わっていましたので、もともとはヒンドゥの神様との接点をお持ちの十一面観音さまと矛盾はしないと思います。
私は思うのですが、御釈迦様はなくなられる前に、全ての教えを包み隠すこと無く教えたと、お弟子さんに語られています。
それと秘教とは相矛盾するようですが、密教はもともとインドにありましたものが、仏教化されたものだそうですから、問題はないと思っています。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
?「印相の種類」について:──
観音であれば、当然その盟主は阿弥陀であり、確かにおっしゃる通りと存じます。
しかし湖北・渡岸寺の十一面は実際は【三面+八面】であり、正規の十一面なのかどうか、疑わしいといえば云えそうなのです。また頭上の化仏の印相は衣で隠されていますから、盟主が阿弥陀かどうかも分からず、本尊を観音と決定する根拠も不明です。
三面といえば阿修羅やシヴァ神が思われ、ひょっとしたら渡岸寺の十一面は観音ではなく、隠れキリシタンのような感じだろうか? なんて想像したりします。この理由は、
?「印相の衣隠し」の必然性:──
が分からないからでありましょう。
これさえ分れば、「なんだ、そんなことか」って、納得できるのですが。
たとえ義軌に、「印は衣で隠せ」と書かれていたとしても、なぜそうならねばならないのか? を知りたいと思うのです。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
渡岸寺(どうがんじ)または向源寺と呼ぶのだそうですね。
残念なことにまだ訪ねさせてもらう機会がありません。
このお寺さんの十一面観音像は、本面の横耳のところに比較的大きく表現した脇面もあるそうですが、この観音像は密教的な作風で知られているそうですね。
先に回答に書きましたように、仏陀はインドの聖人です。
インドの方はヒンドゥ教を信じておられる方が多いですが、仏陀はヒンドゥのなかで十人の聖者の内のお一人です。
仏陀は当時主流だったバラモン教の教えを破棄するもの、外道とされました。
仏陀が亡くなられた後、何百年か経た後に、仏陀を偲んで仏像が創られたのですが、ヒンドゥの教えに出てまいります神々との混淆は致し方ないと思います。
印相の衣隠しに関してですが。
密教では、行を為さる人が、各尊に特定に配当された印相を結ぶことは、尊格との身体的同一を達成する“身密行”として重視されたとあります。
これを真言と共に結べば印言と言われるそうです。
印の結び方には色々あるそうですが、秘教性を保つために特有の名称を当てたそうですから、衣で隠すのもそうだと思いたいですね。
また衣は法を伝えるもの、衣伝として重きをなしていますから、そんなところも理由かもしれません。
書かせてもらいましたことは、飽く迄も私がお聞きした、覚えている範囲です。ご承知おきください。