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よくあるご質問

さびしい、ひとりぽっちだ、むなしく悲しいと感じる時

おひさしぶりです。今日は、半日一人でした。そのときの心の軌跡です。
 さびしいと感じる時があります。ひとりぼっちだと感じる時があります。周りに人がいても、この悲しいような、辛いような、虚しいような、このさびしさはなんでしょう。どこからやってくるのでしょう。
私の場合、まず最初に、甘えかな?と思いました。もっと自分に関心を持ち、愛してくれる人がいてほしい。妻もいなくて、一人なのでそう感じるのかもしれません。しかしよく考えれば、この「もっと自分に関心を持ち、愛してくれる人がいてほしい。」というのは大切なことです。このこと自身は正常な感覚です。甘えではないように思えます。神様は全能の力と愛をもって私たちひとりひとりのすべてを知って愛してくださっています。ただその愛は信仰と、愛の実践によらなければ自分のものとできません。
よく言われているように、愛は、与えてもらうものではなく、与えるものだからです。神様が私たちを愛してくださっているように、自分が愛してほしいように、他の人々を愛する。いまの生活の中にそういう愛を実践することでしょう。実際そうしているとき、自分のなかには愛があります。さみしさは遠くへ去っていきます。
ただし、受け入れてもらえないときがあります。跳ね返ってくるときがあります。そんなとき辛がっていてはいけません。自分が受け入れられないと悲しんでいてはいけない。それは、自分は愛してほしいという自己愛から出ているからです。そんな時の正しい行動は、神様にとりなすことです。その人の心に、愛が生まれるようにと。自分のことのみを考えていては、わなに陥ります。
そうはいっても、男・女としての、異性をほしいという寂しさをおぼえるときもあります。男として女としてのエロスの愛を求めるのも当然です。しかし、ほとんどの場合、仮にそれが、恋愛がうまくいっても、上記のような愛を二人とももっていなければ、なかなかうまくいきません。多くの恋愛は後からみれば期間限定ものです。また、もし肉体的なものを求めているのなら、得た段階でもとに戻るでしょう。
自分の生活の中の、ひとりひとりの人々に、たとえ通りすがりの見ず知らずの人にも、神様の愛をもって、神様の愛がおひとりおひとりの上に成就しますようにと。心の中で語りかけ続けることができます。また、素晴らしい自然とこの一日を感謝することができます。

コメント

虚津さん

2015年03月30日 19:07

例えばの話です。
優しく、心映えの良い妻を心から愛し、永年ともに暮らしていました。
子供も二人与えられました。
上は男の子で、不幸にして先天性知的発育障害という疾患を持って生まれたのです。
下は女の子で、健常児です。
ある時、妻は病を得て、先立ってしまいました。
上の子は、母の死の意味が解りません。
下の子は、母の死を受け入れました。
夫は、妻の死を受け入れられませんでした。
悲しみに耐えきれず、深酒をしては泣きました。

誰が一番寂しかったでしょう。
皆が寂しいのです。
悲しいのです。

主はそのすべてをご覧になっています。
主の愛は限りがなく、いつも私たちの周りに満ち満ちています。
ちょうど私たちの周りを飛び交っているラジオの電波以上にです。
しかし、ラジオの音は、チューナー部の波長を合わせなければ聞くことは出来ません。

私たちの周りに、電波以上に豊かに満ち満ちている主の愛に与るには、ラジオ電波と同じように、波長を合わせる必要があるのではないでしょうか。
波長を合わせるとは、心も精神もすべて主に向き、主の尊い御名を賛美し、祈ることだと思います。

主の愛に与るなら、寂しさどころか、悲しみもまた和らぐのではないかと思います。

私たちは、一人ぽっちではありません。
いつも隣に、主であるイエス様がいて、見守ってくださっているのです。

私は、主に愛されていることを信じ、心から喜びとしています。