官営工房と公麻呂

 Wikipediaによると公麻呂は、
 百済は滅亡(660)後、白村江の惨敗(663)に続いて、百済の高級官僚・国骨富(徳率)は日本に亡命・帰化した。
 その孫が公麻呂であり、最高水準の天平仏文化を完成したと云えます。
 没年は宝亀5年(774)とあり、生年は不明です。
 そこで国骨富から公麻呂までをフォローしてみました。
<仮定>
・ 骨富は高級官僚ゆえ、帰化時は50±歳とする。
・ 母国では国状不安、日本では異邦人として、いずれも婚期は遅れる。
・ 嫡子出生は30±歳とする。
・ 日本での寿命は60~70±歳とする。

 以上の設定から、骨富→子→