銅鐸とは何だったか-5

前回、「よすみ」がヒントだと書きましたが、もう一つ必要なものがあります。倭人の動きです。
それが、出雲に集合するのです。
銅鐸だけを見ていても、何があったか分かりません。
まず、倭人達の動きを説明します。

倭人達は 瀬戸内海を東進し、燧灘を越えて岡山県に入って行いきました「吉備」です。燧灘の前及び吉備での詳細は、後日「神武東征」で説明します・
 地形的には倉敷付近から上陸したはずです。しかし、記紀では岡山市の児島湾岸に上陸し、この地の高島宮で8年間暮らしたことになっています。

 記紀では、吉備に8年居て食料など準備を整え、それから大阪湾へ進んだとなっ