銅鐸とは何だったのか?-7

今までの説明は、証拠の残る事実に基づいて書いてきました。
しかし、これからの話は当時の状況から判断した、倭人と三次勢及び銅鐸族の動きからの推測に近くなります。
もし、異論なりご意見があればご遠慮なく、お知らせ下さい、

さて、「出雲国譲り」は、出雲勢が主導して行われたと考えます。
それは、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の圧倒的な銅鐸や銅剣などの青銅器の出土量から推測したものです。
そして、国を譲る方の最後の我が儘も聞いてやらねばという、倭人の配慮が優先したということでしょうね。
主導した人物が誰かは分かりません。多分、出雲の銅鐸族のトップか鬼道士や祈祷師のよう