◇◆畝傍山登山&橿原神宮参拝~深田池散策<初心者向>◆◇

このイベントは終了しました

◇◆畝傍山登山&橿原神宮参拝~深田池散策<初心者向>◆◇
開催日時:

開催場所:奈良県奈良県橿原市久米町 地図を見る

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コミュニティ なら山遊会
主催者
カテゴリ ハイキング・登山
タグ
  • 畝傍山登山
  • 深田池散策
  • 橿原神宮参拝
料金
  • 0円
料金用途
参加人数 6名
募集人数 10名 受付終了
最小催行人数 2名
対象
開催日時
開催場所 奈良県奈良県橿原市久米町 地図を見る
募集期間
イベント内容 ◎4月2日(日)

◆【畝傍山登山】橿原神宮参拝~深田池散策<初心者>◆


●集合時刻場所:①9:30-近鉄橿原線「畝傍御陵前」駅前
     ②9:45-ジェイテクトアリーナ体育館裏駐車場 

●持参品: 弁当・水筒・マイコップ・タオル・地図等。

●コース: 駅前→駐車場→池田神社→若桜友苑→登山口
     →登山道→山頂(休憩)→南へ下山→まなこ亭→     深田池散策→休憩所(昼食)→橿原神宮参拝→     駐車場→近くのマクドへ(茶話会)→(解散)・・ 

◆【橿原神宮】

 御祭神・神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた場所に、明治23年に創建されました。

 初代天皇であり、日本国の始祖となった神武天皇と、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)皇后が祀られています。

 神武天皇は、天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの国土に降られた日向国・高千穂の宮にいましたが、天下の政治(まつりごと)を行うべくはるばる東遷の途に立たれた。それが神話における神武東征です。

 途中幾多の困難に遭われたが、ついに大和の国を中心とした中つ国を平定され、畝傍(うねび)の橿原の宮において即位の礼をあげて、国の基をたてられました。

 つまり、天照大神の子孫にあたる神武天皇が九州は宮崎県の日向から東へと旅立ち、この奈良の橿原で国を作られたという話です。                   
 畝傍山への登山は麓より往復30分位で、初心者向きコースです。

●午後からは個人的に加太方面へ参ります。^^

イベントレポート

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さん

皆様こんばんわ~。
今日はお疲れ様でした。^^
晴天に恵まれラッキーな日でしたね。初登山の方もいらっしゃって見晴らしの良さに感動されて良かったです。
時々ゆっくり散策散歩するのも良いかと思います。
皆さんの近況報告をお聞きしながらの楽しいひと時を共有出来て皆様には感謝申し上げます。
又のご参加どうぞ宜しくお願いしますネ~。^^

さん

かぶさん参加者のみなさん今日はありがとうございました😊
楽々コースでしたが初めての畝傍山&橿原神宮の散策、天気もよく楽しかったです❤️
ひとりお先に失礼させていただきましたが、午後からの加太も堪能されたことでしょうね⁉️

参加者専用伝言板

公開伝言板

公開伝言板に書き込んだ内容は、すべての会員が見ることができます。参加者専用伝言板はイベント参加後にご利用になれます。

【補足】

 古代史の真実は証拠もなく定かでない事が多いのだが、「魏志倭人伝」に見られる「倭国」「倭人」の記述がみられた。当時の日本列島には小国群の幾つかのグループが存在したと思われる。九州のグループの一国(邪馬台国 ?)が文明大国の中国(魏)へ貢物を持って参じたそうである。その中には貴重な勾玉(原石は鉄より硬いものなので職人が一個を磨き上げ完成させるのに二年もかかるという貴重品!技術力は世界最高だった!)もなんと三個だけ含まれていた。それほどに貴重な貿易相手国だから金印を授かったのだろう。(ちなみに韓国はどうでもいい銅印だった)

 日本古代に関する中国の正史の一つで,晋の陳寿が撰した『三国志』のなかの『魏志』 30巻,東夷伝にある倭人の条の通称を「魏志倭人伝」というのだ。中国の歴史書のなかで日本に言及しているのは,後漢の班固の撰した『漢書』 (120巻) のなかの地理志が最古であるが,『魏志倭人伝』はこれに次ぐものである。倭人伝の条は,『漢書』の地理志と,陳寿と同時代の魚豢による『魏略』 (現在散逸し,逸文がところどころに引かれている) その他当時存在していた資料を集綴したものである。このあと,『魏志倭人伝』に類するものとして宋 (南北朝) の范曄が撰した『後漢書』の東夷伝がある。『魏志倭人伝』の最大の問題点は,女王卑弥呼 (ひみこ。ひめこ) の邪馬台国の所在についてである。漢は朝鮮半島京城付近一帯に楽浪郡中の帯方県をおいて治めたが,後漢の末 (3世紀初め) ,郡に昇格させ,韓民族や倭人に対する中国の門戸とし,魏もこれにならった。この帯方郡から邪馬台国までを一万二千余里としたのが『魏志倭人伝』の記事である。途中,狗邪韓国,対馬国,一支国 (壱岐) ,末盧国 (松浦) ,伊都国 (怡土) ,不弥国,奴国,狗奴国,投馬国などについて触れ,それぞれ距離と方向も示している。江戸時代以来,この記事をめぐり,邪馬台国が北九州であるか畿内大和 (奈良県) であるか,学者の間で議論が分れる。当時の里程と方位が,どの程度今日の地図上におきうるかという点も問題であるが,邪馬台国について詳細に記し,さらに小国家分立の様子や風俗習慣にまで言及しており,大和朝廷との関係で無視することができない。なお『日本書紀』の編纂者は,この倭人伝を参照したと考えられる。

 ここでもう一つ御用学者から見放された歴史書がある。唐の正史といわれる「唐書」の以前に著わされた「旧唐書」(クトウジョ)という史書があるのだ。そこには古くから邪馬台国の近畿説や九州説があったが、すでに「旧唐書」には九州の「倭国」と大和の「日本国」があったといわれやがて大和に日本統一される事が述べられている。「出雲王朝」についてはまだ詳しく勉強していないので、その内出雲へ行って何か発見出来ればと空想し楽しみにしているのだ・・。

やまとさくらさん、楽しんで来て下さいね。^^
佐保川の方面はもう桜が咲いてるのでしょうか・・楽しみですね~。^^
二上山も四月上旬に桜が満開のようなので登りたいものです。

畝傍山登山を提案したのに、この日は「奈良コミュ」で、<佐保川桜めぐり>の先約あり。
残念ながら行けません。簡単に登れますが、低くても山の雰囲気は味わえます。皆さん楽しんできてください。