流鉄流山線で行く流山歴史散策のイベントレポート

流鉄流山線で行く流山歴史散策

お天気も良く、ゴールデンウィークだと言うに人混みもなく、ゆっくり散策ができました。
初めて訪れた地なので興味津々、皆さんと楽しい時間を過ごす事ができました。
管理人さんが下見をしてくださっていたので、案内もスムーズでした。ありがとうございました。

さん

流鉄流山線で行く流山歴史散策

流山には初めて行きましたが、簡単に調べただけでもとても興味深い街だなと感じていましたので、訪問が楽しみでした。
・流鉄線流山駅、JR馬橋駅、つくばEX流山おおたかの森駅と、市の中心が3つに分散
・大和朝廷に始まり、平安から鎌倉、江戸時代から明治まで千葉北東部の中心となる
・大正初期創業の流山鉄道は、どこの鉄道グループにも属さず、未だに単線で営業
・隣接する野田のしょう油と並び、流山のみりんは、有力な生産拠点となる
・新撰組局長の近藤勇が戦った最後の場所で、この地で土方歳三に別れを告げた

歴史が好きな人間からすると、とても興味深い街でした。北条氏が有力な城を築き、江戸時代も人の往来が活発であったことを考えれば、八王子や所沢や川越のような街と同様な条件を備えています。唯一の違いは、人々の往来を繋ぐ鉄道がバラバラで接続が悪すぎることです。そして、江戸川を挟んで埼玉県三郷市に南北に接することから、車を使っての買い物等は殆ど流れるだろうということです。22万人の人口を抱えながら、流山駅の周辺に飲食店が少ないことも驚きでした。

そうした色々なモヤモヤが、流山博物館に行き解決しました。展示物の中に、江戸時代の流山市の地図があり領主の名前が書かれていました。徳川幕府の天領、旗本領、本多藩(静岡県)の飛び地がモザイクのように入り組んで散りばめられており、まとめる有力者などいるわけないと感じさせられます。1つの藩として江戸時代を過ごすと、良くも悪くも1つの国として一体化して、そのまま明治以降の発展に繋がります。たぶん、流山という地域は江戸時代のバラバラな集合体のまま、明治以降を迎えて現在に至るのだろうなぁ。。。

街中には緑も多く、丘など起伏にも富み、西の江戸川沿いの景観も良く、街全体はなだらかで動きやすそうです。そして、江戸時代の建物を利用した雑貨屋やカフェ、蔵を流用した飲食店(今回の昼食場所)など、とても楽しい場所が点在していました。歩いていてとても楽しいのですが、かなり細い道まで車の往来が多く、地元の方で徒歩の方はあまり見かけず、人が集まるような拠点らしき場所がないことが少し寂しく感じました。新興地である流山おおたかの森駅付近には、新しい建物も多く賑やからしいので、改めて訪問してみるのが楽しみです。

なかなか自分から目を向けようとしない、関東地方のこうした場所に連れてきて頂き、バイオさんには本当に感謝します。東京23区を少し離れるだけでも、色々と毛色が違う街創りがされるんだなぁと感じさせられました。あまり自然や景観には興味がない私ですが、今回の旅はとても面白かったです。ただ遠かったです(((o(*゚▽゚*)o)))

流鉄流山線で行く流山歴史散策

GWまっただ中、千葉県の流山を歴史散策してきました。JR常磐線「馬橋駅」から流鉄流山線に乗りました。流山線は首都圏のローカル線とも呼ばれ、電子乗車券はつかえまぜん。自販機や窓口で買った紙のキップで乗車します。子どもの頃のシステムを想い出し懐かしかったです。
単線のため電車の交換も見ることが出来ます。

流山の街は小江戸を意識したように、蔵がたくさんある静かな街でした。
連休でも人が少なく、落ち着いて回ることが出来ました。
蔵造りのお店でのランチ、新緑の中のお茶・・・本当に癒やされました。
参加の皆様、今回もご協力ありがとうございました。

次回は「海から行く浜離宮恩賜庭園散策」を行います。