東向島の駅から線路に沿って北に向かいました。駅前の《粋いき通り》は《いろは通り》へと続き、交番のある二股の左の路地が遺構が残るエリアへの入り口です。
かつて警察は地図の中のこの町を赤い線で囲いました。なぜなら、そこが「玉ノ井」と呼ばれる遊里だったからです。
東武鉄道は、大正13年から60年以上も続いた《玉ノ井》という駅名を《東向島》に変更しました。平成元年に高架下に東武博物館を開館させる計画があり、今のままの駅名では博物館を訪れる子供たちの親がなんと思うだろう。そんな連想があったのでしょう。
その時、地域住民から多くの反対意見が寄せられたそう
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