北坂戸 浅羽桜堤安行桜 お花見のイベントレポート

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北坂戸 浅羽桜堤安行桜 お花見

「暑さ寒さも」彼岸までなんて昔の人は良く言ったもので、太田道灌、渋沢(尾高)平九郎、梅園で有名な越生の山から流れる越辺川、鴨川と合流し席が設けられ坂戸の田んぼを潤し、更に高麗川と合流し、川越の先で荒川と合流する。

八王子には日光東照宮を警備・管理する「千人同心」がおかれ、半年で交代が行われ、坂戸、松山、鴻巣、佐野への街道を「日光往還」「千人同心街道」「日光裏街道」などと呼ばれる。戦国時代が終わり、徳川家康が江戸に入府、家臣であった伊奈備前守忠次に命じ関東の治水、灌漑干拓工事を命じ、ひっ地帯であった関東を米がとれる地帯へと水路、堀、新田開発、河川の改修を行い、アイ、麻,炭焼き、養蚕、製塩などのすすめ、豊かな大地を今日に引き継いでいる。

北浅羽にも改修工事で堰が設けられ、数々の水路が作られ、農作物の収穫を可能にしていった。今も県内に残る「備前堀」は伊那氏の名前からなずけられている。そんな伊奈氏の功績は広く農民に受け入れられ「神様、仏様、伊奈様」と感謝と尊敬を受けた。そんな田んぼも工場や二ュ-タウンに変貌し、其の功績もわずかに越辺川の堰何かの縁か、の跡が見れる程度で、その越辺川沿いに三代伊奈半十郎忠治が館を築いた川口の関東群大「赤山陣屋」を拝した安行から「安行桜」がここに植えられたのも何かの縁を感じてならない。

関東の、この時期気象も変化が激しい季節、そんな中で3月中旬に桜が咲き誇る「北浅羽桜公園」は春が待ち遠しい埼玉県民にしてみれば、最も早い桜での春を感じる季節となりつつある。1200メ-トルの並木に約200本の「安行寒桜」が咲き誇る。そんな一日を堪能しました。