日本の家族制度はどこからきたか

これまで、隋書・東夷伝の倭国に関する記事の内容を、いくつかの点で「倭国=大和朝廷」という通説どおりに理解するのは難しいとコメントさせていただいています。
 改めてその理由を繰り返すと、第一に倭王「アマ・タリシヒコ」の人物像。第二に、船旅の航路や阿蘇山の記載から、隋使・裴世清の向かったのは九州であるとみられること。
そして三点目は、隋書に書かれている風俗が大和のものではないと思われることです。
今回は、四点目として家族制度について考えてみました。

隋書俀国伝
>俗無盤爼藉以檞葉食用手餔之 性質直有雅風 女多男少 婚嫁不取同姓 男女相悦者卽為婚 婦入夫家必