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ランマル

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任那について

中学時代、任那は日本の領土と習った記憶があります。 ところが、最近の研究では朝鮮半島南部をこの時期大和王権というものが領土的に領有していたと考える人はゼロとはいいませんけれども。と学者が言う様な時代になって来ました。 ウキペディアでは、 1、任那日本府(みまなに...

SIRIUS2016

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日本の古代史に関わる珍説

今回の話題では、私が知っている日本古代史の珍説をご紹介いたします。 当話題は、以前に私が建てた話題『日本の古代史に関わる珍説』を改稿したものです。 日本の古代史に関わる珍説Ⅰ.卑弥呼は公孫氏だった これは山形明郷という在野の古代史家・比較文献史家の説です...

SIRIUS2016

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万葉集は何語で書かれている?

1989年に『人麻呂の暗号』(藤村由加)という本が評判になりました。この本のテーマは、「今まで不明とされていた万葉集の中の歌は、朝鮮語で読むと本当の意味がわかる」ということでした。しかしこの本の残念だったところは、ここで言う『朝鮮語』が『現代朝鮮語』だったことで...

SIRIUS2016

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二人のハツクニシラス?

今回の話題では、『二人のハツクニシラス』について、考えてみたいと思います。 崇神天皇は日本書紀に『御肇國天皇』とあります。古事記には『所知初國之御眞木天皇』とあり、日本書紀の『肇國』が『初國』を意味することは明らかです。 一方で、神武天皇は日本書紀に『始馭天下之...

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魏衰退の経緯(司馬懿と曹爽の権力争い)

先週のゴルフのあとに突発性めまいに見舞われ難儀していましたが、ようやくほぼ回復してきました、前回の年表が中途半端だったので、220年の魏建国から265年の滅亡まで、曹爽と司馬懿の権力争い、またそこに絡む卑弥呼の朝貢の視点から作ってみました。  年表の中で238年...

SIRIUS2016

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古代日本に関わる日本独自の中国の用語について

歴史とは一つの国の中だけで完結するものではなく、周囲の他の国との関係の中で、さまざまに動いていくものです。古代の日本に於いては、朝鮮半島と中国という隣接する地域の動向が非常に重要でした。従いまして、日本の古代史は中国の古代史と切り離すことはできません。 また、ま...

SIRIUS2016

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前方後円墳の形状の由来に関するある想像

以前に話題『前方後円墳の形はどこから?』(下記URL)で前方後円墳の形状の由来について考察を行ないました。 https://smcb.jp/communities/1324/topics/2455946 最近、前方後円墳の形状の由来について、新たに気が付いたこと...

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「親魏倭王」と「親魏大月氏王」と短里

 倭人伝の里程に魏の里の長さ(434m/里)を適用すると邪馬壹国は日本のはるかかなたの太平洋上になり、その距離は実際よりも大幅に誇張されています。この距離問題は、谷本茂氏発見の短里(77m/里)で解決できますが、では倭人伝はなぜ短里を使って距離を誇張したのか?と...

ランマル

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白村江の戦いを詠わない万葉集

 先週のNHK第二、朝の日曜番組で「こころをよむ 万葉びと」が始まりました。  講師が、冒頭に万葉集の成立は、663年の白村江の戦いのあと、 759年(天平宝字3年)以後と紹介がありました。    ちなみに、ウキペディアには、 『万葉集は、七世紀後半から八世紀後半...

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古代中国歴史家の矜持

 前回、倭人伝里程の法則について書きました。その時に感じたことは、法則まで作って、なぜこんなにも簡潔な文章で、読者がすぐには理解できない里程記事を書いたのだろう?ということです。  そこで思い出したのが『漢書・後漢書・三国志列伝選』(中国古典文学大系 13巻 本...

ランマル

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壬申の乱に思う事(1)

教科書が教える壬申の乱とは以下のとおりとなる。 西暦671年、天智天皇の崩御により、大津宮の大友皇子と吉野宮の大海人皇子の対立が深まった。大友皇子は吉野に進撃を試みるが、大海人皇子はこれを逃れ、軍を整備して逆に大津宮へ攻め上り、両軍は尾張・近江国境付近で交戦した...

ランマル

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壬申の乱(2)歴史は繰り返す。

前回は、日本書紀における壬申の乱直前の状況について疑問点について述べましたが、今回は趣向を変えて、壬申の乱がおよそ900年後に起きた本能寺の変から関ヶ原の戦い、大阪夏、冬の陣の縮小版として、「大友皇子と大海人皇子の戦い」と「豊臣政権と徳川家康との戦い」が良く似てい...

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倭人伝の里程解読完結編

 以前から里程解読を投稿しましたが、「投馬国への水行二十日は帯方郡から」という論理がうまく説明できていませんでした。ようやく、私自身が腑に落ちる説明ができましたので再度投稿します。 陳寿は前漢書の書式を基礎に里程構成要素の「あり、なし」による暗号のような法則を...

SIRIUS2016

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縄文の12進法

コンピュータの世界は、オンかオフかの2進法で構成されています。現役時代に長くシステム/ITの業務に携わった私は、今でも当時の癖が抜けず、2の乗数をキリの良い数字と認識してしまいます。例えば、256(2の8乗)・1024(2の10乗)などの数字は非常にキリが良いと...

ランマル

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日本の家族制度はどこからきたか

これまで、隋書・東夷伝の倭国に関する記事の内容を、いくつかの点で「倭国=大和朝廷」という通説どおりに理解するのは難しいとコメントさせていただいています。  改めてその理由を繰り返すと、第一に倭王「アマ・タリシヒコ」の人物像。第二に、船旅の航路や阿蘇山の記載から、隋...

SIRIUS2016

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『倭』と『俀』の考察

隋書倭国伝の『倭』と『俀』につきましては、以前にあおたまさんが話題を建てられました。私はその中で、『俀』の出現頻度が極端に低いこと、説文解字に収録されていないことなどから、『俀』は『倭』の異体字ではないか、という提案を行ないました。 しかし、その後もなんとなくス...

きくちゃん

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斎王の宮へ

三重に住んでいますがなかなか行けていなかった斎王の宮へ今年はじめに行きました。 もともと私の住んでいる地域は初代の斎王様になられた大来皇女様ゆかりの地なので今回足を運ぶことが出来てとても嬉しかったです。 当時の斎王様が伊勢の斎王の宮へ行くルートは定かではない時代が...

ランマル

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天智天皇が戦争責任を追及されなかったのはなぜか。

『天智天皇は説明するまでもなく、中大兄皇子の事であり、中学時代に習った歴史では、 645年中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺(乙巳の変)。孝徳天皇を即位させ、自分は皇太子となり中心人物として大化の改新を行った人。    古代史研究を始めて、百済が66...

SIRIUS2016

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景初四年実在説

京都府福知山市の広峯15号墳と宮崎県児湯郡高鍋町の持田古墳群から、景初4年の銘を持つ斜縁盤龍鏡が発見されています。景初は魏の明帝の時代の年号ですが、明帝は景初3年正月に崩御し、その翌年に正始と改元されているため、景初4年とは存在しない年号なのです。 しかし、『景...

きくちゃん

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はじめまして

はじめまして。 よろしくお願いします。 歴史が好きですが、 知識はそんなにありません。 皆様と楽しくいろんな時代の話を 共有出来ればと思っています。