壬申の乱に思う事(1)

教科書が教える壬申の乱とは以下のとおりとなる。

西暦671年、天智天皇の崩御により、大津宮の大友皇子と吉野宮の大海人皇子の対立が深まった。大友皇子は吉野に進撃を試みるが、大海人皇子はこれを逃れ、軍を整備して逆に大津宮へ攻め上り、両軍は尾張・近江国境付近で交戦した。
 これに大海人皇子は勝利し、天武天皇として即位した。大友皇子は敗死した。
 ちなみに、明治時代になって大友皇子が弘文天皇と呼ばれることになったのはご存知のとおりです。
 では、実際には壬申の乱の真相はどういうものだったのだろうか。

 1、日本書紀における壬申の乱直前の状況説明は信用できるの