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よくあるご質問

サブキャラ達

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今 その他の武将にはまってます

最初は 大名だったのですが
今は その家臣達

「たら」「れば」になりますが
石田三成が居なければ 豊臣政権はどうなっていただろう
不運な人生の 島左近と豊臣秀次

本(約300頁)を読んでいて
半分で終わった 長宗我部元親・・・・・書く事無いのかな?
今読んでいる  蜂須賀小六・・・・・500頁以上ある本2冊

あなたの気になるのは 誰?

コメント

ミリュさん

2014年01月22日 19:02

島左近ですか?

なかなか難しい人ですよね。

ただ、本質的にはかなりムチャな人ですよ?
島家の家督相続のあたりは、ホントに悪鬼羅刹ですからね…

このあたりの激しさが筒井家では浮いていたんでしょうね〜

その主君の三成ですが、この人ってイメージほど戦は弱くないですよ?

賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いの時点で、後に争う福島正則、加藤清正に負けない武功を残しています。

この戦いで、戦場において武功を上げた羽柴家若手組は十四人くらいいたはずです。この中に石田三成は残っています。

この時の三成は、大垣からの大返しの準備という、いかにも多くの人がイメージする石田三成らしい任務で功績をあげているので、この戦場での功績は目立ってないんですけどね・・・

後の七本槍ですが…ファンの方には申し訳ないですが、わかりやすく言ってしまえば、ソロデビューできないレベルの若手をグループアイドルとして売り出すためにつくったユニットです。

七という数字は、縁起のいい数字から選ばれたのでしょうね。

秀吉の子飼いの家臣たちはみんな身分が低いです。グループアイドルとして世間に売り出すなら、可能な限りの大人数を売り出したいでしょうから、四天王は却下。出来れば24将とかにしたかっただろうけど、戦場で大きな武功をあげたのは14人…候補が足りませんw

そうなると、七、九しか選択肢はないです。
更に大怪我をした者、羽柴家といっても秀吉の直属以外の若手を除いていった『七本槍』に落ち着いたのが実際のところでしょう。

だから、正則や清正などの『七本槍』では傑出していた二人は、七本槍と呼ばれるのは大嫌いだったそうです。

忍城の件は、三成は水攻めはムリという報告は秀吉に何回もしています。
そこを秀吉に押し切られたわけですし…責任は秀吉だと思いますね。

 天下人である秀吉の作戦ミスで戦に破れる…これは豊臣家にとっては百害あって一利なしですから、この失敗を三成が押し付けられたのか、自分から被ったのかまではわかりませんが大きな責任は無いです。


さて、島左近の軍師的なイメージ…歴史小説がソースになってるネタならいくらでもあるのですが、良質な史料となると難しいですね…

『戦下手』の三成が『神君』である家康に善戦するためには、『凄い軍師』がいないとダメなはずだ。
島左近という軍師は、その役割を務めるために誕生した虚像だと思いますね。

 実際の島左近ですが勇猛果敢に戦う突撃隊長だったと思いますね。

 この時代、多くの大名家では勇猛果敢な突撃隊長の争奪戦をしています。

 そして、こういう人物の大体が、勇気過剰、性格粗暴の問題人物でした。
 しかし、いざ最前線に立てば、誰よりも勇敢に戦い華々しく散っていく…という美学を持っていました。

 島左近の実像ですが、こういう典型的な突撃隊長だったと思いますね。
 それに相応しく、関ヶ原でも先陣で早々と散っていますからね…

 ちなみに、石田隊の前線指揮官として頑張っていたのは蒲生郷舎です。


 それにしても、戦下手の主君を見捨てずに智謀の限りを尽くして戦う軍師。
 忠誠は報われずに悲劇の最期を迎える…

 日本人はこういうキャラクターが大好きな民族ですよねw

 同時代の有名人では真田幸村なんかが典型です。
 三国志で有名な諸葛孔明もこのパターンです。
 他にも楠木正成、源義経など多くの人気キャラはこのパターンでしょう。


 逆に主君を見捨てた軍師は、どんなに有能でも評価は低いです。
 鍋島直茂なんかが代表でしょうか?

 広義的にみれば、今川、豊臣の二家を裏切った徳川家康なんかも入るのでしょうか?

 三国志で有名な曹操もこっちの仲間かな?

春秋(はるあき)さん

2013年11月01日 02:42

コクユウさん

 島左近を雇い入れてから三成が指揮をした合戦と云えば、映画にもなった「のぼうの城」の忍城攻めです。

 この時忍城は、唯一本城の小田原城が落城した後も落城しませんでした。
三成が後に戦下手と云われるようになった戦いです。
その他にも三成が指揮をした合戦があったのかもしれませんが・・・。

 また関ヶ原合戦は、西軍はかなり善戦します。特に前半戦は互角以上の戦いで家康も相当苦戦します。
戦う前に「策はとうにつきました」と答えたような状況だったのでしょうか?

 本能寺の変ですが、明智光秀に味方していたら、筒井順慶と一緒に滅ぼされて、現在のように歴史に名を残さなかった可能性が大きいと思います。

 関ヶ原の戦が有名な戦で、その一方の指揮者である三成に仕えた武将なので、名前が残っている面もあるように思います。

コクユウさん

2013年10月31日 23:11

春秋(はるあき)さん

島左近ほど 歴史に影響を及ぼそうと(現実には空振りですが)した人物も居ませんよ。
又、信頼され裏切られた人物でもあります。

筒井順慶の家臣だった時は、あれほど信頼されていたのに
信長暗殺の時に明智光秀に援軍に行くのを止められ、
順慶の死後 息子の定次から嫌われ 脱藩し
三成に当時の禄高の半分の2万石で召抱えられた。
その後、軍事面の事一切を負かされる様になった。
この時いつも三成に「この戦は勝てますか?」と聞かれ
「間違いなく、勝てます」と答えてました。

しかし関ケ原の合戦の時は、
今まで左近の策に意見など言わない三成が、
対面を重んじて左近の策をことごとく却下し、
決戦前 三成が「この戦は勝てますか?」と聞かれ時に、
左近は「策は当につきました」と答え 
無策で敵に突進して破れました。

2度の筋目の合戦で、信頼していた主君に裏切られ死んでいった
島左近清興 不運ではないでしょうか。

コクユウさん

2013年10月31日 22:37

ミリュさん 良いとこ付きますね。

島津家久も不運な人物ですね。
あれだけの活躍をし、島津家の為に尽力をしたのに、
最後は兄に毒殺されてしまっては。

春秋(はるあき)さん

2013年10月27日 21:04

島左近は不運でしょうか?

 三成に自分の価値を見出されて、最後の関ヶ原は初めのうちに亡くなったようですが、それでも大活躍でした。
黒田家の武将たちは、関ヶ原の島左近の攻撃の声を聞いてビビったと云われますね。

豊臣秀次はそうかもしれません。
彼の居城の、八幡山城は城とその城下町は良く整備されています。
秀吉が思っている以上に能力があったのかもしれません。

ミリュさん

2013年10月27日 11:55

どのあたりまでがサブキャラかは難しいですが、大名首を三つも獲った島津家久でしょうか?

どのレベルまでが大名と呼ぶかはそれぞれですが、敵軍の総大将としての国主としての大名を戦場で討ち取ったのは、織田信長、島津家久の二人だけです。
もっと高く評価されてもいい武将だと思いますね。

島津家久レベルだとサブキャラじゃなく主役というなら、川上忠堅、毛利良勝にしておきます。
上記の二名の武将の戦いで、実際に首を獲っている二人です。