農家の子供は村の子、会社勤めの子供は町の子

大阪の泉州地区にはかつては、蜜柑の果樹栽培が盛んな時期があった。

しかし促成栽培の玉ねぎも特産物のひとつである。

この特産物は今は、すべて放棄された。理由は豊作貧乏という現象で、量産での作物相場の下落が、農業に危機感を与えたのである。

昭和30年代は、泉州一帯は、綿織物や毛織物の二次産業が盛んになり、農家でも田畑を織物工場に転嫁する農家が増えてきた。

大阪は東洋のマンチェスターとして繊維の街として昭和40年まではこの糸編が栄えて、九州や四国から多くの労働者が大阪に集まる。

農業の規模が小さい農家はこの織物工場に兼業で働くまでに至った。

少年時