高槻城跡公園の鳥

芥川の堤防から、高槻城址公園に向かった。高槻城は明治7年に廃城となり、現在は城域の一部が城跡公園として整備されている。室町時代に居城とした入江氏から江戸時代最後の永井氏まで8回城主が変わっているが、城跡公園には、3度目の城主であった高山右近の像が建てられている。高山右近が一番有名であったということである。

高槻の町名には、昔の城下を伝える城東、城西、城南、城北町が残っており、出丸町、大手町、本町などがある。高槻城跡公園にまちかど遺産の「富田口(とんだぐち)」の表示のある道から入った。この道は、城南町と城址との間にある西方への街道の入口であった。

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